「回復期を維持するには自助会に参加するしかありません。励みとなる生きたお手本が身近にいて、悩みを分かち合え安心感も与えてもらえるからです。」私が通うアルコール専門クリニックでしきりに繰り返される言葉です。確かに、自助会に参加し続ける意義の一端を語った言葉だと思います。
参加歴がまだ2年半に満たない私ですが、Alcoholics Anonymous(AA )のミーティングはアルコールで害された脳のリハビリの場なのだと思えて仕方ありません。第一に挙げられるべき存在意義は、脳を回復に向かわせる機会を提供する恰好の場であること、つまり認知行動療法のひとつ “言語化” を実践する道場であることなのではないでしょうか?
アル中の人ばかりが集まる会合と聞いたら、さぞかし奇妙な雰囲気じゃないかと想像されるかもしれませんが、その実像は極めて真面目で静かな雰囲気の中で行われています。むしろ厳かと表現した方がいいのかもしれません。参加者の服装も常識的な大人しい身なりが多く、どこにでもいる普通の人と変わりません。中には遊び人だった頃と変わらない奇抜な身なりの人もいますが、至ってまれです。概ね穏やかな顔つきの人々が揃っています。
AAは縛りの緩い自由な共同体(の集合)です。厳密な意味でいうと組織化された団体ではありません。その実態は、アルコール依存症と宣告された個々人が、自らの意志で各々任意に集う会合です。その会合の場をミーティングと呼んでいます。メンバー(AAでは “仲間” と呼びます)になるには、いずれかのオープンミーティングに出席し、入会したいと告げさえすれば済みます。オープンミーティングなら、会場がどこであろうと誰でも参加でき、予約などの手続きは何も要りません。
AAのミーティングでは、出席者が守るべきルールがあります。
● 本名ではなくニックネームを名乗ること
● “言いっぱなし 聞きっぱなし” に徹すること
● 話題をアルコール絡みの問題に限るよう心掛けること
● 秘密保持に努め、撮影・録音・メモの類は御法度であること
● 会の運営費を賄うため少額でも献金すること
以上の5つだけです。
ホームグループが全国に無数点在し、ミーティングを主催・運営しています。ホームグループに所属するのも、所属しないでいるのもメンバーの自由です。メンバーは、所属グループに関わりなくどこのミーティングでも自由に出席することができます。
メンバーは、年齢も性別も職歴も断酒歴も様々です。出席者を見ていると、20歳代の人もいれば80歳代の人もいますし、3割ぐらいは女性です。断酒を始めて間もない初心者の人もいれば、10~20年と長い断酒歴のベテランの人や、当然これらの中間の断酒歴の人、中にはまだ断酒し切れていない人もいます。皆いつ暴走するか分からないアルコール依存症を背負い、死と背中合わせのままに酒を断って生きていこうとしている、メンバーの共通項はこの一点だけです。
ミーティングは、当日の司会者によるハンドブックの序文朗読、志願者による『回復のプログラム』の短い章の朗読、再び司会者によるテーマの設定と導入的な自らの体験談、メンバーの体験談の順に進められます。司会者によっては自らの体験談の方が先で、テーマの宣言が後のことも結構あります。ミーティングごとに司会者が交代し、テーマもその都度変わるのが原則ですが、偶然同じテーマが連続することも間々あります。
テーマとして繰り返し採用されるものに次のようなものがあります。
“今日一日”、“自分(or今)を大切に”、“アルコールに無力”、“底着き(体験)”、“心の落ち着き”、“ありのままを ありのままに受け入れる”、“転機”、“感謝”、“第一のことは第一に” ・・・など、一見禅問答と見まがうかもしれません。AAではミーティングの都度テーマを設定していますが、■X△断酒会など他の自助会ではテーマなしでやっているそうです。AAが他の自助会と大きく異なる点の一つです。
司会者が体験談を語り終えると愈々メンバーの語る番となり、司会者の指名により順に発言していきます。司会者の話やその後のメンバーの話に触発され、各人がテーマに沿って過去に体験したエピソードや現在抱えている悩み、近頃思うところなどを語るのです。たとえテーマに沿わないことであっても発言したいことがあれば、いつでも挙手して発言することもできます。その間、他のメンバーは黙想し続け、ひたすら聞き役に回るだけです。黙って聴いていると、頭の中をさまざまな記憶が去来します。
語られる体験はアルコール絡みの酒害体験がほとんどです。メンバーが歩んできた背景は様々ですが、同じアルコール依存症者として経験してきたことは驚くほど似通っています。それぞれが苦しんできた酒害体験と、それに至った心理には共通するところが多いのです。たとえ詳しい説明が省かれた話でも、結構理解し合えるのはこのためです。
