残すところ数週間で、子どもたちの物語の連載が終わろうとしている。振り返れば「途中」を書くだけで一年間もの長丁場が必要だった。その間、なんとか気の利いたものにしようと、文章の大半を二度三度と書き直した。その上、外界からの刺激に反応したり、思うところが出てきたりして、前に戻って書き換えもした。しかし作者自身、時間と手間がかかっている割りには、だらだらと深まらない内容を書き連ねているのではという気持ちをぬぐいきれない。やはりこんな長い連載は、書き手の能力を超えているし、読んでいただいている方々にも、かなりの忍従を強いていると思う。これからは長いブログ記事を止めて短くしよう。このように私はいつも反省するタイプなのだが、B型ヒトの哀れな性(さが)で、なんで反省したかさえすぐ忘れてしまう。これがまた反省材料である。
何ごとも深く考えるときりがないので話題を変える。
血液型による性格診断は日本の専売特許かと思っていたら、最近、外国の学者が、血液型によるストレス反応の違いに科学的な根拠があるという論文を発表したそうだ。たとえば、A型はストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールの分泌が、O型に比べ二倍も多いという。O型の場合はストレスホルモンをうち消す別のホルモンが出るためにそれほどストレスを感じないんだという。不思議なことに、B型は、A型と同じくらいの量のストレスホルモンが分泌されるものの、あっという間に消えてなくなってしまう。これが忘れっぽい原因なのだろうか。
どの血液型がいいのか、ここで比較しようというのではない。類型的な生体反応は化学物質と数字によって論理的に説明できるが、なぜ同じ血液型なのに性格が違うのかとか、同じことかもしれないが、B型だって単純なヤツばかりじゃないぞとか、そういった個性の次元になると、ヒトの頭脳をもってしてもなかなか説明できない、ということがおもしろいと思う。それは文学などの想像力と虚構の分野に属する事柄だからなのか。見過ごせないのは、B型の私には想像できないことだが、都市型ヒトとされるAB型は異質な感性の持ち主なのか、あるいは意外にも勘がそれほど鋭くないからか、ストレスにあきれるくらい強いらしい。AB型の読者の皆さん、本気にしないでください。
ところで、ショートストーリーと言えば、その道の名手の星新一や、マニアックなところでは稲垣足穂、筒井康隆といった著名な作家の作品ばかりでなく、ライトノベルとか、各種雑誌や会社の宣伝用小冊子の記事に至るまで、様々なスタイルの文章が巷に溢れている。果たしてそれらがどれだけの読者を得ているのか、私のブログへのアクセス数より多いのか少ないのかなどと考えると、なんだか心配で夜も眠れない。
それにしても、紙の文字を読むだけで精いっぱいだというのに、電子書籍という、一瞬にして文字が消滅してしまいそうな媒体までなんの必要性があって生まれたんだろう。そう言いながら、私がブログを活用するのは、現実に置かれた世界に比べ、つかみどころがなく不確実性に満ちたブログの世界の方がはるかに解き放たれた自由な世界だと感じるからだろう。とはいえ、この媒体は、複数の目を通して書き直される本とは異なり、個人的な見解を即興で発信してしまう。これはきわめて危険な行為であり、ひとつ間違えば世界をめちゃめちゃに破壊したり、電子共和国のようなまったく架空の世界を作り出すこともできる。自分とはなんなのか、自分の意志とはどうなっているのか、自分にとってなにが大事なのか、自分にとって自由とはどういったことなのか、といった思惟と試行錯誤をつねに繰り返していないと、とんでもない間違った情報を流したり、そういう情報にころっと騙されてしまいそうな気がする。(了)
何ごとも深く考えるときりがないので話題を変える。
血液型による性格診断は日本の専売特許かと思っていたら、最近、外国の学者が、血液型によるストレス反応の違いに科学的な根拠があるという論文を発表したそうだ。たとえば、A型はストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールの分泌が、O型に比べ二倍も多いという。O型の場合はストレスホルモンをうち消す別のホルモンが出るためにそれほどストレスを感じないんだという。不思議なことに、B型は、A型と同じくらいの量のストレスホルモンが分泌されるものの、あっという間に消えてなくなってしまう。これが忘れっぽい原因なのだろうか。
どの血液型がいいのか、ここで比較しようというのではない。類型的な生体反応は化学物質と数字によって論理的に説明できるが、なぜ同じ血液型なのに性格が違うのかとか、同じことかもしれないが、B型だって単純なヤツばかりじゃないぞとか、そういった個性の次元になると、ヒトの頭脳をもってしてもなかなか説明できない、ということがおもしろいと思う。それは文学などの想像力と虚構の分野に属する事柄だからなのか。見過ごせないのは、B型の私には想像できないことだが、都市型ヒトとされるAB型は異質な感性の持ち主なのか、あるいは意外にも勘がそれほど鋭くないからか、ストレスにあきれるくらい強いらしい。AB型の読者の皆さん、本気にしないでください。
ところで、ショートストーリーと言えば、その道の名手の星新一や、マニアックなところでは稲垣足穂、筒井康隆といった著名な作家の作品ばかりでなく、ライトノベルとか、各種雑誌や会社の宣伝用小冊子の記事に至るまで、様々なスタイルの文章が巷に溢れている。果たしてそれらがどれだけの読者を得ているのか、私のブログへのアクセス数より多いのか少ないのかなどと考えると、なんだか心配で夜も眠れない。
それにしても、紙の文字を読むだけで精いっぱいだというのに、電子書籍という、一瞬にして文字が消滅してしまいそうな媒体までなんの必要性があって生まれたんだろう。そう言いながら、私がブログを活用するのは、現実に置かれた世界に比べ、つかみどころがなく不確実性に満ちたブログの世界の方がはるかに解き放たれた自由な世界だと感じるからだろう。とはいえ、この媒体は、複数の目を通して書き直される本とは異なり、個人的な見解を即興で発信してしまう。これはきわめて危険な行為であり、ひとつ間違えば世界をめちゃめちゃに破壊したり、電子共和国のようなまったく架空の世界を作り出すこともできる。自分とはなんなのか、自分の意志とはどうなっているのか、自分にとってなにが大事なのか、自分にとって自由とはどういったことなのか、といった思惟と試行錯誤をつねに繰り返していないと、とんでもない間違った情報を流したり、そういう情報にころっと騙されてしまいそうな気がする。(了)