黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

渡海しなかった蕨手刀

2021年10月28日 17時03分30秒 | ファンタジー
 正倉院には、「エミシの刀」とも呼ばれる蕨手(わらびて)刀がしまい込まれていると聞いていたので、今回の宝物展で出会えるかと期待に胸膨らませたのだが展示されていなかった。北海道に持ち込むと何か不穏な事態が起きるかも、と懸念されたわけではあるまいが実に残念だ。正倉院のものは写真で見ているし、錆びついてボロボロの現物(上の写真)も知っているが、正倉院のは別物。千数百年の時を超えて現代によみがえった新品そのものなのだ。
 また、新羅で製作されたとされる「佐波理加盤(さはりのかばん)」というネーミングの入れ子の鋺があった。今回は陳列されなかったが、「響銅八重鋺 (さはりやえまり)」も同じ構造の器なのだろう。さはりとは、銅、錫、鉛の合金で製作したものの名称。光沢のある八つの器を重ねたままでも、鋺のふちを弾いたら荘厳なとてもいい音がしそうだ。
 ところで、今、札幌で開催中の展覧会に陳列された数々の宝物は、すべて再現模造されたもの。当時の製作技術を解明することから始まったであろうこの作業は、涙なしには語れないくらい、とてつもない努力と時間を要したことだろう。私にはそんな根性は1ミリもない。(2021.10.28)

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中空土偶がいた

2021年10月22日 23時03分17秒 | ファンタジー
 中国の殷代と同時代のおよそ3500年前、北海道の縄文人集落、垣ノ島遺跡にほど近い著保内野遺跡から出土した中空土偶。北海道で初めて国宝に指定された。精緻でつややかな文様をまとった造形の完成度は相当高い。ご覧のとおり両腕がない。意図的に壊されたのではと言われている。というのは、手足の部分の粘土が、本体に比べずっと薄っぺらく作られているのだ。集落の人々の身代わりになって、あえて壊され埋められたのだろうか。(2021.10.22)
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この穴 直径1メートル

2021年10月09日 21時48分35秒 | ファンタジー
 上の写真の中央辺りの左右に、二つの穴の跡が見える。その向こうに低いマウンドがある。正面が真北の方向。その穴に近づいてみたのが次の写真。
 
 ここは函館市の外れ、垣ノ島遺跡。9000年前から3000年前までの6000年間という気の遠くなるくらいの期間、縄文の人々が暮らし続けた遺跡で、列島で2番目に古い縄文遺跡だという。ちなみに最古の集落遺跡は、青森県津軽地方の大平山元(おおだいやまもと)遺跡で、この遺跡からは、1万6千年前の縄文式土器が見つかっている。この土器は、おそらく地球上に初めて出現した土器だろうと言われている。
 土器が作られたのは、2万年前の氷期のピークから4000年ほど経過したころで、夏の気温は現在より7~11度も低く、今でいえば、根室半島突端の納沙布岬と同程度だった。専門家によれば、寒いので火を焚いていたら周囲の土が焼け焦げて固くなるのを見て、土器を作り出したのかもしれないという。今でも納沙布の海は、夏もヒトを寄せつけない。泳いでいるのはラッコとトドくらいのもの。
 その後7000年にわたり気温はぐんぐん上昇し、垣ノ島遺跡にヒトが住み始めたころは現在よりも2、3度高かったようだ。青森県の三内丸山遺跡の時代は5900年前から4200年前だが、この時期はさらに気温が上昇し、いわゆる縄文海進の時代を迎える。
 縄文から弥生時代に移行するころは、気象の変動があり、再び気温が大きく下がった。この影響で、大陸・半島から稲作適地を求めて、比較的温暖な列島に人々の移動があったのだろうという。
 垣ノ島遺跡には直径1メートルの穴が二つ掘られた跡が残っている。穴の底は突き固められていたらしい。それがこの写真だ。三内丸山遺跡には直径約2メートルの穴が6個あり、巨木の櫓が再現されている。とすれば、この遺跡にも樹木のモニュメントがあったとしても不思議ではない。
 さらに驚くべきことがある。垣ノ島遺跡には数千年にわたって積み上げられた盛土遺構がある。コの字型の盛土の中央には、明らかに意図的に作られた盛り上がりがあり、その下を掘ってみるとたくさんの石が敷きつめられていた。その下部はまだ未調査だという。この緩やかな丘から真南に向かって、浅く掘り込まれた通路のような跡があり、この道は直径1メートルの二つの穴の間を通っているのだ。当時、ここには門か鳥居のようなものが建てられていたのかもしれない。(2021.10.9)
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BMI

2021年10月08日 21時12分46秒 | ファンタジー
函館の朝はまばゆいばかり(立待岬を望む)

 40才代半ばに、BMIという用語を初めて聞いた。「BMI20はちょっとやせ過ぎかも」と、職場で行われた健康セミナーの講師から申し渡されたのだが、私はどういう意味か理解できなかった。もともと痩せだったから。
 それから20年、体重計に足をかける度に、私の体重は少しずつ減り続けた。とうとう17ギリギりまで近づいてしまった。決して節度ある生活をしてきたのではない。脂肪肝の常習者で、以前のブログに書いたように前立腺ガンにもなった。
 ネット専門家の見立てによると、この数値は若者なら問題ないが、アラセブンティにたどり着きそうな年齢なら、ガンなどの病気になる確率が高まるのはもちろん、長生きできないフレイルの体、つまり虚弱体質そのものなのだという。17のどこが怖いものか、とせせら笑っている場合でないような気が・・。
 それでもなお、私は自分のビクビクする心を押さえつけ、よけいなお世話だと言い続けている。そういう性格なのだ。それにしても、この歳で年齢相応の体重になるため10キロ以上も増やそうとしたら、かえって、病気だらけの老後になるんじゃないだろうか。(2021.10.8)


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同級生巡り

2021年10月03日 17時39分42秒 | ファンタジー
 最近、中学校高校の同級生巡りにハマっている。この行いは、多くの年寄りにとって、寿命が尽きる前にやっておきたいことのひとつかもしれない。
 彼らの家を探し出して、チャイムを鳴らすときの息切れというか、緊張感というのはけっこうなものだ。でも、ひょこっと現れた懐かしい顔を見た瞬間の感激は、逡巡する心の迷いを吹き飛ばしてしまう。この感触を一度二度味わうともう止められない。やみつきになる。
 級友の数名はすでに鬼籍に入ってしまった。彼らに対していくつかの後ろめたさはあるのだが、生きている者同士が顔を合わせることで、それらを解きほぐすことができるのではと思う。もう相手を責めようとも殴ろうとも思わなくなるものなのだ。
 自分を含め、ほんとうに辛抱強く生きてきた。そういった思いに満たされて家にたどり着くと、同級生たちとのやりとりが耳の中にまるでこだまのようにざわめく。(2021.10.3)


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