テーマがその場の共通の土俵というのも大いに意味があると考えています。テーマが決められていることで、話題はテーマに沿ったものという前提で聴くことができます。聴き手にとって、これほど聞きやすい環境はありません。
テーマが告げられてから語り始めるまでの間、発言者に筋の展開を吟味するなど心の余裕はほとんどありません。この心理的ゆとりのなさも、思わぬ舞台効果を発揮します。ある意味シナリオのない一人舞台で、つい本音を吐露してしまうことになるのです。
初心者なら殊に、咄嗟に思い当たったエピソードを起点に話し始めるのですが、自分でも思わぬ方向に話が飛んで、その本音の展開に話していてビックリすることがあります。ふと口走った言葉が、できれば隠しておきたかった本音と気付きハッとすることもあります。口から出た途端、肩の荷が下りたと実感されるものですから、それ以後隠し立てしても無駄と思うようになれるのです。そんなわけで、話の筋立ては別にしても、生々しく語られた言葉は正直で誠実なものと考えざるを得なくなります。
誠実に語られた話というのは、たとえ筋が飛んでいたにしても、チクチク記憶を刺激するものです。去来する自分の記憶と呼応し、共感できることが多いばかりか、「なるほど そう考えるのか?!」とかつての自分の至らなさを思い知らされることがあるのです。
もちろん共感できる話ばかりではありません。腹立たしさを覚え、とても不愉快になる場合も時にはあります。自分の欠点と共通する嫌な性格が見えてしまい、ついそれに反発しているからだと、今ではそう考えるようにしています。腹立たしさを感じる時も、心が安らぐ時も、すべての要素は自分の内にある、こう思えるようになるまでそう時間はかかりませんでした。
次回はミーティングの持つ実用的な御利益の話をします。(中)に続きます。
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参加歴がまだ2年半に満たない私ですが、Alcoholics Anonymous(AA )のミーティングはアルコールで害された脳のリハビリの場なのだと思えて仕方ありません。第一に挙げられるべき存在意義は、脳を回復に向かわせる機会を提供する恰好の場であること、つまり認知行動療法のひとつ “言語化” を実践する道場であることなのではないでしょうか?
アル中の人ばかりが集まる会合と聞いたら、さぞかし奇妙な雰囲気じゃないかと想像されるかもしれませんが、その実像は極めて真面目で静かな雰囲気の中で行われています。むしろ厳かと表現した方がいいのかもしれません。参加者の服装も常識的な大人しい身なりが多く、どこにでもいる普通の人と変わりません。中には遊び人だった頃と変わらない奇抜な身なりの人もいますが、至ってまれです。概ね穏やかな顔つきの人々が揃っています。
AAは縛りの緩い自由な共同体(の集合)です。厳密な意味でいうと組織化された団体ではありません。その実態は、アルコール依存症と宣告された個々人が、自らの意志で各々任意に集う会合です。その会合の場をミーティングと呼んでいます。メンバー(AAでは “仲間” と呼びます)になるには、いずれかのオープンミーティングに出席し、入会したいと告げさえすれば済みます。オープンミーティングなら、会場がどこであろうと誰でも参加でき、予約などの手続きは何も要りません。
AAのミーティングでは、出席者が守るべきルールがあります。
● 本名ではなくニックネームを名乗ること
● “言いっぱなし 聞きっぱなし” に徹すること
● 話題をアルコール絡みの問題に限るよう心掛けること
● 秘密保持に努め、撮影・録音・メモの類は御法度であること
● 会の運営費を賄うため少額でも献金すること
以上の5つだけです。
ホームグループが全国に無数点在し、ミーティングを主催・運営しています。ホームグループに所属するのも、所属しないでいるのもメンバーの自由です。メンバーは、所属グループに関わりなくどこのミーティングでも自由に出席することができます。
メンバーは、年齢も性別も職歴も断酒歴も様々です。出席者を見ていると、20歳代の人もいれば80歳代の人もいますし、3割ぐらいは女性です。断酒を始めて間もない初心者の人もいれば、10~20年と長い断酒歴のベテランの人や、当然これらの中間の断酒歴の人、中にはまだ断酒し切れていない人もいます。皆いつ暴走するか分からないアルコール依存症を背負い、死と背中合わせのままに酒を断って生きていこうとしている、メンバーの共通項はこの一点だけです。
