永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(805)

2010年08月15日 | Weblog
2010.8/15  805

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(24)

 八の宮の忌が明けてのち、薫は自ら宇治をご訪問になります。

「ひむがしの廂のくだりたる方にやつれておはするに、近うたち寄り給ひて、古人召し出でたり。闇に惑ひ給へる御あたりに、いとまばゆくにほひ満ちて、入りおはしたれば、かたはらいたうて、御答などをだにし給はねば」
――東の廂の間の一段低くなったお部屋に、姫君達が喪服姿でやつれておいでになります。薫がその側近くに立ち寄られて、あの老女(弁の君)をお召しになります。悲しみの闇に閉ざされておいでのところに、薫が、まことに眩いほどに美しく芳しい香りに満ちてお入りになったので、姫君達はただきまり悪く、御対面はもとより几帳越しでもお返事さえもおできになれません――

 薫が、

「かやうにはもてない給はで、昔の御心むけに従ひ聞こえ給はむさまならむこそ、きこえ承るかひあるべけれ。なよび気色ばみたるふるまひをならひ侍らねば、人伝に聞こえ侍るは、言の葉もつづき侍らず」
――こんなによそよそしくなさらないでください。亡き八の宮のご方針にお従いになって親しくして下さるのこそ、お話しし合う甲斐もあるというものです。私はなまめかしく思わせぶりな駆け引きなど、ついぞもの慣れませんので、人伝てのお話では言葉のつぎ穂もございません――

 とおっしゃいます。大君が、

「あさましう、今までながらへ侍るやうなれど、思ひさまさむ方なき夢にたどられ侍りてなむ、心より外に空のひかり見侍らむもつつましうて、端近うもえみじろぎ侍らぬ」
――われながら呆れるほど、今まで生き延びてまいりまして、諦めようもない夢路を辿るような気持ちです。気が滅入っておりまして空の光を見るのも憚られて、端近く出ようとも思えないのです――
 
 と、かすかにお返事申し上げます。薫がまた、

「ことといへば、限りなき御心の深さになむ。月日のかげは、御心もて晴れ晴れしくもて出でさせ給はばこそ、罪も侍らめ。行く方もなく、いぶせうおぼえ侍り。また思さるらむはしばしをも、あきらめ聞こえまほしくなむ」
――何事につけましても、この上ないお心の深さでございますね。月や太陽をご自身が晴れ晴れとしたお心で仰がれればこそ、罪にもあたりましょう。(そんなに疎々しくなされては)私はどうしようもなく気づまりに感じます。お心の中の一端でも承って、晴らして差し上げたい気がします――

 とおっしゃいます。女房たちも傍から、

「げにこそいと類なげなめる御有様を、なぐさめ聞こえ給ふ御心ばへの、浅からぬほどなど、人々聞こえ知らす」
――なるほど薫中納言のおっしゃるとおり、世にも心細くお暮しの明け暮れを、わざわざ慰めにお越しくださったお心遣いは、まことに並々ならぬことと存じ上げますのに――

 と、姫君達にお口を添えて申し上げております。

では8/17に。


源氏物語を読んできて(804)

2010年08月13日 | Weblog
2010.8/13  804

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(23)

 匂宮はまだ朝霧の深い頃に、急ぎお起きになって、宇治へお便りをお書きになります。

「(歌)『朝霧に友まどはせる師かの音を大かたにやはあはれとも聞く』諸声はおとるまじくこそ」
――(歌)「朝霧の中に友とはぐれた鹿の声を、いい加減な思いで聞くでしょうか」父君に先立たれた貴女方には十分にご同情申しておりますよ――

