ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

安全保障は集中よりも分散の方に軍配?

2018-09-11 07:02:41 | 世相
 こうも天変地異が立て続けに起こっては、私もさすがに気持ちが浮き足立って、どうも集中力が薄れがちになっているようです。まったくの同一日に、大切なセカンド・バッグを立て続けに2回も置き忘れ、危うくなくすところでした。

 歩き疲れて一休みしようと座ったまではよかったものの、持っていた荷物を足元とか身体の両脇とかに分散して置いたのが間違いの元でした。以前3回も同じ間違いをし、手荷物は分散させてはいけない、と肝に銘じていたはずですがこのザマです。

 手荷物が大小混ざって三つ以上の場合は、どうも分散した置き方では危ないようなのです。どうやら手荷物レベルでは一カ所に集中させる方に断然軍配が上がるようです。

 さて手荷物レベルの話とは逆に、発電所は発電規模と設置場所が分散している方が安全と初めて知りました。今回の大地震で発生した北海道全域の大規模停電=ブラックアウトのことです。
(酒で記憶が飛んでしまうこと以外にもブラックアウトという言葉があることにビックリしました。)

 発端は、震源地近くの苫東厚真火力発電所が地震の発生と同時に運転停止したことだといいます。いくつもある発電所の一つに過ぎないので、普通なら一大事にはならないで済むはずですが、そのたった一カ所の火力発電所が全道の供給電力の約半分を賄っていたことが問題を大きくしたと聞いて又ビックリでした。

 何でも北海道全域の大停電は、この火力発電所の運転停止によって電力の需給バランスが崩れてしまい、このことから周波数が維持できなくなって、全発電所がシステム全体の崩壊を防ぐため一斉に自動的運転停止に至ったからだそうです。しかも、運転再開は発電所毎に徐々に進めるしかなく、それだけに完全復旧にも時間がかかるのだそうです。

 よく聞くベースロード電源とは、こんな大規模な異常事態を防ぐのに必要な、一定レベル以上の出力を持つ安定した電源のことだそうです。ベースロード電源をこの文脈で考えてみれば、原発の再稼働ばかりか、なぜ計画停電が必要なのかもよく理解できます。この点、政府の従来の説明は下手クソかつ不十分でした。

 ベースロード電源についてやっと理解できた私などは、こんなときに震源地から遠く離れた場所にある泊原発が稼働中なら、恐らくブラックアウトを避けられたのでは・・・と、ついつい考えてしまいました。実は泊原発は、苫東厚真火力発電所と同規模の発電能力を持っているのですが、原子力規制委員会の審査待ちのために運転停止中だったのです。このことが全道の発電状況を歪なものにさせ、今回のブラックアウトを引き起こしたようなのです。

 原発といえば、その安全性は基本的に、原子炉内を核燃料冷却水が絶えず循環してさえいれば確保できる、というのが私の理解です。原子力規制委員会も、この単純な原理を基本に様々な角度から設けた審査基準に基づいて “慎重に” 再稼働の可否を検証しているのだと思います。

 厳しすぎるぐらい厳しい審査基準と聞きますから、この基準で検証された結果はその範囲内でほぼ100%信頼できるものだと思います。これは即ち “安心できる” ことを意味します。自然科学の守備範囲は信頼性(再現性)の有無であって、残念ながら、“安心” という心情についてはその守備範囲ではありません。

 一方、今をときめく再生可能エネルギーですが、現実に普及されるにつれ深刻な問題のあることが明らかになってきました。

 太陽光発電については、発電設備(ソーラーパネル)が広大な山野を伐採して設置されるため、大規模な自然環境破壊が進行しているのが大問題で、土砂災害の誘因となることも明らかになりつつあります。風力発電についても、騒音公害ばかりか肝腎の風で風車が倒壊する恐れのあることが明らかになりました。つい最近、設計上十分耐えられる台風20号程度の風で風車が倒壊した淡路島の事例には、正直唖然とさせられました。そして両者の最大の問題は、どちらも安定した出力が期待できない電源ということで共通しています。

 現代社会は、物理的なエネルギーでさえ電力に変換しなければ何事にも利用できなくなっています。日常生活や経済のすべてが金融(お金)に支配されているのと同じように、生きていること自体が電力の供給状況に支配されていると言っても過言ではありません。これは紛れもない事実です。

 安全保障は、軍事的側面ばかりが強調されがちですが、エネルギー安全保障も国家的に大きな問題です。唐突ですが、事のついでにこの問題を少し述べてみます。

 私も戦争には反対です。ただし、軍事力行使を全否定するような平和主義を掲げていたら、周辺国から無抵抗と舐められて常に横暴の危険に晒され続けるだけです。やはり米国との同盟関係を保ち、軍事的に安全を分かち合うことが断然必要だと思います。

 これと同じようにエネルギー安全保障についても、やはり多様な発電設備を国内に分散させ、それぞれの長所と短所をうまく組み合わせることによってベースロード電源を確保することが必須と考えさせられました。つまり安全保障については、いずれも集中よりも分散の方に軍配が上がるようなのです。

 福島第二原発による放射能惨禍を目の当たりにし、とかく感情的・イデオロギー的な否定論がまかり通っているのが原発問題です。が、電力に完全支配されている日常生活全般の現実を冷静に直視すれば、輸入による化石燃料に依存しない原発に、ベースロード電源としても頼らざるを得ないと思います。

 今こそエネルギー安全保障について、より現実的な価値判断が国民に求められているのではないでしょうか? 専門家任せではなく、感情に左右されない国民的レベルの科学的議論が不可欠なのです。そのために政府には、ベースロード電源とは何かなど、国民によりわかりやすい科学的な説明が是非とも望まれる次第です。

(エネルギー安全保障について危機的状況を目の当たりにし、今回はチョット気合いを入れてみました。)



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