ミーティングは、当日の司会者によるハンドブックの序文朗読、志願者による『回復のプログラム』の短い章の朗読、再び司会者によるテーマの設定と導入的な自らの体験談、メンバーの体験談の順に進められます。司会者によっては自らの体験談の方が先で、テーマの宣言が後のことも結構あります。ミーティングごとに司会者が交代し、テーマもその都度変わるのが原則ですが、偶然同じテーマが連続することも間々あります。
テーマとして繰り返し採用されるものに次のようなものがあります。
“今日一日”、“自分(or今)を大切に”、“アルコールに無力”、“底着き(体験)”、“心の落ち着き”、“ありのままを ありのままに受け入れる”、“転機”、“感謝”、“第一のことは第一に” ・・・など、一見禅問答と見まがうかもしれません。AAではミーティングの都度テーマを設定していますが、■X△断酒会など他の自助会ではテーマなしでやっているそうです。AAが他の自助会と大きく異なる点の一つです。
司会者が体験談を語り終えると愈々メンバーの語る番となり、司会者の指名により順に発言していきます。司会者の話やその後のメンバーの話に触発され、各人がテーマに沿って過去に体験したエピソードや現在抱えている悩み、近頃思うところなどを語るのです。たとえテーマに沿わないことであっても発言したいことがあれば、いつでも挙手して発言することもできます。その間、他のメンバーは黙想し続け、ひたすら聞き役に回るだけです。黙って聴いていると、頭の中をさまざまな記憶が去来します。
語られる体験はアルコール絡みの酒害体験がほとんどです。メンバーが歩んできた背景は様々ですが、同じアルコール依存症者として経験してきたことは驚くほど似通っています。それぞれが苦しんできた酒害体験と、それに至った心理には共通するところが多いのです。たとえ詳しい説明が省かれた話でも、結構理解し合えるのはこのためです。
テーマがその場の共通の土俵というのも大いに意味があると考えています。テーマが決められていることで、話題はテーマに沿ったものという前提で聴くことができます。聴き手にとって、これほど聞きやすい環境はありません。
テーマが告げられてから語り始めるまでの間、発言者に筋の展開を吟味するなど心の余裕はほとんどありません。この心理的ゆとりのなさも、思わぬ舞台効果を発揮します。ある意味シナリオのない一人舞台で、つい本音を吐露してしまうことになるのです。
初心者なら殊に、咄嗟に思い当たったエピソードを起点に話し始めるのですが、自分でも思わぬ方向に話が飛んで、その本音の展開に話していてビックリすることがあります。ふと口走った言葉が、できれば隠しておきたかった本音と気付きハッとすることもあります。口から出た途端、肩の荷が下りたと実感されるものですから、それ以後隠し立てしても無駄と思うようになれるのです。そんなわけで、話の筋立ては別にしても、生々しく語られた言葉は正直で誠実なものと考えざるを得なくなります。
誠実に語られた話というのは、たとえ筋が飛んでいたにしても、チクチク記憶を刺激するものです。去来する自分の記憶と呼応し、共感できることが多いばかりか、「なるほど そう考えるのか?!」とかつての自分の至らなさを思い知らされることがあるのです。
もちろん共感できる話ばかりではありません。腹立たしさを覚え、とても不愉快になる場合も時にはあります。自分の欠点と共通する嫌な性格が見えてしまい、ついそれに反発しているからだと、今ではそう考えるようにしています。腹立たしさを感じる時も、心が安らぐ時も、すべての要素は自分の内にある、こう思えるようになるまでそう時間はかかりませんでした。
次回はミーティングの持つ実用的な御利益の話をします。(中)に続きます。
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大変興味深く読みました。
自分を語る場所があるのは、AAに限らず大切ですね。
自分の弱さを人の口を通じて感じる。
自分の経験が、共感する相手がいる。今日までの日々が相手を勇気づけ相互に、新たな気持ちになれるというのは、そうどこにもココにも転がっているものではない気がしました。
次の記事が待たれます
ありがとうございました
AAは患者自助会の原型と聞いております。
少しでもその具体像を思い浮かべていただけたなら、
投稿したかいがあったと言うものです。
AAは参加するのに何も心配はいりません。
多くの方が不安がらずに参加してくれるよう
次回も続けてみようと思います。
ご期待ください。
読者登録ありがとうございます。
このブログ大変興味深く読ませていただきました。
私の場合は、鬱なのですが同じように語れる場所があります。
これからもよろしくお願いいたします。
私は脳のリハビリのため
週1回投稿しています。
今後ともよろしくお願いします。