時間貧乏とか貧乏暇なし、器用貧乏、学者貧乏など、いかにもせわしない熟語を目にすると、何だかうら寂しくなってくる。質素なら身ぎれいでいさぎよい感じがするが、貧乏はいけない。だが、そういう熟語がいっぱいあるのは、昔からゆったりした満足げな境地と縁遠い人たちが多いということなのだろう。
私の場合、日中は財布が壊れるほど時間があり余っている。とくに、昼にならないかと時計を見ているときは、秒針は回転するが分針はめったに動かないので私も動けない。休日は、家にいると、あれもこれも用事を頼まれるので、私の時間は目にも止まらないほど一目散に行ってしまう。つながれているので外出もできない。
月曜日、夫が会社へ出かけると奥様方はほっとするらしいが、夫たちも同じくほっとする。そうこうするうち、平日、暇を持てあますことに慣れてきて、時間が長ければ長いほど、たくさんの仕事や趣味がこなせる、と思うようになった。貧乏転じて贅沢という言葉にはまだお目にかかっていないが、今どきは時間三昧の日々である。(2016.10.18)