約10日ぶりにようやく脇腹の痛みから解放された。医者の言ったとおり、肋骨の裏側の筋肉だか筋だかをひねっただけだったのか。大げさに痛い痛いと触れ回ったので、世間に舞い上がった煙を吹き払うのに、いささか手間がかかった。痛みがなくなったから、まあいいか。
そんなこんなするうちに、ふと体のどこもかゆくないことに気がついた。この3,4年、冬になると決まって、足の方からじわじわとかゆみが上ってきて、夜中に目が覚めるくらい酷くなる。あり合わせの軟膏を塗るのだが、かゆみが背中まで到達したころには、体中、引っ掻き傷でぼろぼろになる。皮膚科に行くのが嫌で我慢した末、医者からどうして放っておいたんだと言われながら、もらった薬を塗ると1週間くらいでスカッとする。年をとるとはこういうことなんだ、認めたくないが。
谷川俊太郎氏の最新作「ベージュ(米寿?)」の冒頭の詩「あさ」の一節。
めがさめる どこもいたくない かゆいところもない からだはしずかだ だがこころは うごく
めがみる ゆきがふっている みみはきく かすかなおと ひとじちがいきをしている どこかでいま (以下略)
ほんとうに、年をとるとはこういうことなのだ。しかし、体はひとじちに取られても、心は自由だ。(2021.1.21)