黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

失禁 追伸

2019年02月17日 20時10分48秒 | ファンタジー


 昨日のブログを書いたときは、失禁のショックで悩乱気味だった。実は、失禁したのは初めてではなかったのだ。5年前の前立腺がんの術後、2回くらい漏らしたことを失念していた。そのときは前立腺がなくなってすぐのころだったし、今回ほどの量ではなかったと記憶している。5年も経ってからの失禁なのでショックはとてつもなく大きい。やはり前立腺は貴重な臓器なのだ。いろいろな意味で。(2019.2.17)

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失禁

2019年02月16日 14時50分25秒 | ファンタジー

(何となく、ブリューゲルの冬の絵に似ているような)

 はなは一度もトイレを失敗したことがない。もちろん父しゃんもそうだった、数日前までは。
 その日、寒い部屋に長時間座っていたので体が冷えたのだろうか。夜中、目が覚めたらかなりの量が漏れていた。寝る前に熱燗1、2杯グビッとあおっておけばと後悔したが後の祭り。その夜に限って、自分で決めた禁酒日を厳格に守ってしまった。ほんとうにしまったものだ。失禁中も失禁直後も目を覚まさなかったばかりか、漏らす夢さえチラッとも見なかった。
 これまで夢の中でトイレを探して右往左往して失禁寸前に目を覚ますことは何度もあったが、もちろん失禁はしていない。睡眠中とはいえ、体の器官の基本的な制御は自動的に働くはずなのに、やはり加齢には勝てないのだろうか。幸いにも、この数日間失敗はないが。(2019.2.16)

 

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連歌(れんが)

2019年02月09日 21時13分46秒 | ファンタジー

<零下23度の朝>

 Oは、長らく連歌に親しんでいたという。彼の発句集が届いた。日付は、2013年11月に始まり2018年9月まで。
 私の周辺に、連歌なんてやっている高雅な人々を見ることはまったくない。私自身、江戸時代の遺物だと思っていた。この地には、本土の文化的伝統が根付かないのだ。格好つけても似合わない。
 なので、私には、連歌の発句という語の意味がわからなかった。辞書を引くと、昔から、五、七、五(上句=発句)だけの句はなかった。いわゆる五、七、五、七、七の短歌の形態をしていた。これを上句と下句にわけて複数人で掛け合いするのが連歌。後に、芭蕉らが発句のみを独立させ、芸術性の高い俳諧を追求した。このことが明治期の五、七、五の俳句につながったという。
 以前にも書いたが、私は俳句をひねり出す能力に欠けるし、それに手間暇をかけようという気もない。でも、連歌の後半の短句(七、七)なら、何とかなるんじゃなかろうか。ということでやってみた。
「またひとつ夏見送りて彼岸花」(O)
「何度も見るぞ君の分まで」(猫士)
「何度も見よう君と一緒に」(猫士)(2019.2.9)

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