四 網走行き
昭和六三年五月初め、暁彦の転勤で網走行きが決まった。とのが家に来てから半年ちょっと経ったころだった。部屋の荷造りを始めると、とのは楽しそうに箱から箱へ飛び移り、呼んでも隠れて出てこなかったりした。荷造りが終わり、荷物をすべてトラックに積み込むと、ガランとした部屋の中は、まったく見慣れない殺風景な空間に様変わりした。そこに立ちつくしたとのは、一瞬自分が住んでいた部屋を見失ったのだろうか、「ここはどこなの?」と、部屋の中をかけ回って鳴いた。
とのの家族は、荷物を積んだトラックを送り出し、ヴァロンの家に一晩泊めてもらうことにした。次の日からしばらく会えなくなることを人間の言葉や振る舞いなどから察知したのか、興奮した二匹は、家の中で夜中まで追いかけっこや取っ組み合いを繰り返し、勢い余ったヴァロンは寝ている人間たちの足にかみついた。翌朝、とのとヴァロンは、「ヴァロン、いっしょに行こうよ。」「との、どこへ行くんだよ。」と、互いに何度も体を寄せ合い語りかけたのだが、両方の飼い主によってむりやり引き離された。二匹は、その後も飼い主の転勤に同行して何度か引っ越して、離れて暮らす年数の方が長かったものの、飼い主が姉妹同士だったので、会う機会はわりあい多かった。
網走は、豊かな自然に恵まれ、寒暖の差が大きく四季がはっきりした土地柄だった。天気がいい日には町の中から壮大な知床連山の山影が見え、町を一歩出るとたちまち目を奪われてしまいそうな美しい景観が広がった。海や山からの多種多様な恵みは、そこに住む人々や猫たちの消費量をはるかに超えていた。
とのの食べ物の好みは、一才になる前に網走に住んだことが大きく影響した。たまたまもらったカニの足や北海シマエビを食べて味をしめたとのは、カニ、エビのほかに、ホタテ、イカやそれらの調理品などをうるさくねだるようになった。その話が広まったためか、知り合いの人たちから、とのに食べさせて、と様々な海産物の差し入れがあった。とのは猫には珍しく、美味いものでも好きなものでも、同じ種類の餌が二、三日続くと、「えー、今日も同じなの?」と食べなくなったので、多くの種類の食材を備蓄しておく必要があった。特に初物に目がなかったとのは、緑色をした生の北海シマエビを初めて口にしたとき、あまりのおいしさに、三、四匹続けざまに食べた直後、喉つまりしてグェッグェッと吐いてしまった。床に散らばったエビの残骸の前から、じっと動かないとのを見て、奈月たちは可笑しくて吹き出してしまった。
一才前後のころまでは、人間も他の動物も、まだ判断力が的確に働いていない時期なのだろう。とのは、どこの家に上がり込んでも人見知りしなかった。海のそばまで車を走らせたとき、とのは自分から海を見に行こうとした。人間や他の動物を疑ったり、自然を怖がったりすることがない幸せな時代だった。その時期を過ぎると、とのは幻の猫になるのだが。
稚内の親戚に用事があって、とのが嫌いな車に乗って網走から五時間の旅をした。奈月の姉の家に行き、同年代の雌猫の「ラン」と会った。このとき、ランはとのを見るなり、敵が侵入してきたかのような勢いで攻撃を仕掛けた。この予期しない追いかけ回しに遭い、猫見知りしないとのも、このときは突き当たりの部屋に追いつめられて小便を漏らしてしまった。
「びっくりしちゃったよ。よその家だったから逃げ場所がわからなかったんだ。」
とのは照れくさそうな顔で言い訳をしたが、翌日にはランと大の仲良しになった。
