黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

弥生ヒトの骨

2018年12月26日 21時18分04秒 | ファンタジー


 数日前のNHKサイエンスゼロで、弥生ヒトのDNA解析結果が公表された。解析に使用された試料は、現在の鳥取県青谷にある青谷上寺地遺跡から出土したもの。この遺跡からは、形質的に弥生ヒトの骨が100体以上出土したが、特筆すべきことがふたつある。これらの骨に、かなりの頻度で刃物などで切られたり叩き割られたりの痕跡があるという。また、その地の古層には縄文の遺跡が確認されていたので、これらの弥生ヒトの骨のDNAには、縄文ヒトのDNAが混入しているだろうと想定されていたのだが、その仮説は木端微塵に打ち砕かれた。縄文そのものの1体を除き、縄文の形跡はまったく検出されなかった。つまり、かれら弥生ヒトはそこにいた縄文ヒトと混住したのではなく、追い払い居座ったのだ。
 彼らが生きた年代とは。同位元素による解析でAD1、2世紀ごろと判明した。さらに、彼らの遺伝子の故郷が、大陸や半島の随処に散らばっていることまでわかった。いわゆるユーラシア大陸を北回りしてアジア大陸に到達したサピエンスの子孫たちだろう。列島に倭国とか邪馬台国が存在したころ、日本海沿岸には新しいヒトビトがどんどん押し寄せていたのだ。
 AD1世紀ころとは、九州北岸には倭国の一派、奴国があったころだ。この激動の時代、半島と目と鼻の先の地に、縄文の国が存立することができただろうか。ほぼ無理だったろう。とすれば、倭の領袖、邪馬台国の卑弥呼が弥生ヒトだとする方が自然な考え方だ。それを証明する事柄のひとつ、彼女が得意だった占卜は北方狩猟民の習俗だ。また、魏への貢物として連れて行った毛ヒトとは明らかに縄文系だと思うが、どんなカリスマの魔法使いでも同族をそんなふうに扱えなかったはずだ。
 倭とは大陸・半島からやってきた弥生ヒトの国で、次々と渡来する同族の者たちを吸収し、あるいは征服され、どんどん拡大した。半島まで出張って戦ったのはやり過ぎだと思うが。古い資料のひとつに、倭はもともと半島南部にあって、北方からの圧力によって列島に押し出されたといった説がある。その解釈はまんざら成り立たないことはないだろう。江上氏の騎馬民族襲来説を久しぶりに思い出しながらこの番組を見たのは、私だけだったかな。(2018.12.26)

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カラスが来た日

2018年12月21日 14時46分47秒 | ファンタジー


 最近、マリアカラスのドキュメンタリー映画の記事が新聞などに取り上げられている。この映画は、彼女自身の言葉だけで構成されているという。没後41年にもなって新たに映画が作られるとは、よほどの功績・悪行を積んだか、ひときわ異彩を放つ人生を歩んだということなのだろう。私はマリアカラスの名前から、ジョンFケネディ夫人のジャクリーンと結婚したオナシスを連想する程度の知識しかない。歌を聴いたかどうかもわからないが、機会があったら映画を観たい。
 ところで、彼女や映画に興味があってこんなことを書いたのではなく、このところまた、鳥類のカラスのことが気にかかって仕方がない。
 私が50代の終盤に差しかかったころ、そのころのブログにも書いたが、カラスが私の目の前をかすめて飛び回ったり、私に片言話しかけてきたり、まるでハリーポッターの映画に入り込んだかのような時期があった。カラスばかりか、イヌたちも私の目を凝視して通り過ぎた。車のすれ違いざま、あまりにも激しく見つめ合ったために首を捻挫したことさえあった。
 残念ながら私には彼らの伝えようとしたことを詳細に聞き分ける聴力がなかった。ときには彼らが近づきすぎるので身構えることさえあった。
 そのころの私は、端的に言うと、人生に完全に行き詰まっていた。なぜこの年になってこんな境遇に置かれなければならないのかと、自分の立場や経歴が台無しにされたことを呪った。絶望とはこういうことかと思った。ヒトによっては奈落の底に落ちたり、死んだように横たわったりするのだろう。私の場合、手足を動かすことさえままならないくらい、がんじがらめに縛られ自由を奪われた状態に陥った。CGは1ヶ月ちょっと、私は3年にも及んだ。自身の心の奥底を眺め、まだ何とかなるか?と自問する日々。そんなときだった。ヒトではなく、カラスたちが私の許に通ってきたのは、心配そうな顔をして。
 ピダハンというアマゾンの人々のドキュメントをテレビで見たが、彼らは鳥と会話していた。
 ネコの言葉をはっきり聞いた人も知っている。テレビでなく、彼からじかに話を聞いた。彼はそのころ海外の妻の家に居候していた。いい仕事がなく家庭で何かと苦しい立場にあった。悪いことに、妻との関係もかなりぎくしゃくしたらしい。とうとう神経がすり減り、八方塞がりの状況。「トイレをきれいにしてくれよ」と、ネコが彼に向かって言ったのはそんなときだったという。ヒトは、他の動物たちと深いところでつながっているのは間違いない。
 私が、「黒猫との」などの一連の文章をつづることができたのは、そのような空白の期間があったからだと思う。書き継ぎながら、新たな自分が始まるのを感じた。裏切りに遭ったり憎しみ合ったり、とっくみ合いの末、土俵の外に投げ飛ばされたとしても、自分の人生に悲観的にならなくていいのだ。今、そのようなことが少しわかってきた。マリアカラスの映画もそういう内容らしい。(2018.12.21)

