蜻蛉日記 中卷 (122)
「その暮れて又の日、なま親族だつ人とぶらひにものしたり。破籠などあまたあり。まづ、『いかでかくは。何と、などせさせ給ふにかあらん。ことなることあらでは、いと便なきわざなり』と言ふに、心に思ふやう、身のあることをかきくづし言うふにぞ、『いとことわり』と言ひなりて、いといたく泣く。」
◆◆その日が暮れて次の日、遠い親戚の人が尋ねてこられました。破籠などたくさん持参してくれました。真っ先に「どうしてこのようなところにいらっしゃるのでしょう。いったいどのようなおつもりで山籠りなさっていらっしゃるのですか。このようなことは良くありませんのに」などと言いますので、私が心におもっていることや、身の上のことなどを少しずつ言いますと、「なるほど、ごもっともですこと」と言ってはひどく泣くのでした。◆◆
「日暮らし語らひて、夕暮れのほど、例のいみじげなることども言ひて、鐘の声どもしはつるほどにぞ帰る。心深くもの思ひ知る人にもあれば、まことにあはれとも思ひ行くらんと思ふに、またの日、旅に久しくもありぬべきさまの物どもあまたある。身には言ひ尽くすべくもあらず、かなしうあはれなり。『帰りし空なかりしことの、はるかに木高き道をわけ入りけんと見しままに、いといといみじうなん』など、よろづ書きて、
『<世の中の世の中ならば夏草の繁き山べもたづねざらまし>
物を、かくておはしますを見給へおきてまかり帰ることと思う給へしには、目もみな眩れ惑ひてなん。あが君、ふかくものおぼし乱るべかめるかな。
<世の中は思ひのほかになるたきの深き山路を誰知らせけん>
など、すべてさい向かひたらんやうに、こまやかに書きたり。」
◆◆一日中語り合って、夕暮れのころになって、お互いに言いあわせたように別れの寂しさを言いながら、入相の鐘が鳴る頃にみな帰っていきました。情愛の深い人なので、きっとこちらのことをあわれと思いながら帰られたと思っていると、次の日、山寺に長期間籠ることができるような必要品をたくさん送ってきてくれました。私にとっては言葉に尽くせないほどで、悲しいながら気持ちがいっぱいになる。その人の手紙には、「あまりの悲しさに心もうわの空で帰って来ました。はるばる樹木の高くそびえているこの山路を分け入って来られたと思うにつけて、いよいよ胸がいっぱいになりました」などといろいろ書いてあって、
(遠縁の者の歌)「殿との仲が尋常にいっておいででしたら、あのような夏草の繁った山のあたりまでお出向きにはならなかったでしょう」ものを、こうして山に籠っていられるあなたさまを後にして下山することよと思いますと、涙があふれ、目もよく見えないほどでございました。
ああ、あなたさま! あまりにも深刻に思い乱れておいでのご様子でございますね。
(遠縁の者の歌)「夫婦仲というものは意外なことになるもの、結構でいらっしゃったあなたさまに奥深い鳴滝の山寺への道を誰がお教えしたのでしょう」などと、まるで向かい合って話しかけるように心こまやかに書かれていました。◆◆
「鳴滝といふぞ、この前より行水なりける。返りごとも思ひいたるかぎりものして、『たづねたまへりしも、げにいかでと思う給へしかど、
<物おもひの深さ較べに来てみれば夏の繁りもものならなくに>
まかでんことはいつともなけれど、かくの給ふ事なん思う給へわづらひぬべけれど、
<身ひとつのかくなるたきを尋ぬればさらにかへらぬ水もすみけり>
と見れば、ためしある心ちしてなん』などものしつ。
◆◆
■なま親族(しぞく)だつ人=親族といえば言えるような人。遠い親戚。
「その暮れて又の日、なま親族だつ人とぶらひにものしたり。破籠などあまたあり。まづ、『いかでかくは。何と、などせさせ給ふにかあらん。ことなることあらでは、いと便なきわざなり』と言ふに、心に思ふやう、身のあることをかきくづし言うふにぞ、『いとことわり』と言ひなりて、いといたく泣く。」
◆◆その日が暮れて次の日、遠い親戚の人が尋ねてこられました。破籠などたくさん持参してくれました。真っ先に「どうしてこのようなところにいらっしゃるのでしょう。いったいどのようなおつもりで山籠りなさっていらっしゃるのですか。このようなことは良くありませんのに」などと言いますので、私が心におもっていることや、身の上のことなどを少しずつ言いますと、「なるほど、ごもっともですこと」と言ってはひどく泣くのでした。◆◆
「日暮らし語らひて、夕暮れのほど、例のいみじげなることども言ひて、鐘の声どもしはつるほどにぞ帰る。心深くもの思ひ知る人にもあれば、まことにあはれとも思ひ行くらんと思ふに、またの日、旅に久しくもありぬべきさまの物どもあまたある。身には言ひ尽くすべくもあらず、かなしうあはれなり。『帰りし空なかりしことの、はるかに木高き道をわけ入りけんと見しままに、いといといみじうなん』など、よろづ書きて、
『<世の中の世の中ならば夏草の繁き山べもたづねざらまし>
物を、かくておはしますを見給へおきてまかり帰ることと思う給へしには、目もみな眩れ惑ひてなん。あが君、ふかくものおぼし乱るべかめるかな。
<世の中は思ひのほかになるたきの深き山路を誰知らせけん>
など、すべてさい向かひたらんやうに、こまやかに書きたり。」
◆◆一日中語り合って、夕暮れのころになって、お互いに言いあわせたように別れの寂しさを言いながら、入相の鐘が鳴る頃にみな帰っていきました。情愛の深い人なので、きっとこちらのことをあわれと思いながら帰られたと思っていると、次の日、山寺に長期間籠ることができるような必要品をたくさん送ってきてくれました。私にとっては言葉に尽くせないほどで、悲しいながら気持ちがいっぱいになる。その人の手紙には、「あまりの悲しさに心もうわの空で帰って来ました。はるばる樹木の高くそびえているこの山路を分け入って来られたと思うにつけて、いよいよ胸がいっぱいになりました」などといろいろ書いてあって、
(遠縁の者の歌)「殿との仲が尋常にいっておいででしたら、あのような夏草の繁った山のあたりまでお出向きにはならなかったでしょう」ものを、こうして山に籠っていられるあなたさまを後にして下山することよと思いますと、涙があふれ、目もよく見えないほどでございました。
ああ、あなたさま! あまりにも深刻に思い乱れておいでのご様子でございますね。
(遠縁の者の歌)「夫婦仲というものは意外なことになるもの、結構でいらっしゃったあなたさまに奥深い鳴滝の山寺への道を誰がお教えしたのでしょう」などと、まるで向かい合って話しかけるように心こまやかに書かれていました。◆◆
「鳴滝といふぞ、この前より行水なりける。返りごとも思ひいたるかぎりものして、『たづねたまへりしも、げにいかでと思う給へしかど、
<物おもひの深さ較べに来てみれば夏の繁りもものならなくに>
まかでんことはいつともなけれど、かくの給ふ事なん思う給へわづらひぬべけれど、
<身ひとつのかくなるたきを尋ぬればさらにかへらぬ水もすみけり>
と見れば、ためしある心ちしてなん』などものしつ。
◆◆
■なま親族(しぞく)だつ人=親族といえば言えるような人。遠い親戚。