骨の発育不全と直接の関係はないが、とのの尻尾は三ヶ所で折れ曲がっており、網走に行ってすぐ、先端部分がドアに挟まりちぎれてしまった。尻尾の切れ端と毛を見つけて病院に連れて行くと、傷口を縫う手術をして痛い思いをさせるより、自然治癒力に任せた方がダメージは小さい、という診断だったので、そのままにしておくと、とのは、尻尾の先の傷口をなめ続け、最後は飛び出した骨を食いちぎって自力で治した。傷や血が嫌いな暁彦は、とのの様子を見ていると、退化した自分の尻尾が痛むような気がしてならなかった。
三年間の網走生活で、いささかバランスの崩れた多くの猫たちに出会った。近所の住人が「ため吉」という名前をつけた猫がいたが、その名前は彼の風貌にぴったりだった。年輩の雄猫で、大きい体のわりには足が短く、体の毛はボソボソに逆立ち、口の周りはいつも汚れていて、野良のキャリアが見るからに長いと思われた。あるとき、ため吉がとのの家の開いていた窓から中に入ってきたことがあった。まだ一才になる前のとのは喜んで、「おじさん遊ぼう。」とため吉にかけ寄ったところ、ため吉はとのの頭を前脚でポンとたたき、そこにあったとのの餌を悠然と食べた。その様子からは、若い雄猫など相手にしないという貫禄と気迫が感じられ、暁彦と奈月と怖じ気づいたとのは、その悠然とした彼の行動の一部始終を黙って見つめた。その後もため吉は何度も侵入したが、とのに悪さをするようなことはなかった。彼は豪快な反面、知り合いの人から道ばたで、「ため」と声をかけられると、うれしそうに走り寄る人間好きな性格をも持ち合わせた猫だった。
ため吉の縄張りと隣り合うエリアを牛耳る「アトム」という若い雄猫がいた。目の上から耳にかけてついている真っ黒な模様が、鉄腕アトムの帽子にそっくりだったのでその名前をつけた。精かんな目でにらみを利かせて歩く猫だった。ため吉とアトムは、「くろ」という名前の真っ黒な雌猫を取り合っていた。年齢的にも体力的にもアトムが優勢だった。耳や尻を噛まれ血を流すため吉を放っておけなくて、近所の人たちと奈月が仲裁に入った。ため吉は、興奮のあまり自分を応援してくれる人間の長靴や腕にむやみに噛みつき、人間側にも多少の負傷者が出ることがあった。
アトムには、うりふたつの顔をしたひと回り体の小さい弟がいた。とのにとってアトムは不得手なタイプだったが、弟は、兄とは違い温厚だったから、ときどき挨拶を交わした。ある日の夕方、とのは、暁彦と連れ立って買い物に行く途中、車の通行が比較的多い道路の真ん中に、立てた尻尾を振りながら得意げに歩く猫を見つけた。「アトム、危ない!」走ってくる車を見つけたとのは大きな声で叫んだが、その猫は落ち着き払って車をやり過ごし、こちらに向かって歩いてきた。驚いたことに、近づいてきたのはアトムではなく、おとなしい弟猫の方だった。弟猫は、とのの鼻先をなめながら言った。
「アトムはシャイなやつで、本心をなかなか明かさないけど、ほんとうはつらい目にあっているんだ。」
弟猫の話はこうだった。もともと飼い猫のアトムは、小さなころから体が大きくわんぱくで、飼い主から怒られてばかりだったからなのか、大きくなるにつれて意固地な性格になり、飼い主にさえ反抗的な態度を取るようになった。そのため、帰りが遅くなると家の玄関に鍵をかけられ、餌さえもらえなくなった。アトムは、自力でたくましく生きてはいたが、時々、「俺には誰もやさしくしてくれないんだ。」と、兄弟にさんざん当たり散らした後で、泣き崩れることがあったという。
「アトムはときどき凶暴になることがあるけど、大目に見てやってくれよ。」
弟猫は片目をつぶって、暮れなずむ海に向かう道をゆっくりと下りて行った。
「家に入れてくれないなんて、ほんとうなの?」とのが不安な顔で暁彦に尋ねると、表情を曇らせた暁彦は、とのを黙って強く抱きしめた。