 と、御文にありましたが、大君のお心の内では、

「あまり情けだたむもうるさし、一ところの御かげにかくろへたるを頼み所にてこそ、何事も心やすくて過ぐしつれ、心より外にながらへて、思はずなる事のまぎれ、つゆにてもあらば、うしろめたげにのみおぼしおくめりし、亡き御魂にさへ疵やつけ奉らむ、と、なべていとつつましうおそろしうて、きこえ給はず」
――あまり情を頼みと解して振る舞うのも後々面倒になりそうですし、今までは父君お一人の庇護のもとにあるのを唯一の頼みとして、何事にも安心して過ごして来ましたが、望みもせぬのに生き長らえて、思いがけぬ何かの過まちが少しでも起こっては、あれほど気懸りにばかり思いおかれたらしい亡き父君の御魂にまで、疵をおつけすることになるでしょう。と、何事にも慎ましく、恐ろしくて、お返事を差し上げられないのでした――

「この宮などをば、かろらかにおしなべてのさまにも思ひきこえ給はず。なげの走り書い給へる御筆づかい言の葉も、をかしきさまになまめき給へる御けはひを、あまたは見知り給はねど、これこそはめでたきなめれ、と見給ひながら、そのゆゑゆゑしく情けある方に言をまぜきこえむも、つきなき身の有様どもなれば、何か、ただかかる山伏だちて過ぐしてむ、とおぼす」
――(かといって)この匂宮を世間並みの軽々しい御方とはお思いになっているわけではありません。このような懸想めいた御文などほとんどご存知ないのですが、ちょっとした走り書きの御手蹟や文面にも趣深さが感じられて、これこそはたいそうご立派なものだとはご覧になるものの、その深みも情もある御文にお応え申し上げるには、あまりに不似合いなご自分たちの境遇であってみれば、いっそこの山里に、ただ行者か何かのように引き籠もって、世を終えようとお思いになるのでした――

「中納言殿の御返りばかりは、かれよりもまめやかなるさまに聞こえ給へは、これよりもいと気疎げにはあらず、きこえ通ひ給ふ」
――中納言殿(薫中納言)へのお返事だけは、そちらからも真面目なご様子でお便り申されますので、こちらも、そう素っ気なくはせず、御文のやりとりをなさっております――

では8/15に。


源氏物語を読んできて(803)

2010年08月11日 | Weblog
2010.8/11  803回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(22)

 大君(おおいぎみ)は、使者の様子に、この夜の山路を、と思えば気の毒で、自分一人しっかりと心を落ちつけていられるわけではありませんので、見るに見かねてご自分で筆をお取りになります。

(大君の歌)「涙のみ霧ふたがれる山里はまがきにしかぞもろごゑになく」
――涙の霧にかき昏れているこの山里では、蘺(まがき)の鹿のように私どもは声をそろえて泣いています――

 と、喪服中ですので、鈍色の紙に、夜のこととて墨つぎもよく分からないので、筆に任せて特に風情を凝らすこともせず、そのままおし包んでお渡しになりました。

「御使いは、木幡の山の程も、雨もよにいと恐ろしげなれど、さやうの物おぢすまじきをや選り出で給ひけむ、むつかしげなる篠のくまを、駒ひきとどむる程もなく、うち早めて、片時に参りつきぬ」
――匂宮の使者は、木幡(こはた)の山越えも、雨の降る恐ろしげな中を、そうした物怖じしない男を殊にお選びになったのでしょうか、薄気味悪そうな笹やぶのあたりを、駒の歩みをゆるめるのでもなく、ひたすら鞭を打って、わずかの間に帰り着きました――

 匂宮は夜霧に濡れて帰りついた使いの者に、禄を授けてねぎらい、さて御文をご覧になりますと、

「前々ご覧ぜしにはあらぬ手の、今少しおとなびまさりて、よしづきたる書きざまなどを、いづれかいづれならむ、と、うちの置かずご覧じつつ、大殿どもらなば」
――今までご覧になっていらしたのとは違う手蹟で、ひときわ大人びて優雅な書きぶりですのを、ご姉妹のうちの、どちらがどちらなのであろうと、下にも置かず手になさったままご覧になって、すぐにはお寝みになりません――

