沖縄の新聞が「終戦記念日」をどう報じるのか興味があったので空港で2紙を買い求めました。ちなみに、読売、朝日、毎日、日経の1面には「終戦記念日」に関する情報、文字が踊っていました。
さて、沖縄地元紙の琉球新報、沖縄タイムスの一面です。皆さんはこれを見て何を感じますか。沖縄にとって基地問題は、「終戦記念日」よりはるかに大事なことだということがひと目で分かります。
これが「本土」と「沖縄」の温度差なのでしょう。「本土」では60年代の奇跡の高度経済成長を経て、「戦後は終わった」とされました。しかし、沖縄にとって「戦後」はまだ終わっていないということなのでしょう。両紙の一面はほぼ写真1枚で成り立っています。異例の編集ではないでしょうか。これが沖縄にとって現実の「8月15日」なのです。見た瞬間、自分の勘違いぶりも含めて、ゾクッとしました。
八月十五日。終戦記念日を沖縄で迎えた。沖縄の人にとっては当たり前のことだけど。
69年前の今日、日本人は「戦前」から決別し、自由と平和を手に入れたが、その代わりに失ったものはあまりにも甚大過ぎて言葉にできない。
今、国際通りをホテルの窓から眺めている。外に空襲警報はなく、爆発音も悲鳴もない。絵にかいたような平和な光景が目の前に広がる。至極当たり前の光景だが、「当たり前」ではない時代があったことを忘れてはならない。死ぬことが国家により「義務付けられた」時代があったことを決して忘れてはならない。
せめて今日1日は、強制された死以外に選択肢の無かった戦没者の「想い」に想いを寄せて欲しいと思う。
あなた方の尊い犠牲の上に今の日本の繁栄はあります。