蜻蛉日記 中卷 (124)その2 2016.5.15
「さて、『御声などかはらせたまふなるは、いとことはりにはあれど、さらにかくおぼさじ。よにかくてやみ給ふやうはあらじ』など、ひがざまに思ひなしてにやあらん、言ふ。『<かくまゐらば、よくきこえあはめよ>などのたまひつる』と言へば、『などか、人のさのたまはずとも、今にもなん』など言へば、『さらばおなじくは今日出でさせたまへ。やがて御供つかうまつらん。まづはこの大夫のまれまれ京に物しては、日だに傾ぶけば山寺へと急ぐを見給ふるに、いとなんゆゆしき心地しはべる』など言へば、けしきもなければ、しばしやすらひて帰りぬ。」
◆◆しばらくして、「お声などお変わりなさいましたご様子、まことにごもっともでございますが、決してそのように悲観なさってはなりません。まさかこのままで終わってしまうようなことはございますまい」などと、私の気持ちを勘違い(兼家との仲を悲観して涙声になった)したのでしょうか、そんなことを述べています。さらに、「父上は『山寺に参上したら、十分苦情を申し上げるように』などと仰いました」と言うので、「どうしてそんなことを仰るのでしょう、あちらからそのような仰せがなくても、そのうち下山いたしますのに」と言いますと、「それならば同じこと、今日下山なさいませ。早速お供いたしましょう。何はさておき、この大夫(道綱)がたまに京へ出かけて来ても、お日様が西に傾くや、山寺へと急ぐのを見ますと、ほんとうに大変なことだとお察しいたします」などと言っておりましたが、私がそれに応じる気色も見せないので、しばらくの間滞在して帰りました。◆◆
「かくのみ出でわづらひつつ、人もとぶらひ尽きぬれば、又は訪ふべき人もなしとぞ心のうちにおぼゆる。」
◆◆こんな風に出るに出られず思案に暮れていると、尋ねてくる人は大方来てくれたので、もう他には尋ねてくれる人もいないと、心の中では寂しく思っていました。◆◆
「さて、『御声などかはらせたまふなるは、いとことはりにはあれど、さらにかくおぼさじ。よにかくてやみ給ふやうはあらじ』など、ひがざまに思ひなしてにやあらん、言ふ。『<かくまゐらば、よくきこえあはめよ>などのたまひつる』と言へば、『などか、人のさのたまはずとも、今にもなん』など言へば、『さらばおなじくは今日出でさせたまへ。やがて御供つかうまつらん。まづはこの大夫のまれまれ京に物しては、日だに傾ぶけば山寺へと急ぐを見給ふるに、いとなんゆゆしき心地しはべる』など言へば、けしきもなければ、しばしやすらひて帰りぬ。」
◆◆しばらくして、「お声などお変わりなさいましたご様子、まことにごもっともでございますが、決してそのように悲観なさってはなりません。まさかこのままで終わってしまうようなことはございますまい」などと、私の気持ちを勘違い(兼家との仲を悲観して涙声になった)したのでしょうか、そんなことを述べています。さらに、「父上は『山寺に参上したら、十分苦情を申し上げるように』などと仰いました」と言うので、「どうしてそんなことを仰るのでしょう、あちらからそのような仰せがなくても、そのうち下山いたしますのに」と言いますと、「それならば同じこと、今日下山なさいませ。早速お供いたしましょう。何はさておき、この大夫(道綱)がたまに京へ出かけて来ても、お日様が西に傾くや、山寺へと急ぐのを見ますと、ほんとうに大変なことだとお察しいたします」などと言っておりましたが、私がそれに応じる気色も見せないので、しばらくの間滞在して帰りました。◆◆
「かくのみ出でわづらひつつ、人もとぶらひ尽きぬれば、又は訪ふべき人もなしとぞ心のうちにおぼゆる。」
◆◆こんな風に出るに出られず思案に暮れていると、尋ねてくる人は大方来てくれたので、もう他には尋ねてくれる人もいないと、心の中では寂しく思っていました。◆◆