黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

なぜ太る

2012年12月25日 13時39分13秒 | ファンタジー

 父さんの身の潔白のためお話ししておく。はなが太る理由は、父さんが、母さんの目を盗んでこっそりくれる耳かき一杯くらいのネコ缶のせいではない。せっかくだから喜ぶ振りしてるけど、そんな分量ではぜんぜん満足なんてできない。もっとたくさん食べたいよ!
 あぁ忙しい、の母さんでさえ注意しないとすぐ太る。だから、毎日食う寝る遊ばない、はなが太らないわけがない。はなが遊ばないのは、毎晩父さんが忙しくて、一人で遊んでも面白くないから。
 父さんは、はなが北方系のノルウェージャンという種類で、極寒の季節を乗り切るため脂肪を身体に溜め込む体質なので、太るのは仕方がないと言う。でも家の中は暖かいから、脂肪も毛も必要ない。(12.12.25)
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柴犬コロ

2012年12月21日 15時53分21秒 | ファンタジー

 テレビで柴犬の豆助という子犬が登場して人気を博している。最近になって、柴犬を見るとある犬を思い出すようになった。私が小学五年生の三学期に移り住んだ一棟二戸の隣家に、小柄なすばしっこい柴犬がいた。名前はコロと言った。そのころは、ネコばかりでなく、犬だって、大きな体躯や怖そうな顔をしていなければ、鎖でつながれることはなく、人の子どもより自由気ままにあちこち出歩くことができた。昔からそうだったのか調べてはいないが、この国では生類憐れみの令の精神がずっと後世まで受け継がれてきたということだろうか。
 徳富蘆花の作品に、放浪を繰り返す雄犬の話がある。飼い主の家はわかっていて、ときどき帰ってくる。嫁さんを連れてきて、飼い主に怒られると、機嫌を悪くしてプィッと出ていってしまう。最後は、ずいぶん離れた土地で、当時ほんのわずかしか走っていなかったはずの自動車にぶつかって死んだ。明治もしくは大正時代の実話なのだと思う。時代が下り私の子どものころにも、捨てられた犬たちが群をなして、住宅地と原野の境を行ったり来たりする様子が見られた。
 コロも自由犬だった。人なつこくて、名前を呼ぶと必ず喜んで飛びついてきた。たまに町までついてくることがあった。五十年前、道路にはバスかトラックが時折走っているだけで、自家用車なんてほとんどなく、馬車がまだ残っていた時代だ。いちばん多かったのが人力で引っ張るリヤカーだったかもしれない。そういう環境でも、コロが迷ったり事故に遭ったりしないかと不安に思ったものだが、彼はちゃんと家に戻っていた。
 猫が嫌いだったようで、家の裏の畑にやってくる猫をずいぶん追いかけ回した。逃げ場をなくして木によじ登る猫ほどではなかったが、かなり敏捷な犬だった。もちろん木登りはできなかったが。庭のグスベリや野イチゴを摘んで食べていると傍にやってきて、どうしてそんなもの食べるの?、と不思議そうに目を真ん丸にした。私の記憶に生きているコロの印象は、どれもこれもこのような若々しいものばかりだ。
 ところが、そのころから後のコロの記憶は突然途切れている。私たち家族がその家に住んだのは七年間くらいだったので、私が高校を卒業して家を出るころも、コロが存命だった可能性は高いはずなのに。私の脳幹の奥に、隣家の人たちがどこかへ引っ越したという親の言葉が残っているような気がするのだが、それが記憶なのか思い込みなのか、よくわからない。
 私が大学進学に失敗して、離れた町の予備校へ通っていた年の夏、両親と祖母が新しい家に引っ越した。もしも私がコロのことを懐かしく思って、旧い家に行ってみたら、案外、コロは隣家にいて、名前を呼んだら駆け寄ってきたのかもしれない。しかし、私はそうしなかった。それから何十年もの間、私はコロを思い出すことはなかった。憂鬱な子どもたちを書くまでは。(2012.12.21)
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たった一冊の本

