かなり前だが、佐藤優氏の講演を聴いたことがある。佐藤氏の家には、あちこちにメモ用紙と芯の太い鉛筆が置いてあるという。それは、次々に浮かぶ構想を即座にメモするため。また、噺家さんだったと思うが、睡眠中に見た夢まで忘れないようにと、枕元にメモ帳を置いて寝る方がいた。私も彼らに見習って、備忘録用の手帳を机の上に置くことにしたが、とくにアイデアが浮かぶわけでなく、浮かんでも手帳にたどり着く前にたいがい忘れる。そうしたときでも、忘れたことを忘れさえすれば、何の問題もない。
誰もがそれなりの年齢になれば、神経伝達物質が枯渇し、記憶力や気力だけでなく、生命力自体が衰えるのは避けられないこと。忘れっぽくなるだけならまだいい。老人性ウツとなると、けっこう厄介なもののようだ。実例をいくつか知っているが、ここでは私の身の上話にとどめる。
私は、子どものころはつねに冷静で落ち着いていると評価された。(今は違う。)要するに、もともとやる気があるんだかないんだかといった暗い性格だったから、周囲は何と評していいかわからなかったのだ。なので20代半ばまでは、かなり度を越えた孤独な人生だったが、生まれた時からそういった世界に暮らしていたので、たいして気にならなかった。つまり、そもそも私はウツ的性格そのものなのだが、ウツだということを自ら意識しなかったから、何の問題もなかった。
しかし、コロナに慣れてきた近ごろ、学校、自治会、趣味の会、家事手伝いなど、自分のスケジュールのあまりの混みようを見て、しばしば慄然とする。スケジュール表に空きがあると不安という人々がいることを知ってはいるが、今の私の場合、あれもこれもしなければと思うだけで、負担がのしかかってきて、窓の外を眺めたり、カラスに話しかけたり、何の脈絡もなく本を探し出したり、俳句のようなものをひねったり、ブログを書いたり、といった心の余裕はもはやどこかへ飛んで行ってしまった。昔は週5日の仕事をしながら、様々な活動をしていたはずなのだが、そのころの方が勉強や書き物の時間がたくさんあった。
この状態は、血の巡りが滞って起きる、いわゆる老人性ウツなのかもしれない。それとも、自分にしかできないミッションをやり遂げようなんて、大それた夢を見ているからなのか。しばらくはこれから先のことを考えずに、過去の自分の功績だけ思い起していれば落ち着くんじゃないだろうか、としきりに過去を振り返るのだが、功績らしきものはからっきし思い浮かばない。(2021.11.19)