断酒歴丸12年の仲間・カメさんが、“がん” で亡くなりました。私がAAのミーティングに通い始めた頃に知り合った、ソーバー(飲まない生活)が7年も “先往く” 仲間でした。
今回は私のメモの断片から、ミーティングで語ってくれた彼の半生をご紹介し、彼の死を悼みたいと思います。記憶力の定かでない私ですが、それだけ印象が強かったのでメモに残していたのだと思います。
* * * * *
土木関係の会社で現場監督をやっていたが、毎朝、酒を飲んで出社するようになり退社せざるを得なくなった。挨拶もせず逃げるような退社だった。
千円を握りしめ一日中パチンコに明け暮れる毎日で、勝てばスナックで飲み歩き、負ければ大阪・梅田から実家の千里まで歩いて帰っていた。一時、扇町公園でホームレスをしていたこともあった。
“最後の一杯”は、曾根崎警察の警察官3~4人につれられて実家に戻ったときのこと。母親にブランディを持ってこさせて最後の一杯を飲んだものの、直ぐ戻して結局飲めなかった。
“転機” は何度もあったが、最初の精神科病院入院、大腿骨骨頭壊死、がん末期という診断を受けたことの3つが大きな転機だった。
一般の精神科病院に入院したときは、最初の2ヵ月間は閉鎖病棟、しかもその何日間は拘束され、拘束されてもベッドを壊すほどだった。黄疸で黄色になった目がアルコールで血走っており、肌もどす黒かった。このとき自分がアル中だと自覚した。
断酒して3年後、両脚に痛みを感じだし、それが(アルコール乱用による)大腿骨骨頭壊死の症状だった。年一回ずつ手術を受け、その結果、杖をつかねばならなくなって否応なしにソーバーが身についた。
そして断酒9年後、肝臓の辺りに痛みを感じて検査を受けた結果、“がん” を宣告されてしまった。
* * * * *
アルコールの仕業とは言え、何とも彼は凄まじくも出鱈目な生き方をしていたものです。AAのミーティングに通い始めた頃は、彼も一般論でしか語れなかったようですが、不評と気づいたので以来、具体的な体験を話すように心懸けたとも言っていました。
以下は、ミーティンの折々に語ってくれた含蓄のある彼の言葉そのもの(だったはず)です。いかに私がカメさんの影響を受けたのかがよくわかりました。
断酒7年8ヵ月頃:
ネットの良からぬサイトに衝動に駆られて入ってしまった。そのときハッキングされたらしく、数十万払わないとメル友皆に秘密をバラすと脅されている。7年もの長いソーバーなのに、まるで飲酒欲求に駆られでもしたかのようなことを今でもしでかしている。
断酒9年4ヵ月頃:
1年2ヵ月前から通い始めたグループ作業所。その職種が変わって職場の人間関係がヒドいことになっている。殺してやろうかと思い詰めるほど強いストレスに悩まされている。スポンサーや医者に相談したら、自分の考えに囚われ過ぎと言われ、憑き物が落ちた気持ちになった。仕事をするにしても程々にし、人との間合いをとることが大切だと心掛けている。
断酒9年5ヵ月頃:
最近、肝臓の辺りが痛いので検査してもらった。家族同伴で来いと言われ、ある程度覚悟して結果を聞きに行った。そしたら、S字結腸がんの肝転移でステージ Ⅳと言われた。ソーバー 3年の頃に大腿骨骨頭壊死と言われ、手術を3回受けた経験がある。そのお蔭でジタバタせず、ありのままに受け入れることが出来るようになった。
断酒10年1ヵ月頃:
当初、原発巣の大腸 “がん” の手術からという話だったが、もうそんな余裕がなくなって化学療法を受けている。余命2年半と言われて、今でもう半年が過ぎた。(私の)スポンサーも “がん” 死したが、仲間からスポンサーがしたくとも出来なかった “がん” 闘病中の飲まない生活を語れと言われ、現在そのつもりで取り組んでいる。CT検査の結果、前頭葉の萎縮が元通りになったと言われた。
死の1週間前、カメさんと同時期にAAに繋がった仲間がカメさんの入院していたホスピスに見舞いに行ったとき、彼はすでに目をまともに向けていられないほど衰弱していたそうです。
断酒12年0ヵ月:
「酒と死ぬのとどっちが怖い?」最後にこう聞いてみたところ、
「酒が怖い!」
カメさんは、こう答えてくれたそうです。これがカメさんの語った最期の言葉だったと、その仲間は涙ながらに語っていました。
死を目前にして自分をありのままに受け入れ、自分に正直に語った潔い言葉だと思います。12年前ソーバーを始めた丁度その日に逝かれたカメさん、どうぞ安らかにお休みください。合掌!