ある日のこと、ため吉とアトムは、互いの顔をくっつきそうなくらい近づけて、いちだんと大きな威かくの叫びを上げ、暴力沙汰になるかと思われたとき、突然アトムは一目散に退散した。ため吉が勝った理由はわからない。その場所が彼の縄張りだったことや、彼に加勢する大勢の猫と人間が周りにいたことが後押しにつながったのだろうか。秋になり、くろはため吉によく似た子猫を五、六匹生んだ。
野良のくろはまじめに子育てする母猫だった。とのが住んでいたアパートの真向かいの単身者住宅前にほとんど使われていない物置があったが、くろ一家はそこに住みつき、引き戸の破れた穴から出入りしていた。しかし、次第に住みにくくなってきたのだろう、ある日、奈月がアパートの玄関前に出ると、くろが子猫を一匹くわえてやってきた。人慣れしていない子猫は大きな口を開け奈月を威かくしたが、くろはかまわず他の子猫にも出てくるように促した。子猫たちの行列がくろの後ろに続いた。自分の子供を何とか生き延びさせたいというくろの気持ちが切々と伝わってきて、奈月はアパートの裏にあった自分の家の物置にくろ一家を移動させ、餌を与えることにした。くろは若くはなかった。面倒見のいい住人の一人は、これからもくろが子供を産み、子育てを続けることをかわいそうに思い、知り合いの動物病院に頼み込み、くろの避妊手術をしてもらったうえ、引き取り先の手配までお願いした。くろ一家は網走郊外の牧場などに無事もらわれていき、長く大事にされた。
「ミッキー」は、アパートの前に唐突に現れた。二階の猫好きの婦人が何気なく窓から外を見ていたとき、首輪をつけた小さな猫が草むらを歩いていた。不自然に思い見に行ってみると、生まれて二、三ヶ月くらいの飼い猫だった。自分の家に帰る道すがら立ち寄ったのかもしれないからと、そのままにして家に引き返した。次の日、外が明るくなってきたころ二階からのぞいてみると、前日の子猫がほとんど動かずにうずくまっているのが見えた。彼女は、自分の気持ちを押さえることができず、ただちにその猫を迎えに行った。こうしてミッキーは、二階の家の一時預かり猫になった。念のため、地元の新聞に迷い猫の広告を出したが、飼い主は現れなかった。
ミッキーは狩りが得意で、いつも家から脱走し鳥たちを追いかけていた。カラスからはときどき逆襲されたがこりることはなかった。やっとのことでスズメを生け捕りにし興奮状態で帰ってきたミッキーは、たまたま階段で遭遇した奈月から、かわいそうだから離しなさいと言われ、腹立ち紛れに彼女の腕に思いっきりかみついたりもした。ミッキーは預かり主の転勤のお供をして数ヶ所の土地に暮らし、岩見沢の地で十数才の寿命を全うした。
「チャーミー」は隣の家でかわいがられたおとなしい猫だった。隣家が引っ越すと、彼女の姿も消えてしまった。短期間住み着いた「ルパン」という寡黙な猫もいた。その他にも、アパートの前に止まった乗用車からまりのように投げ捨てられた子猫や、段ボール箱に入れられて近くのゴミ捨て場に置き去りにされた子猫たちもいた。このアパート周辺の猫と人間の生態をよく知っている者の自分勝手な仕業に苦々しく思うことが何度かあった。
網走に住んで二年目の冬の終わりころ、猛烈なブリザードが二日間にわたって吹き荒れた。朝起きると、一階の窓を完全にふさぐほどの雪が吹きつけていた。道路が寸断され、電話も通じず、暁彦の職場は風雪害で休業になった。外の明かりが届かないかまくらの中のような家に手持ち無沙汰でじっとしていると、窓の外がにわかに騒々しくなった。近所の数人の知り合いが手に手にスコップを持ち、人ひとりがかろうじて通り抜けられるくらいの通路をこじ開けながら、町中を行進するパレードのようなにぎやかな騒音を立てて、こちらに向かってやって来るのだった。吹きだまりの雪に足を取られながら、ようやくアパートの玄関に到着した彼らは大量の酒と美味そうな食材を抱えていた。暁彦たちは、かまくらでご馳走を食べて楽しんだ子供のころに戻ったかのように、夜遅くまで大騒ぎした。次の日からは近所総出で雪道をつける重労働が始まったが、車が小路に入るまでには幾日もかかった。
