永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1189)

2012年12月11日 | Weblog
2012. 12/11    1189

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その29

「二人の人の御心のうち、旧りず悲しく、宮は、あやにくなりし御おもひのさかりにかき絶えては、いといみじけれど、あだなる御心は、なぐさむや、などこころみ給ふこともやうやうありけり。かの殿は、かくとりもちて、何やかやと思いして、残りの人をはぐくませ給ひても、なほいふかひなきことを、忘れがたく思ほす」
――薫大将と匂宮のお心の内では、浮舟の記憶がいつまでも新しく、匂宮は手のつけられぬほど熱中しておられた恋の最中に浮舟を失っておしまいになりましたので、大そう悲しんでおられましたが、何分浮気なご性分とて、もしや気が紛れるかと試しに、他の女を召されることも折々あるのでした。一方薫の方は、このように後の法事も配慮されて、遺族たちのお世話などもしておやりになりながら、なお、歎いても仕方が無いことを忘れられずにいらっしゃいます――

「后の宮の、御軽服の程は、なほかくておはしますに、二の宮なむ式部卿になり給ひにける。重々しうて、常にしも参り給はず。この宮は、さうざうしくものあはれなるままに、一品の宮の御方をなぐさめどころにし給ふ。よき人の容貌をも、えまほに見給はぬ、残り多かり」
――明石中宮が、御叔父の式部卿の喪中の間、ずっと六条院においでになるあいだに、二の宮(帝との間の第二皇子で匂宮の兄君)が式部卿におなりになりました。重々しい地位になられたので、御母中宮の許に始終お伺いするというわけにはいきません。匂宮は寂しくて物足りないままに、一品の宮(姉君)をなぐさめどころとしておいでになります。一品の宮にお仕えする美しい上臈女房たちの顔も、まともにご覧になれないのが、はなはだ残念でなりません――

「大将殿の、からうじていと忍びて語らひ給ふ、小宰相の君といふ人の、容貌などもきよげなり。心ばせある方の人と思されたり。おなじ琴を掻きならす爪音、撥音も、人にはまさり、文を書き、ものうち言ひたるも、よしあるふしをなむ添へたりける」
――薫大将の君が、やっとの思いで密かにお逢いになっていらっしゃる小宰相の君(一品の宮=一の宮の侍女)という人は、容貌も美しく、気質も冴えた人であると思っていらっしゃいます。
琴や琵琶を掻き鳴らしても、その爪音や撥の音は他の人より優れていて、文を書き、ものを言うにも特別な風情があるのでした――

「この宮も、年ごろいといたきものにし給ひて、例の、言ひ破り給へど、などか、さしもめづらしげなくはあらむ、と、心強くねたきさまなるを、まめ人は、すこし人よりはことなり、と思すになむありける」
――匂宮も、以前から大そう心惹かれておいでになって、例によって、二人の恋の邪魔をしようとなさいますが、相手は、どうして他の者のように、すぐ匂宮に靡くものかと気強くはねつけているのを、気真面目な薫は他の女より勝っているとお思いになっていらっしゃる――

では12/13に。

源氏物語を読んできて(1188)

2012年12月09日 | Weblog
2012. 12/9    1188

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その28

「四十九日のわざなどせさせ給ふにも、いかなりけむことにかは、と思せば、とてもかくても罪得まじきことなれば、いと忍びて、かの律師の寺にてなむせさせ給ひける。六十僧の布施など、おほきに掟てられたり。母君も来居て、ことども添へたり。宮よりは、右近がもとに、白銀の壺に黄金入れて賜へり。人見とがむばかりおほきなるわざは、えし給はず、右近が志にてしたりければ、心知らぬ人は、『いかでかくなむ』など言ひける」
――四十九日の法事をおさせになるにも、薫はいったい浮舟はどうしたというのだろうか、もしかして生きているのではないか、とお思いになりますが、どのみち法事は罪になることではないので、ごく内輪に、例の律師(もとの阿闇梨)のお寺でお営みになります。法会に参列する六十人の僧たちへの御布施などを立派に仰せつけられます。浮舟の母君もその席に来ておりましたので、直その上に、追善のことをあれこれ加えるのでした。匂宮からは右近の許に、白銀(しろがね)の壺に黄金(こがね)を入れて賜わります。人が見咎めるほどの派手なことをなさるわけにはいきませんので、右近の志としてお供えしましたので、事情をしらない人々は、「どうしてこんな見事なものを」などと言っています――

「殿の人ども、むつまじきかぎりあまた賜へり。『あやしく、音もせざりつる人のはてを、かくあつかはせ給ふ、誰ならむ』と、今おどろく人の多かるに、常陸の守来て、心もなくあるじがり居るなむ、あやしと人々見ける」
――薫の家来たちは、親しいものばかり大勢お貸しになりました。「不思議なこともあるものだ、今まで聞いた事もない人の四十九日を、こんなに丁寧になさるとは…、いったい誰なんだろう」と、今になって驚く人が多いのに、常陸の守が来て、思慮もなく主人顔に振る舞っているのを、妙な事だと皆思っています――