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時期はクラス会

2018年12月07日 21時11分33秒 | ファンタジー


 その時期になると、「えっ、もう1年たったの!」と、時の流れ早さに驚く。昨年の京都のクラス会から過ぎ去りし月々日々が、どんな形をしていたか思い出そうとするのだが、時間の流れが妙に薄っぺらく感じられ、これといったことは浮かばない。思考や行動が弱々しくなったため、それらにまつわる記憶が海馬に届く前に消滅してしまうのだろうか。それともほんとうに何も起きなかったのか。
 今回の東京会場はやはり東京らしい高層階にセッティングされた。宴会場の背丈より大きな窓から見える夕暮れの彼方に、均整がとれた富士山のシルエットがそびえる。15名がそろったころには窓外は真っ暗で、東京の街並みは際限なく広くつかみどころがない。ここしばらく会の幹事を仰せつかってきたが、今回からはお役御免。ただ飲んで食って騒ぐだけなので気持ちが軽い。
 幹事の開会のあいさつに引き続き、出席者の数分間のスピーチ。私の席順はほぼ最後の方。指名を受けるとおもむろに立ち上がり、この日のために用意した「黒猫との」のソフトカバー本を全員に贈呈した上で、少々お時間を拝借するがご容赦、などと軽口を言いながら、作品紹介のためずいぶん時間をかけた。
 N先生からいただいたコメントは次のとおり。
「拾い猫ってのは泣かせるね。こういう小説仕立てができるんだね。ボクは随筆程度は書きたいと思っているが、長年の生業で、史料がない文章は書けないんだよ」
 帰りの品川駅は、北海道人みんなが乗り込んでもこんなにならないだろうというくらいの人だかりだった。
 クラス会の翌日は、卒寿を迎えた父方の叔母と久しぶりに会った。叔母は末っ子だったからか、祖母から色々な昔話を聞いていた。祖母が駆け落ちして北海道にやってきたと言ったのも、私はこの叔母だと思っていた。しかし、この日、それが聞き違いだったことが判明。エッセイに書いて投稿してしまったのにどうしようと青くなった。叔母が言うには、祖母は祖父と結婚する前、ある人の家に入ったとのこと。いわゆる入籍するところだった? うら若すぎた祖母はその家にいるのが嫌で逃げ帰ったという。
 その後、私が今年、タイムマシンなどを使って、江戸時代までさかのぼって調べた家系図をにらみながら、昨日のことのように語る叔母と向かい合い、様々な推理を闘わせた。気がついたら5時間近く経過。 
 そのときから数日しか過ぎていないのに、食い散らかし飲み呆けたクラス会のことばかりか、叔母と会ったこと、「黒猫との」を連れて本屋巡りしたこと、東山魁夷展、出光美術館「江戸絵画の文雅」に行ったことも、すでに遠いあいまいな世界に漂っている。記憶にとどまらないような行動をしても意味ないじゃん、という指摘は年寄りには酷な話だ。それすらもやらなければ、立ちどころに老いさらばえる。(2018.12.7)
 

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書かないでいると

2018年12月01日 10時14分23秒 | ファンタジー


 ため込んでいたネタが古くなると、書こうという意欲がうすれてしまい、ますます書けなくなる。
 1月くらい前、ある無精な人の意見にしたがって、たくわん用の大根をベランダの板敷きの薄物の上に並べることにした。ところが今年は雨が多くベランダはいつも水浸し。その人に輪をかけてなまぐさの私はいちいち大根を出し入れしなかったので、1週間のうち3日くらいしか干せなかった。やはり大根はつるすべし。
 先日の夕暮れ、日曜日なのにカラスのにぎやかな鳴き声がした。そうか、カラスには休日がないのだ、とバカなことを思いついた。と同時に、人類が大空に初めて飛び立ったころの軽飛行機のプロペラ音を連想した。最近わかったことだが、私はカラスの鳴き声とプロペラの音を耳にすると、幼いころに戻ったかのように心が慰められる。
 はなは、ソファーの背もたれの上で両手両足を広げて腹ばいになり、じっと本箱の方をみつめている。いつものように瞑想中だ。(2018.12.1)

 

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