ため吉がいつまでも現れないことに誰かが気がついた。ブリザードを避けてもぐりこんだ床下か穴蔵が雪に埋もれて、外に出られなくなっているのだろうと、とのたちは、心当たりを探してみたが手がかりはまったくなかった。ため吉は以前、はやり病いにかかり死にそうになったとき、猫好きの人たちの献身的な看護を受け、奇跡的に元気になった。そういう生命力が強い猫だったので、何もなかったような顔をしてひょっこり出て来ることを願ったが、雪が解けてしばらく経っても、ため吉の姿を見た者はいなかった。
とのの住んでいたアパート周辺を行き交った多くの野良猫たちは、一匹として同じ色、同じ体型、同じ性格ではなかったが、みんな、厳しい掟と生活環境の中でせいいっぱい健気に生きていた。彼らと関わりあった人間や飼い猫たちは、彼らとの短いつき合いの中で、多くの思い出を胸に刻むことができた。
平成三年、とのは四才になる前に網走を離れ、三年前に住んでいた札幌の四階建てのアパート群に戻った。ヴァロン一家はまだ近所のアパートに住んでいて、その後の三年間、とのはヴァロンと兄弟同様につき合った。(この章了)
五 盟友ヴァロン
ヴァロンは猫には珍しく、家の番猫の務めを果たしていた。侵入者を発見すると、それが知り合いであろうと外敵であろうと、ただちにスキップしながら近づき、相手が人だったら、足首にがっちり爪を立ててしがみつき、逃げられないようにした。振りほどこうと抵抗する敵に対しては、足の至る所にかみついて攻撃した。同族の猫には、背後から急襲し、首筋にかぶりつき、羽交い締めにして組み伏せた。これにはどんな猫もギブアップした。
ヴァロンのせいではなかったが、彼は失そう事件を起こした。ある夏のこと、ヴァロンは家族といっしょに山奥のキャンプ場に遊びに行った。そこに見たことも聞いたこともないたくさんの動物や虫、植物がいることにびっくり仰天して、人間でさえ迷ってしまいそうな山中に無我夢中で飛び込んでしまった。家族は連れてきたことを後悔しながら、テントの周辺をほうぼう探し回ったが、山の中にもぐり込んだ猫を見つけるのは難しかった。家族は翌日から毎日現地に通い、カセットテープに吹き込んだ家族の声を朝から晩まで流した。山中のヴァロンは、どうしていいかわからないまま、何日間も水だけ飲んで震えていた。一週間後、地元の人から、キャンプ場の水飲み場にシャム系の猫が来ることを聞き、蛇口から直接水を飲むヴァロンの癖を思い出して、水飲み場周辺で待った。すると、山奥なのにヴァロンによく似た猫が何匹も出てきた。夜中になりあきらめかけたときだった。とうとう蛇口に近づく猫を発見した。こうしてヴァロンは野良になることなく生還した。
ヴァロンは、キャンプ場での出来事の直後から、腰が抜けたようにふらつきながら歩いた。原因は不明だったが、山奥に取り残されたことで大きな精神的ショックを受けたとも考えられた。久しぶりに網走にいるとのと再会したときのこと、それまで力負けしていたとのが、「どうだい、ボクも強くなっただろう。」と、いつもしてやられているヴァロンの背中に馬乗りになり、口笛を吹くかのように上機嫌にしていた。心配されたヴァロンの腰のふらつきは、数ヶ月後には正常に戻った。成猫になったとのは、ヴァロンより体が大きく体重も重かったが、取っ組み合いをすると、やはりヴァロンに軍配が上がった。