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今回は私のメモの断片から、ミーティングで語ってくれた彼の半生をご紹介し、彼の死を悼みたいと思います。記憶力の定かでない私ですが、それだけ印象が強かったのでメモに残していたのだと思います。
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土木関係の会社で現場監督をやっていたが、毎朝、酒を飲んで出社するようになり退社せざるを得なくなった。挨拶もせず逃げるような退社だった。
千円を握りしめ一日中パチンコに明け暮れる毎日で、勝てばスナックで飲み歩き、負ければ大阪・梅田から実家の千里まで歩いて帰っていた。一時、扇町公園でホームレスをしていたこともあった。
“最後の一杯”は、曾根崎警察の警察官3~4人につれられて実家に戻ったときのこと。母親にブランディを持ってこさせて最後の一杯を飲んだものの、直ぐ戻して結局飲めなかった。
“転機” は何度もあったが、最初の精神科病院入院、大腿骨骨頭壊死、がん末期という診断を受けたことの3つが大きな転機だった。
一般の精神科病院に入院したときは、最初の2ヵ月間は閉鎖病棟、しかもその何日間は拘束され、拘束されてもベッドを壊すほどだった。黄疸で黄色になった目がアルコールで血走っており、肌もどす黒かった。このとき自分がアル中だと自覚した。
断酒して3年後、両脚に痛みを感じだし、それが(アルコール乱用による)大腿骨骨頭壊死の症状だった。年一回ずつ手術を受け、その結果、杖をつかねばならなくなって否応なしにソーバーが身についた。
そして断酒9年後、肝臓の辺りに痛みを感じて検査を受けた結果、“がん” を宣告されてしまった。
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アルコールの仕業とは言え、何とも彼は凄まじくも出鱈目な生き方をしていたものです。AAのミーティングに通い始めた頃は、彼も一般論でしか語れなかったようですが、不評と気づいたので以来、具体的な体験を話すように心懸けたとも言っていました。
以下は、ミーティンの折々に語ってくれた含蓄のある彼の言葉そのもの(だったはず)です。いかに私がカメさんの影響を受けたのかがよくわかりました。
断酒7年8ヵ月頃:
ネットの良からぬサイトに衝動に駆られて入ってしまった。そのときハッキングされたらしく、数十万払わないとメル友皆に秘密をバラすと脅されている。7年もの長いソーバーなのに、まるで飲酒欲求に駆られでもしたかのようなことを今でもしでかしている。
断酒9年4ヵ月頃:
1年2ヵ月前から通い始めたグループ作業所。その職種が変わって職場の人間関係がヒドいことになっている。殺してやろうかと思い詰めるほど強いストレスに悩まされている。スポンサーや医者に相談したら、自分の考えに囚われ過ぎと言われ、憑き物が落ちた気持ちになった。仕事をするにしても程々にし、人との間合いをとることが大切だと心掛けている。
断酒9年5ヵ月頃:
最近、肝臓の辺りが痛いので検査してもらった。家族同伴で来いと言われ、ある程度覚悟して結果を聞きに行った。そしたら、S字結腸がんの肝転移でステージ Ⅳと言われた。ソーバー 3年の頃に大腿骨骨頭壊死と言われ、手術を3回受けた経験がある。そのお蔭でジタバタせず、ありのままに受け入れることが出来るようになった。
断酒10年1ヵ月頃:
当初、原発巣の大腸 “がん” の手術からという話だったが、もうそんな余裕がなくなって化学療法を受けている。余命2年半と言われて、今でもう半年が過ぎた。(私の)スポンサーも “がん” 死したが、仲間からスポンサーがしたくとも出来なかった “がん” 闘病中の飲まない生活を語れと言われ、現在そのつもりで取り組んでいる。CT検査の結果、前頭葉の萎縮が元通りになったと言われた。
死の1週間前、カメさんと同時期にAAに繋がった仲間がカメさんの入院していたホスピスに見舞いに行ったとき、彼はすでに目をまともに向けていられないほど衰弱していたそうです。
断酒12年0ヵ月:
「酒と死ぬのとどっちが怖い?」最後にこう聞いてみたところ、
「酒が怖い!」
カメさんは、こう答えてくれたそうです。これがカメさんの語った最期の言葉だったと、その仲間は涙ながらに語っていました。
死を目前にして自分をありのままに受け入れ、自分に正直に語った潔い言葉だと思います。12年前ソーバーを始めた丁度その日に逝かれたカメさん、どうぞ安らかにお休みください。合掌!
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おはようございます
壮絶な人生を歩んでこられた
カメさんに 合掌
そしてソーバーの方々に
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失礼ながら
リアクションボタンを
全て押させていただきます
その生き様を少しでも偲んでいただけたなら、
よい供養になると思います。
コメントありがとうございました。