「少将の子生ませて、いかめしきことせさせむ、とまどひ、家のうちになきものは少なく、唐土新羅のかざりをもしつべきに、かぎりあれば、いとあやしかりけり」
――常陸の介は、娘に少将の子を産ませて、盛大な祝いをさせようと大騒ぎし、邸内にこれといって無いものは稀なほど、唐土新羅(もろこししらぎ)つまり支那、朝鮮の舶来の装飾をしたい位なのに、その方は身分柄そう大した物もそろわず、粗末でした――

「この御法事の、忍びたるやうに思したれど、けはひこよなきを見るに、生きたらましかば、わが身にならぶべくもあらぬ、人の御宿世なりけり、と思ふ」
――(薫が催す)このご法事が、人目に立たぬようにと考慮されていましたが、この上なく立派であるのを見て、常陸の介は、浮舟がもし生きていたなら、自分とは比較にならぬその御運勢であったのだ、と思うのでした――

「宮の上も誦経し給ひ、七僧の前のこともせさせ給ひけり。今なむ、かかる人持給へりけり、と帝まで聞こし召して、おろかにもあらざりける人を、宮にかしこまりきこえて、隠しおき給へりけるを、いとほしと思しける」
――中の君もお布施を寄せられ、七僧への饗応もなさるのでした。今となって薫が浮舟と言う愛人を持っておられたのだということが帝の御耳にも達し、並々の愛情でもなかった人なのに、女二の宮に御遠慮申して、隠しておかれたことを、気の毒にお思いなされたのでした――

◆七僧(しちそう)=七僧は、講師、読師、呪願三禮唄師散華堂達を言い、四十九日にその法会がある。

では12/11に。


源氏物語を読んできて(1187)

2012年12月07日 | Weblog
2012. 12/7    1187

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その27

「かしこには、常陸の守、立ちながら来て、『折しもかくて居給へること』など腹立つ。年ごろいづくになむおはするなど、ありのままにも知らせざりければ、はかなきさまにておはすらむ、と思ひ言ひけるを、京になど迎へ給ひてむのち、面目ありて、など知らせむ、と思ひける程に、かかれば、今は隠さむもあいなくて、ありしさま泣く泣く語る」
――母君のところには常陸の守がきて、穢れ(この穢れは娘のお産)に触れまいと立ったままで、「娘の出産の折も折、よくまあこうしてのんびりしていられるものよ」と腹立たしく言う。母君は常陸の介に浮舟が今までどこにおられるかなどとは、知らせていませんでしたので、さぞかし
落ちぶれているだろうと思ってもい、言いもしていたのですが、母君は浮舟が薫に京にでもお迎えくださって後に、「実はこのように立派な身の上になりまして…」と夫へ知らせようと思っているうちにこのようになってしましましたのでした。今は隠しても仕方がないことですので、これまでの事情を泣く泣く話します――

「大将殿の御文もとり出でて見すれば、よき人かしこくして、鄙び、ものめでする人にて、おどろき臆して、うち返しうち返し、『いとめでたき御さひはいを棄てて、亡せ給ひにける人かな。おのれも殿人にて、参り仕うまつれども、近く召し仕ひ給ふこともなく、いとけだかくおはする殿なり。若き者どものこと仰せらせたるは、たのもしきことになむ』など、よろこぶを見るにも、ましておはせましかば、と思ふに、ふし転びて泣かる」
――薫からの御手紙などを取り出して見せますと、常陸の介は貴人を尊んで、田舎風の、すぐに感心する質の人なので、薫の御文に驚き畏れて、繰り返し繰り返し御文を眺めて、「大そう結構な御幸運を捨てて、お亡くなりになった人もあるものよ。自分も家来としてご奉公申し上げているが、お近くに召されてお使いいただくこともなく、まことに気高くおいでになる殿だ。子供たちの事を仰せ下さったのは、まことに頼もしい」などと喜んでいるのを見るにつけても、ああ、
生きておいでだったらと思うと、母君は臥し転んで泣くのでした――

「守も今なむうち泣きける」
――常陸の介も今になって泣くのでした――

「さるは、おはせし世には、なかなかかかるたぐひの人しも、たづね給ふべきにしもあらずかし。わがあやまちにて失ひつるもいとほし、なぐさめむ、と思すよりなむ、人のそしり、ねんごろにたづねじ、と思しける」
――(薫は)しかし、もし浮舟が生きていたならば、おそらく常陸の介の子供たちのことなど、お心にかけようとはなさらなかったであろう。自分が捨て置いたばかりに、浮舟を死なせてしまったのも可哀そうなことだったと母君を慰めようとお思いになるので、世間でとやかく言う非難などは考えまいとなさるのでした――

では12/9に。