「『待つとて起きおはしまし、またご覧ずる程の久しきは、いかばかり御心にしむ事ならむ』と、御前なる人々ささめき聞きて、にくみきこゆ。ねぶたければなめり」
――「お返事を待つといって起きておられ、今また御文をお読みになる時間が長いのは、いったいどれほどご執心のことなのでしょう」と御前の侍女たちはひそひそ言い合っては妬ましげに申しています。多分自分たちが眠いからでしょう――

◆片時の間=わずかの間、ちょっとの間。

では8/13に。


源氏物語を読んできて(802)

2010年08月09日 | Weblog
2010.8/9  802回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(21)

 匂宮からのお手紙には、

「(歌)『をじかなく秋の山里いかならむ小萩がつゆのかかるゆふぐれ』ただ今の空の気色を、おぼし知らぬ顔ならむも、あまり心づきなくこそあるべけれ。枯れゆく野辺もわきてながめらるる頃になむ」
――(歌)「萩の露がふりかかるこのような夕暮れは、鹿の鳴く秋の山里で、どのようにお過ごしでしょうか。さぞ涙にぬれておいででしょう」今のこの風情をお解しにならずにお返事がありませんのは、いかにも不似合いというものでしょう。暮れて行く野末も、ひとしおうら悲しく眺められるこの頃でございます――

 と書かれてあったようです。お手紙をご覧になった大君(おおいぎみ)は、

「『げに、いとあまり思ひしらぬやうにて、たびたびになりぬるを、なほ聞こえ給へ』など、中の宮を、例の、そそのかして、書かせ奉り給ふ」
――「ごもっともな仰り方でございます。ものの情けも弁えないようなことが度かさなってもいかがかと存じますから、やはりご返事を申し上げなさい」と、中の君に例のように促されてお返事をお書かせになります――


「今日までながらへて、硯など近く引き寄せて見るべきものとやは思ひし、心憂くも過ぎにける日数かな、と思すに、またかきくもり、もの見えぬ心地し給へば、押しやりて、
『なほえこそ書き侍るまじけれ。やうやうかう起き居られなどし侍るが、げに限りありけるにこそ、と覚ゆるも、うとましう心憂くて』と、らうたげなるさまに泣きしほれておはするも、いと心ぐるし」
――(中の君はお心の中で)「今日まで生き長らえて、硯などを引きよせて、このようなお返事を書きますなどとは、一体思ったでしょうか。心ならずも日数ばかりは過ぎていくものよ」とお思いになりますと、胸がいっぱいになって物も見えぬ心地がしますので、硯を押しのけて、「とても書けそうにもありません。ようやくこうして起きていられるようになりましたが、なるほど悲しみも時が経てば薄れていくものなのかと、われとわが身が疎ましく思われて」と、愛らしく泣きぬれていらっしゃるご様子は、見るからにお気の毒です――

 夕暮れの頃、京から来た匂宮のお使いが、宵を少し過ぎて着いたことですので、「これから京へ戻るのは難しいでしょうから、お泊まりください」と伝えさせましたが、「(お返事を頂いて)折り返しすぐ京へ戻ります」と、たいそう急いでいる風です。

◆中の宮=原本にはこのとおりに書かれている。中の君のこと。

では8/11に。

源氏物語を読んできて(801)

2010年08月07日 | Weblog
2010.8/7  801回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(20)

「明けぬ夜の心地ながら、九月にもなりぬ。野山の気色、まして袖の時雨をもよほしがちに、ともすればあらほひ落つる木の葉の音も、水の響きも、涙の滝もひとつもののやうにくれ惑ひて、かうてはいかでか、限りあらむ御命も、しばしめぐらひ給はむ、と、さぶらふ人々は心細く、いみじくなぐさめ聞こえつつ思ひまどふ」
――(姫君たちには)闇に暮れ惑う気持ちのまま、やがて九月になってしまいました。宇治の野山の景色も寂しげで、それだけでも涙を誘うことが多くて、木の葉が争って落葉する音も、川瀬の音も、姫君たちの流す涙と区別ができないほどで、心が暗く乱れておいでになります。こんなことではどうして御寿命がしばしの間でもお続きになれるでしょうか、と、お仕えする人々は心細く、精一杯お慰め申しながら途方にくれるのでした――

