黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

晩秋の夕暮れ

2022年10月31日 23時18分33秒 | ファンタジー
 明日から雨が降るらしい。今週末には気温が氷点下の予報、雪になるかもしれないので、こんな穏やかな夕暮れは見おさめか。花畑や野菜畑の片付けが終わり、街なかの紅葉も最盛期を過ぎた。なんだか冬ごもりが近いような。(2022.10.31)

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風土記の動物祭祀

2022年10月29日 23時08分12秒 | ファンタジー
 出雲国風土記には、
 ①因幡の白兎(イナバノシロウサギ)
 ②八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)
 ③娘を食うワニ
などの動物に絡んだ神話が記されている。いずれも出雲地域から国中に広まったメジャーな神話だ。
 ①は、ワニに襲われて苦しむウサギを大国主が助ける話。
 ②は、出雲勢力が越の国の大蛇に対し戦を挑む話。一説にはオロチとは大蛇や妖怪でなく、製鉄のための溶鉱炉が放つ火焔だとする説がある。
 ③は、娘をワニに食い殺された父親が、多くのワニの中から下手人ワニを探し出して討ち取る話。
 ①と③は、海や川などにいる主のような魚に生け贄を捧げる古代の風習がうかがえる話だ。
中でも③では、娘を殺された父親はワニをバラバラに解体して野ざらしにする。この行為だけを切り取るなら、動物解体を伴う古代祭祀を思い起こす。
 思うに、この国の神話には、万物の対等性を尊重する話と、恐ろしい力を持つ存在に対し生け贄を捧げる話とが混在している。それはこの列島には、大陸や海洋を伝ってあちこちからさまざまな人々が入りこんでいるからかもしれない。
 南の方面の人々は、北方民特有の創世神話を持たないという。なので、今あるものすべてははるかに前からあるがままに存在していた。これは、万物に生命の存在を感じるアイヌの精神性に通じるのでは。昨年の科目履修生の修了レポートにも書いたが、北方狩猟民のサハが最高神(主霊)をいただいて、ヒグマさえ生け贄にするのとは大違いだ。
 独りよがりだと非難されるのを承知の上で言うのだが、出雲の神話の基盤には南方起源とされる縄文人の祭祀があり、それが北方からやってきた弥生系と狩猟民系の祭祀に乗っ取られたと感じるのは飛躍しすぎかな?(2022.10.29)


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風土記の本

2022年10月28日 08時57分13秒 | ファンタジー
 先日出札(札幌行き)したとき、「風土記の世界」(三浦佑之著 岩波新書)と「越境する出雲学」(岡本雅享著 筑摩選書)を購入し、さっそく風土記の方から読み出した。
 三浦氏はなかなか勇ましい方だ。古事記は律令国家成立前のいわば神話・伝承を集成した記録、一方、日本書紀とは律令制制定に伴って国家権力の正当性を証明する史書として役目を果たすもの。まったく制作意図の異なるこれら二書に関して、研究者たちが記紀などと一つにくくってしまう鈍感さに苦言を呈し、さらに古事記の序を後世の偽作だと断定する。この序文に使用された漢文は格調高いのだが、古事記の真の製作理由を見失った者によって書かれたものとする。
 さらに、出雲国風土記は出雲臣(国造)が編纂責任者なのだが、彼はヤマトに服属した出雲の一族の長で、屈辱的な国譲り神話を天皇の面前で披露した。つまり、この風土記は日本書紀の焼き直しにすぎないのだという。
 私はそんな論調に圧倒されて、ふと気がついた。これと同じフレーズを読んだことがあると。
 案の定、書棚の奥を探すと、6年前に発刊された本が同じ顔をして眠っていた。第1章までは読んだ痕跡があった。出雲や大国主、オオナムチといった名を冠した記念碑が全国各地に広がっていること、出雲がヤマト以前の旧勢力だった可能性がきわめて高いこと、出雲勢力は諏訪、北関東地方との強いつながりがあったこと、などにはかなり興味があったけれど、なぜ風土記を手に取ったのか思い出せない。
 憶えているのは、そのころの私は、鳥取県の青谷上寺地遺跡から3世紀ころの累々と積み重なった戦士たちの遺骨が発掘されたとか、出雲と東北の人々のDNAがきわめて近しいといった報道に、かなり興奮していたことか。(2022.10.28)
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人だかりの法隆寺展

2022年10月15日 23時14分09秒 | ファンタジー
 仏像ばかりだったら退屈かも、と思いながら道立近美に入ってみると、そこはお年寄りで一杯の空間だった。私もお仲間なので違和感なし。
 小柄な百済観音に対し、中宮寺の国宝、菩薩半跏思惟像は黒光りの迫力が強烈で、見応えがあった。それほど形態が違っているのに、細部の華奢なところはきわめて似通っていてびっくり。
 一方、聖徳太子を模したとされる像や絵画は、対照的に目鼻立ちが大きく力強く見える。
 記紀によれば、厩戸の叔母は推古で、曾祖父は応神の5代目の子孫とされる継体である。応神とは3世紀の天皇(そのころ天皇という呼称は存在しないが)とされるが、渡来の王とも言い伝えられる。また、継体の出自は一説に滋賀の高嶋とされるが、記紀には詳細が欠落している。継体の諱(いみな)であるヲホド(弟の意味)から、百済の武寧王の血筋という説もある。
 これら仏像群はいずれも半島方面で作られたか、もしくは渡来系の人々の手になると考えられるのだが、姿が違って見えるのは作り手の系統がいくつもあったということなのだろう。
 それにしても、聖徳太子が際立って敬われるのはなぜなのだろう。彼の肖像からは、高句麗、百済、新羅三国のどこにも与しないといった強い意志を感じる。こんなにも海外の文物や思想に精通し、自尊心の高い国際人があのころの列島に存在したことが信じられない。(2022.10.15)

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自撮り

2022年10月07日 17時27分34秒 | ファンタジー
 恐るおそる自撮りしてみた自分の顔。齢には勝てると思わなければ、年取れば取るほどやってられないよ。
 と、はなが言ってます。(2022.10.7)
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