2012年12月12日 09時30分34秒 | ファンタジー

 自分で本を作ってみた。もちろん初めて。インターネットに紹介されていたもっとも簡単だと思われる方式に目が止まった。これなら不器用な自分にもできそうだ。それは背に糊付けするだけの、いかにも簡単そうな製本だ。まず、A4の紙を半分に折ってペーパーナイフで切った。するとA5の大きさになることを初めて知った。ペーパーナイフを使ったのは私の直感的発明だ。カッターの鋭い刃で切った切り口は、糊付けになじまないような気がしたから。
 印刷原稿は、連載中の「憂鬱な子どもたち」で、原稿用紙二百六十枚程度の文章だ。ところが、家にあるプリンターではA5版は手差しでしか印刷できない。暇な時間を見つけ少しずつ作業した結果、十日間ほどかかって、A5版両面で約百五十ページになった。本文印刷が終わって、表紙の紙をどうしようかと思い至った。家にはコピー用紙しかなかったので、少し厚手の見栄えのいい紙がないかと、近所の百円ショップや文房具屋へ行ってみたが、どこにも置いていない。あそこならと考えていた札幌の大丸藤井セントラルへ到達するまで、それから一週間もかかった。行ってみて正解だった。店の地下には、身動きが取れないくらい大量の紙が備えられていた。
 何種類か買ってきた中から、初刷り用にくすんだ紫色の和紙を選んだ。表紙の下に良質のコピー用紙を入れ、ダブルクリップで押さえつけ、背の部分に木工用セメダインをたっぷり塗った。そして薄手の紙にセメダインを塗りつけ、背に被せるように巻いた。そのとたん、背に乗せたセメダインが少ないような気がしたのだが、すでに遅し。次に、表紙用の和紙を、本の厚さ約一センチにプラスすること三センチ、計四センチの幅に切って、背に巻いた薄紙の上に貼り付けた。以上完了。
 と思ったのもつかの間、表紙の次のページに題名と作者名がないことに気がついた。それに裏表紙の前のページには普通、奥書があるものだ。それもない。これでは、いつ誰が書いた何という本かわからないじゃないか。仕方がないので、プリンターで印刷した紙を糊で貼り付けた。
表紙の次ページ「憂鬱な子どもたち ○○××」
奥書「2012年12月8日第1刷発行、著者及び発行者○○××、発行所ユメミテ書房」
 一日経って、ページを恐る恐るめくってみたら、背表紙の裏にぴったりくっついているではないか。紙の多少のシワと糊のはみ出した跡はあるが、我慢できる仕上がりだ。見れば見るほど美しい。あちこちのページに誤植が見つかったので、次に印刷するときは、「第2版」と奥書に付け足すことにしよう。したがって、第1刷はたった一冊しかない稀覯本だ。(2012.12.12了)
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はなは太る

2012年12月06日 10時41分15秒 | ファンタジー
「はなは太る」
 一昨日、近所の動物病院へ行った。お小水に小さな石が混じる持病があって、たまに検査を受けている。その日は異常なしだった。
 ところで、私が恐る恐る診察台に上がったら、「まぁ!どうしましょう」と女医先生が大げさに驚いた。私の体重が、七月の予防接種のときから、また増えていた、一〇〇グラム以上も。
「そんなにたくさん食べていないんですよ」と母さんが取りつくろってくれたが、診察室には「どうしてこうなんでしょ」という、ちょっといらいらした空気がじわっとよどんだ。私は診察台の端っこにじっと腹這いになって、二人の感情を耳で感じていた。
 父さんなら、「とのは七キロもあったんだから、はなはまだ大丈夫」と言ってくれるはずなのに。でも、とのの最高ウェイトまで、一息で追いついてしまいそう。これは相当やばいのだ。父さんにねだってこっそり缶詰を食べるのは、もう止めにしよう、あらぬ疑いをかけられるから。(12.12.6了)
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