「ここにも念仏の僧さぶらひて、おはしましし方は、仏を形見に見奉りつつ、時々参り仕うまつりし人々の、御忌に籠りたる限りは、あはれに行ひて過ぐす」
――山寺と同じようにこの山荘にも念仏の僧たちが詰めていて、何かの折毎にお出入りしていました人々で、八の宮の中陰に籠っていました人だけは、八の宮のおられたお部屋で仏像を形見として拝しながら、しんみりと勤行などをしながら日を過ごしております――

「兵部卿の宮よりも、度々とぶらひ聞こえ給ふ。さやうの御返りなど、聞こえむ心地もし給はず。おぼつかなければ、中納言にはかうもあらざなるを、われをばなほ思ひ放ち給へるなめり、と、うらめしく思す」
――兵部卿の宮(匂宮)からも、度々お見舞いをお寄こしになります。姫君たちはとてもお返事申し上げる気持にもなれません。匂宮は、姫君たちからのお返事が一向にありませんのが気懸りで、(お心の中で)「中納言(薫)には、こうも素気無くなされはしまいに、やはり私のことなどお心に留めていらっしゃらないようだ」と恨めしくお思いになるのでした――

 実は匂宮は、紅葉の頃に漢詩などをお作りになろうと宇治にお出かけのお積りでいらしたのに、八の宮の急なご逝去のため、この辺りへのお遊びには不都合な時節となりましたので、宇治へは断念せざるを得ず、まことに残念な思いでいらっしゃるのでした。
 
「御忌もはてぬ。限りあれば涙も隙もや、と思しやりて、いと多く書きつづけ給へり。時雨がちなる夕つかた」
――八の宮の四十九日忌も終わりました。ものには限度というものがあるので、そろそろ姫君たちの悲しみも少しは薄らいだであろうか、と、匂宮は思われて、いつもよりもお言葉を多く連ねてお文をお書きになります。それは時雨がちな夕暮れのことでした――

では8/9に。


源氏物語を読んできて(800)

2010年08月05日 | Weblog
2010.8/5  800回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(19)

 「中納言殿には、聞き給ひて、いとあへなく口惜しく、今一度心のどかにて聞こゆべかりけること多う残りたる心地して、大方世の有様思ひつづけられて、いみじう泣い給ふ」
――中納言殿(薫中納言)は、八の宮のご逝去をお聞きになって、何とあっけないことだったと残念で、もう一度ゆっくりした気持ちで八の宮に申し上げる筈の事も多かったのにと、しきりに取り返しのつかない心地がしますものの、今更ながらにと、人の世の無常を思い続けられ、しみじみとお泣きになるのでした――

「『またあひ見むこと難くや』など宣ひしを、なほ常の御心にも、朝夕の隔て知らぬ世のはかなさを、人よりけに思ひ給へりしかば、耳なれて、昨日今日と思はざりけるを、かへすがへす飽かず悲しく思さる」
――(八の宮が)「もうお目にかかれないかも知れませんね」とおっしゃっていらしたのを、薫自身も、朝と夕との間さえ当てにならない現世のはかなさを、人並み以上に思っておられましたので、八の宮のお言葉をついつい聞き慣れてしまっていて、まさかこのように急にお亡くなりになるとは思ってもおられず、返す返すも諦めきれず悲しくお思いになるのでした――

 薫は、阿闇梨の許にも、姫君たちへの御弔問も、それぞれ懇ろに申し上げられます。

「かかる御とぶらひなど、またおとづれ聞こゆる人だになき御有様なるは、もの覚えぬ御心地どもにも、年頃の御心ばへのあはれなめりしなどをも、思ひ知り給ふ」
――(薫の)このようなお見舞いには、今となってはいよいよ訪れる者とてもないお住居に人心地なく歎き沈んでいらっしゃる姫君たちにとってみましては、薫の年来のお心遣いが身に沁みるのも、なる程と思われます――