ヴァロンは強いばかりでなく、雄猫なのに、小さな猫たちの面倒をよく見た。平成五年、札幌に住んでいたヴァロン一家に「マリリン」という雌の猫が加わった。マリリンは、近所の家から餌をもらっていた野良猫の仔で、冬を間近にして寒そうにしていた子猫たちの中から、えりなの妹「はんな」と母親によって連れられてきた。名前のとおりかわいらしい顔をしたおとなしい猫で、人間の指図に忠実に従ったが、部屋のあちこちにお漏らしをして家族を悩ました。
平成八年には、またしても、えりなが捨てられていた長い茶色の毛の小柄な猫を拾ってきた。家族でくじを引き、「ドンベイ」という名前の紙を引き当てたのだが、後で雌だとわかり「ドンコ」と呼ぶようになった。
平成一一年、ヴァロン一家は岩見沢に新居を構えた。その町でたまたま入った焼肉屋の店先にたたずむ小さな黒猫を見つけた母親は、帰宅した後も、何度か様子を見に行った末、鳴き声が耳から離れなくなり、とうとう連れ帰った。それが「ひめこ」だった。こうして、ヴァロンは、次々とやって来た三匹の子猫たちを母親代わりに育てた。とのを加えれば四匹の世話をしたことになる。(この章了)
昭和六三年五月初め、暁彦の転勤で網走行きが決まった。とのが家に来てから半年ちょっと経ったころだった。部屋の荷造りを始めると、とのは楽しそうに箱から箱へ飛び移り、呼んでも隠れて出てこなかったりした。荷造りが終わり、荷物をすべてトラックに積み込むと、ガランとした部屋の中は、まったく見慣れない殺風景な空間に様変わりした。そこに立ちつくしたとのは、一瞬自分が住んでいた部屋を見失ったのだろうか、「ここはどこなの?」と、部屋の中をかけ回って鳴いた。
とのの家族は、荷物を積んだトラックを送り出し、ヴァロンの家に一晩泊めてもらうことにした。次の日からしばらく会えなくなることを人間の言葉や振る舞いなどから察知したのか、興奮した二匹は、家の中で夜中まで追いかけっこや取っ組み合いを繰り返し、勢い余ったヴァロンは寝ている人間たちの足にかみついた。翌朝、とのとヴァロンは、「ヴァロン、いっしょに行こうよ。」「との、どこへ行くんだよ。」と、互いに何度も体を寄せ合い語りかけたのだが、両方の飼い主によってむりやり引き離された。二匹は、その後も飼い主の転勤に同行して何度か引っ越して、離れて暮らす年数の方が長かったものの、飼い主が姉妹同士だったので、会う機会はわりあい多かった。
網走は、豊かな自然に恵まれ、寒暖の差が大きく四季がはっきりした土地柄だった。天気がいい日には町の中から壮大な知床連山の山影が見え、町を一歩出るとたちまち目を奪われてしまいそうな美しい景観が広がった。海や山からの多種多様な恵みは、そこに住む人々や猫たちの消費量をはるかに超えていた。
とのの食べ物の好みは、一才になる前に網走に住んだことが大きく影響した。たまたまもらったカニの足や北海シマエビを食べて味をしめたとのは、カニ、エビのほかに、ホタテ、イカやそれらの調理品などをうるさくねだるようになった。その話が広まったためか、知り合いの人たちから、とのに食べさせて、と様々な海産物の差し入れがあった。とのは猫には珍しく、美味いものでも好きなものでも、同じ種類の餌が二、三日続くと、「えー、今日も同じなの?」と食べなくなったので、多くの種類の食材を備蓄しておく必要があった。特に初物に目がなかったとのは、緑色をした生の北海シマエビを初めて口にしたとき、あまりのおいしさに、三、四匹続けざまに食べた直後、喉つまりしてグェッグェッと吐いてしまった。床に散らばったエビの残骸の前から、じっと動かないとのを見て、奈月たちは可笑しくて吹き出してしまった。
