永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(124)の1

2016年05月12日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (124)その1  2016.5.12

「かくなんと見つつ経るほどに、ある日の昼つかた、大門の方に馬のいななく声して、人のあまたあるけはひしたり。木の間より見とほしやりたれば、ここかしこ直人あまた見えて、歩み来めるは兵衛佐なめりと思へば、大夫よび出だして、『今まできこえさせざりつるかしこまりとり重ねて、とてなんまゐり来る』と言ひ入れて、木蔭に立ちやすらふさま、京おぼえていとをかしかめり。このころは『のちに』と言ひし人ものぼりてあれば、それになほしもああらぬやうにあれば、いたくけしきばみ立てり。」
◆◆こんなことがあったなどと日を経ているうちに、ある日の昼ごろ、大門の方で、馬のいななく声がして、大勢の人がやってくる気配がしました。木の間から見通すと、ここかしこにありふれた身分の者が大勢見えて、寺のほうに歩いてくるようです。どうも兵衛佐(道隆)のようであるとおもっていると、大夫(道綱)を呼び出して、『今までお見舞い申し上げませんでしたお詫びに、参上いたしました』と来意を告げて、木陰に佇んでいる姿は、いかにも京人を思わせて、すっきりと見栄えが良い。この頃は、『また後で来ます』と言っていた妹も来ていましので、その妹にどうやら気があるようなので、ひどく気取って立っています。◆◆



「返りごとは、『いとうれしき御名なるを、はやくこなたに入りたまへ。さきざきの御不浄は、いかでことなかるべく祈りきこえん』と物したれば、歩み出でて高欄におしかかりて、まづ手水など物して入りたり。よろづのことども言ひもてゆくに、『むかし、ここは見給ひしは覚えさせたまふや』と問へば、『いかがは。いとたしかにおぼえて。今こそかく疎くてもさぶらへ』など言ふを、思ひまはせば、物も言ひさして声かはる心地すれば、しばしためらへば、人もいみじと思ひて、とみに物も言はず。」
◆◆返事には、「ほんとうによくお訪ねくださいました。さあどうぞ早くお入りください。これまでの罪障がどうぞ無事に消滅いたしますよう、み仏さまにお祈り申しましょう」と言いますと、木陰から歩み出て、高欄に寄りかかって、まず手水などを済ませてから入ってきました。いろいろな話をお互いにしていくうちに、「昔、私にお会いくださったことは、覚えていらっしゃいますか」と尋ねたところ、「どうして忘れたりするでしょうか、はっきり覚えておりますとも。今でこそ、このようにお目にかかる折もなくおりますけれど」など言うので、あれこれとさまざまのことを思いめぐらすと、言葉もつかえて、涙声になりそうなので、しばらく気を静めて黙っていますと、相手もしんみりとして、すぐには何も言わないのでした。◆◆


■直人(なほびと)=身分の低い者、供人

■兵衛佐(ひょうえのすけ)=兼家の長子、道隆。時姫腹。