「世の常の程の別れだに、さしあたりては、また類なきやうにのみ、皆人の思ひ惑ふものなめるを、なぐさむ方なげなる御身どもにて、いかやうなる心地どもし給ふらむ、と思しやりつつ、後の御わざなど、あるべき事ども、推しはかりて、阿闇梨にもとぶらひ給ふ。ここにも、老人どもにことよせて、御誦経などの事も、思ひやり聞こえ給ふ」
――世間普通の死別でさえ、その時になれば、ただもう他に例がないように誰でも感じて歎くものですのに、慰みようもないお二人の御身の上では、どのようなお気持でいらっしゃるだろうと、薫は深く思いやりながら、御法事など、しかるべき段取りをお察しになって、阿闇梨にもご挨拶申されます――

 また一方、薫は姫君たちの山荘にも、老女たちに贈る風にして、僧たちへの御布施のことなどもご配慮なさるのでした。

◆宇治マップ

源氏物語を読んできて(799)

2010年08月03日 | Weblog
2010.8/3  799回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(18)

「いみじきことも、見る目の前にて、おぼつかなからぬこそ常のことなれ、おぼつかなさそひて、おぼし歎くこと道理なり。しばしにても、後れ奉りて、世にあるべきものと、おぼしならはぬ御心地どもにて、いかでかは、後れじ、と泣き沈み給へど、限りある道なりければ、何のかひなし」
――悲しい死別といっても、目の前で心残りなくお別れするのが普通ですのに、このようなお別れでは気持ちの整理もおできになれず、お嘆きになるのも無理からぬものです。父宮に先立たれましては、しばらくも生きていられようとは思ってもいないお二人ではあっても、これが宿世であってみれば、どうにもならないことなのでした――

 「阿闇梨、年頃契り置き給ひけるままに、後の御事もよろづに仕うまつる」
――阿闇梨は、八の宮が年来お頼みして置かれたとおりに、ご逝去の後のお作法も万事滞りなくなさいます――

 大君が、

「亡き人になり給へらむ御様、容貌をだに、今いちど見奉らむ」
――亡き人になられた父上のお顔、お姿だけでもせめてもう一度拝したいのですが――

 とお願い申し上げますが、阿闇梨は、

「今更に、なでふ然ることか侍るべき。日頃も、またあひ見給ふまじきことを聞こえ知らせつれば、今はまして、かたみに御心とどめ給ふまじき御心づかひを、ならひ給ふべきなり」
――どうして今更にそのような事をいたしましょうか。かねても再び姫君方にお逢いしてはならぬことを、宮に申し上げておいたのですが、亡くなられた今はまして、お互いに執着心が残られぬようなご配慮をお持ちにならねばなりませぬ――

 とのみ仰るのでした。姫君たちは、

「おはしましける御有様を聞き給ふにも、阿闇梨のあまりさかしき聖心を、憎くつらしとなむ思しける」
――父宮が山に御参籠中のご様子をお聞きになるにつけても、阿闇梨のあまりにも悟りすました道心を、憎くも辛いとも思うのでした――

◆写真:三室戸寺(みむろとじ)         
京都府宇治市菟道滋賀谷
 八の宮は師事する阿闍梨(あじゃり)の山寺にこもって他界します。この山寺は、三室戸寺がモデルと考えられています。

では8/5に。


源氏物語を読んできて(798)

2010年08月01日 | Weblog
2010.8/1  798回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(17)

