永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(121)

2016年05月01日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (121) 2016.5.1

「太夫、『一日の御かへり、いかでたまはらん。また勘当ありなんを、持てまゐらん』と言へば、『なにかは』とて書く。『すなはちきこえさすべく思う給へしを、いかなるにかあらん、かうでがたくのみ思ひてはべるめるたよりになん。まかでんことはいつとも思う給へわかれねば、きこえさせんかたなく』など書きて、何ごとにかありけん、『御端書は、いかなることにかありけんと思う給へ出でんに、ものしかむべければ、さらにきこえさせず。あなかしこ』など書きて、出だしたてたれば、例の時しもあれ、雨いたく降り神いといたく鳴るを、胸ふたがりて嘆く。」
◆◆太夫(道綱)が、「先日の父上からのお手紙のお返事をいただきとうございます。また父上のお叱りを受けるでしょうから持って参ります」と言うので、「そうですね」といいうことで書きました。「早くにお返事を申し上げねばと思っておりましたが、どういう訳でしょうか、この子がそちらへ参上しづらく思っています次第で、遅くなってしまいました。下山のことはいつとも見当がつきかねますので、何とも申し上げようもございません」などと書いて、何のことでしたか、「御端書はどんなことでしたかと思い出しましても、私は不愉快ですので、もう何も申し上げません。かしこ」などと書いて、道綱を送り出したところ、また先日のように、折悪しく雨が降り雷もひどく鳴って、私は胸が塞がる思いで心配でたまりませんでした。◆◆



「すこししづまりて暗くなるほどにぞ帰りたる。『もののいと恐ろしかりつる、御陵のわたり』など言ふにぞ、いとぞいみじき。返りごとを見れば、『一夜の心ばへよりは、心弱げに見ゆるは、行ひ弱りにけるかと思ふにも、あはれになん』などぞある。」
◆◆やがて少し収まって暗くなる頃にやっと道綱が帰ってきました。「とても恐ろしゅうございました。御陵のあたりが」などと言うのを、ほんとうに大変だったろうと胸がいっぱいになりmした。兼家からの返事を見ますと、「先夜の意気軒昂よりは、大分弱気に見えるのは、勤行のせいで、衰弱したのかと思うと、なんと気の毒なことよ」などと書いてありました。


■端書(はしがき)=特に手紙の最初のところに返って、一段と細かな字で書き足したもの。この日記には書いていない。

■ものしかむべければ=ものしかるべければ。

■御陵(みささぎ)=仁和寺の西方にある光孝天皇の陵という説に従う。