RunRunTako

takoのラン日記

ほそぼそと続けます

2021年03月07日 13時23分33秒 | ランニング
一晩寝て気持ちを切り替えられました。
またがんばっていこうと思っています。
でも、もう治らない可能性はあるのだなあと
思うようになりました。
橘にはもう出られないのかもしれないなあとも。
5月の橘があるころまでに走れるようになるのは
絶望的な気がしてます。
なので、気持ちはかなり低迷したままです。

そんななかで、今朝は5時からご近所550m周回路を
試行錯誤のランで7周しました。
はやく「ランナー」にもどりたいなあという思いがあって
きょうは走ることにしました。
きのうは緊張が強くてできなかった動きができました。
緊張を回避するのは、すごく繊細で微妙で難しいんです。
だから、きのうのように遠くに行くということで
多少気持ちに緊張があると
うまくできなくなるんだと思います。
そういう難易度が練習を重ねて「慣れ」を生むことで
下がってくれないかなと思ってます。

ところで、このあいだ描きかけの絵でTwitterでバズってしまい、
改めてたくさんの人に記事を見られることについて
考えさせられました。
これまで、たくさんの人にここを見てもらえるのが
うれしいと感じてましたが、
よく考えたら、
どこのだれともわからない多くの人が見ているのであり、
それって気持ち悪いじゃないかと思うようになりました。
べつにブログで稼ぐプロではないので
見てもらったからといってなにか報酬があるわけでもないし、
だったら、あんまり見てもらわないほうがいいんじゃないかと
思いました。
ブログ見てるよと言ってくる人に
「見てくれてありがとう」と挨拶してたけど、
なんでありがとうなんだろう?という気持ちがずっとありました。
それって、街を歩いててふと目があった人に
わたしを見てくれてありがとうというのと同じじゃないかなと思うんです。
おかしなことです。
タレントのように見られて稼ぐ人なら
見てくれてありがとうですが、
わたしはそうじゃない。
見てる人になにかしてもらってるわけじゃない。
実際、これまでとても苦しい思いをしてきたけど
見てる人が力になってくれたわけじゃありません。
見られることは力になんかなりません。
力づけるコメントをもらえてはじめて力がもらえるんです。
それに、よくネットを通じてつながってると言うけど
コメントのやりとりをしてはじめてつながってるんです。
見る側の人はわたしの消息を知ることができるでしょうが
わたしのほうでは見てる人のことはわからないので、
いくら見てる人がわたしとつながってると思っても
わたしのほうではあなたのことは
なにも知らないのです。
それではつながってるとは言えません。

これまでは不特定多数の人に向けて
記事を書いてました。
面白くなるようにとかいろいろ考えて書いてました。
でも、
どこのだれとも知らない人に向けて報告するって
そのために労力を使うのは意味がない気がしてきたので
やめることにします。

それで、これまでSNSにリンクを貼ったりしてましたが
やめることにしました。
そしたら、きのうはアクセスが100を切りました。
これでいいかなと思います。
これからは知り合いに向けての報告と
ガス抜きと忘備録のために
ほそぼそと書いていくことにします。