黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

時間三昧

2016年10月18日 16時17分49秒 | ファンタジー

 時間貧乏とか貧乏暇なし、器用貧乏、学者貧乏など、いかにもせわしない熟語を目にすると、何だかうら寂しくなってくる。質素なら身ぎれいでいさぎよい感じがするが、貧乏はいけない。だが、そういう熟語がいっぱいあるのは、昔からゆったりした満足げな境地と縁遠い人たちが多いということなのだろう。
 私の場合、日中は財布が壊れるほど時間があり余っている。とくに、昼にならないかと時計を見ているときは、秒針は回転するが分針はめったに動かないので私も動けない。休日は、家にいると、あれもこれも用事を頼まれるので、私の時間は目にも止まらないほど一目散に行ってしまう。つながれているので外出もできない。
 月曜日、夫が会社へ出かけると奥様方はほっとするらしいが、夫たちも同じくほっとする。そうこうするうち、平日、暇を持てあますことに慣れてきて、時間が長ければ長いほど、たくさんの仕事や趣味がこなせる、と思うようになった。貧乏転じて贅沢という言葉にはまだお目にかかっていないが、今どきは時間三昧の日々である。(2016.10.18)


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ウッドストック ビッグピンク

2016年10月17日 17時29分16秒 | ファンタジー

 先日、ウッドストックを懐かしんでいたら、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞のニュースが飛び込んできた。1969年、この地でフェスティバルが行われたころ、ビッグピンクと呼ばれた家が近郊にあって、そこにディランが家族とともに静養していた。付近には名だたるシンガーたちも住んでいたという。
 彼はバイク事故で首の骨を折って、再起不能だといううわさが流れていた。事故の件はきっと大げさに伝えられたのだろうが、長いブランクを置いて発表された「レイレディレイ」の歌を聞いたときは飛び上がった。彼の声が透き通るような美声になっていたからだ。
 ウイキペディアによれば、ウッドストックがコンサートの開催地になったのは、企画者たちが、ディランたちの住まいの近くにレコーディングスタジオを作るための資金集めをしようとしたからだという。彼らがそこにいなければ、時代を画すと言わないまでも、時代の影をあからさまに映し出したウッドストックフェスティバルは行われなかったかもしれない。
 ピンクの外観の家には、後日、ザ・バンドとしてデビューするメンバーもいて、ひそかにデモテープを大量に製作していた。この家には今、それらのことに価値を見出した別の家族が住んでいる。数年前、テレビの映像で家の中までのぞき見た。
 ところで、ボブ・ディランのノーベル賞受賞を懐古趣味のように評する向きがあるが、私はそうは思わない。彼がディランでなかったなら、今の世界の音楽シーンはまったく別ものになっていたはずだ、ベートーベンが存在しなかったらと想像するのと同等なくらいに。
 なので、ディランに文学賞はなじまないという人もいる。一方で、音楽と文学は切っても切り離せない一体的なものという考えもある。そうだとしたら、文学にこだわらないで、芸術賞に集約してはどうか。などと、選考委員でもなく金を出すでもない人々が口を出すのは自由だ。(2016.10.17)
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ウッドストックのDVD

2016年10月11日 11時45分20秒 | ファンタジー

 数日前のこと。ふと、十代に一度だけ見た映画、ウッドストックフェスティバルの騒音の中にもう一度どっぷり浸かりたいと思った。ジャニス、コッカーの後ろにいたレオン・ラッセル、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、CSN(クロスビー・スティルス・ナッシュ)、ザフー、早世したジミー・ヘンドリックスなど、懐かしくて泣けてしまいそうな面々が浮かぶ。
 実は数年前から、断続的にその衝動がよみがえっている。その度に、DVDを手に入れたいと思うのだが、なかなか購入の決心がつかない。きっと、家のブルーレイデッキにかけたとたん、妻は耳障りだと怒り出し、はな は鼓膜が破れると大きな声で文句を言うだろう、と私の心がビビってしまうからなのか。ちなみにストーンズのライブ版DVDは持っている。
 ところで、家には元々、パイオニア製の古風なセパレート型ステレオ一式があったが、若いころ、音楽好きの独りよがりの趣味にまかせて、ソニー製のプリメーンアンプとそのころ流行だったダブルのテープデッキを買った。その数年後、スピーカーをダイアトーンの3ウェイに取り替えた。安物のテープデッキは早々に、そこそこの値段だったスピーカーも二十年くらい経つころには調子が悪くなった。今では家でほとんど音楽を聞かなくなったので、埃をかぶったスピーカーはつながったままでも支障はないが。二台目の東芝製ビデオ・DVDデッキは壊れたわけではないが、線を外されて置物になっている。
 今でもシャンとしているのは、ソニーのアンプとパイオニアのレコードプレーヤー、ラジオチューナー。十数年前ころ、レコードプレーヤーのターンテーブルを回すゴム輪が劣化したので、直接パイオニアに電話したら替えの製品をすぐ送ってくれた。パイオニアがリストラでゴタゴタしているのは残念だ。ナガオカのレコード針も替えを二本手に入れたが、使うことはもうないだろう。
 そんなわけで、若いころに興味のあったことがランダムにぶり返してきて、ジワジワと私の精神を侵食してきているような気がする。こういう気持ちは年寄りに共通するものなのか、この傾向に素直に従った方がいいのか、それとも、このままだと世にも迷惑なわがまま老人になってしまうのか、今のところ判断はつかない。(2016.10.11)

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