山寺では阿闇梨が八の宮に付き切りでご看病申し上げております。そして八の宮に、

「はかなき御なやみと見ゆれど、限りの度にもおはしますらむ。君達の御こと、何か思し歎くべき。人はみな御宿世といふもの異々なれば、御心にかかるべきにもおはしまさず」
――ほんの軽いご病気にも見えますが、あるいはこれがご最期でいらっしゃるかも知れません。姫君たちのことをどうして歎くことがありましょう。人は皆それぞれに宿世が異なっていますれば、何もご心配なさることでもございますまい――

 と、いよいよこの世を厭離なさるべきことを申し渡されて、

「今更にな出で給ひそ」
――今は決して山をお下りなさいますな――

 とお諌め申し上げるのでした。

「八月二十日の程なりけり。大方の空の気色もいとどしき頃、君達は、朝夕霧の晴るる間もなく、おぼし歎きつつながめ給ふ」
――八月二十日頃になりました。空の色もひとしお物悲しい季節に、姫君達は朝夕涙の乾くひまもなく、心配で歎き悲しんでおりました――

「有明の月のいとはなやかにさし出でて、水の面もさやかに澄みたるを、そなたの蔀あげさせて、見出し給へるに、鐘の声かすかに響きて、明けぬなり、ときこゆる程に、人々来て『この夜中ばかりになむ亡せ給ひぬる』と泣く泣く申す」
――有明の月がくっきりと冴え出でて、遣水の面も澄み渡って見えます。山寺に面した蔀戸(しとみど)を上げさせてはるかにご覧になっていますと、寺の鐘の音がかすかに響き渡って、夜が明けた様子に思える時分に、寺から使いの者が来て、「この夜中にとうとうお亡くなりになりました」と泣く泣く申し上げます――

 姫君たちはご容態はどうでしょうと、ずっとご心配になっていましたのに、ご逝去とお聞きになっては、悲しみに涙もどこかへ行ってしまわれたのでしょうか、

「ただうつぶし臥し給へり」
――ただもう、うつ臥しておしまいになっていらっしゃる――

◆蔀(しとみ)=寝殿造りで、格子組みの裏に板を張り、日光を遮ったり、風雨を防いだりした戸。釣蔀(つりじとみ)、半蔀(はじとみ)、立て蔀などの種類があり、また材料により、板蔀・竹蔀の名称がある。

では8/3に。

源氏物語を読んできて(宇治神社)

2010年08月01日 | Weblog
宇治神社        

京都府宇治市宇治山田

 ご祭神は、応神天皇の皇子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。
菟道稚郎子は、宇治の八の宮(光源氏の異母弟。大君・中の君・浮舟の父)のモデルになったとされる人物です。

源氏物語を読んできて(宇治上神社)

2010年08月01日 | Weblog
宇治上神社(うじがみじんじゃ)       

京都府宇治市宇治山田

 世界文化遺産。ご祭神は菟道稚郎子・父の応神天皇・兄の仁徳天皇。宇治の八の宮邸は、菟道稚郎子の宮居・桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)の跡と伝わる宇治神社や宇治上神社がある辺りと想定されています。
 
【世界遺産 宇治上神社】
1.離宮上社とも。式内社
2祭神 応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
3現在地は、応神天皇の皇子菟道稚郎子の離宮であった桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)の旧跡と伝える。
 明治期以前は宇治離宮明神、宇治離宮八幡などともいわれたが、明治初期に上・下二社に分かれた。
4.平安時代に建立された本殿は三棟の一間社流造をつなぐ構造をとり、現存最古の社殿といわれる。

 ※応神天皇の末の皇子、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は幼くして学を好み広く書物に通じ、明徳なるゆえに天皇より愛され皇太子として立てられたが、天皇が亡くなり、太子は義を重んじて敢えて位につかず、兄(のちの仁徳天皇)に位を譲られた。兄も「先帝の定められたことを軽々にこれを変えることは出来ぬ」と、兄弟位を譲りあうこと3年、人民惑い、天下大いに乱れた。これを憂いて弟君「久しく生きて天下を煩らわさむ」と自ら命を絶たれ、兄君を皇位に即(つ)かせられた。