一才前後のころまでは、人間も他の動物も、まだ判断力が的確に働いていない時期なのだろう。とのは、どこの家に上がり込んでも人見知りしなかった。海のそばまで車を走らせたとき、とのは自分から海を見に行こうとした。人間や他の動物を疑ったり、自然を怖がったりすることがない幸せな時代だった。その時期を過ぎると、とのは幻の猫になるのだが。
稚内の親戚に用事があって、とのが嫌いな車に乗って網走から五時間の旅をした。奈月の姉の家に行き、同年代の雌猫の「ラン」と会った。このとき、ランはとのを見るなり、敵が侵入してきたかのような勢いで攻撃を仕掛けた。この予期しない追いかけ回しに遭い、猫見知りしないとのも、このときは突き当たりの部屋に追いつめられて小便を漏らしてしまった。
「びっくりしちゃったよ。よその家だったから逃げ場所がわからなかったんだ。」
とのは照れくさそうな顔で言い訳をしたが、翌日にはランと大の仲良しになった。
骨の発育不全と直接の関係はないが、とのの尻尾は三ヶ所で折れ曲がっており、網走に行ってすぐ、先端部分がドアに挟まりちぎれてしまった。尻尾の切れ端と毛を見つけて病院に連れて行くと、傷口を縫う手術をして痛い思いをさせるより、自然治癒力に任せた方がダメージは小さい、という診断だったので、そのままにしておくと、とのは、尻尾の先の傷口をなめ続け、最後は飛び出した骨を食いちぎって自力で治した。傷や血が嫌いな暁彦は、とのの様子を見ていると、退化した自分の尻尾が痛むような気がしてならなかった。
三年間の網走生活で、いささかバランスの崩れた多くの猫たちに出会った。近所の住人が「ため吉」という名前をつけた猫がいたが、その名前は彼の風貌にぴったりだった。年輩の雄猫で、大きい体のわりには足が短く、体の毛はボソボソに逆立ち、口の周りはいつも汚れていて、野良のキャリアが見るからに長いと思われた。あるとき、ため吉がとのの家の開いていた窓から中に入ってきたことがあった。まだ一才になる前のとのは喜んで、「おじさん遊ぼう。」とため吉にかけ寄ったところ、ため吉はとのの頭を前脚でポンとたたき、そこにあったとのの餌を悠然と食べた。その様子からは、若い雄猫など相手にしないという貫禄と気迫が感じられ、暁彦と奈月と怖じ気づいたとのは、その悠然とした彼の行動の一部始終を黙って見つめた。その後もため吉は何度も侵入したが、とのに悪さをするようなことはなかった。彼は豪快な反面、知り合いの人から道ばたで、「ため」と声をかけられると、うれしそうに走り寄る人間好きな性格をも持ち合わせた猫だった。
ため吉の縄張りと隣り合うエリアを牛耳る「アトム」という若い雄猫がいた。目の上から耳にかけてついている真っ黒な模様が、鉄腕アトムの帽子にそっくりだったのでその名前をつけた。精かんな目でにらみを利かせて歩く猫だった。ため吉とアトムは、「くろ」という名前の真っ黒な雌猫を取り合っていた。年齢的にも体力的にもアトムが優勢だった。耳や尻を噛まれ血を流すため吉を放っておけなくて、近所の人たちと奈月が仲裁に入った。ため吉は、興奮のあまり自分を応援してくれる人間の長靴や腕にむやみに噛みつき、人間側にも多少の負傷者が出ることがあった。
アトムには、うりふたつの顔をしたひと回り体の小さい弟がいた。とのにとってアトムは不得手なタイプだったが、弟は、兄とは違い温厚だったから、ときどき挨拶を交わした。ある日の夕方、とのは、暁彦と連れ立って買い物に行く途中、車の通行が比較的多い道路の真ん中に、立てた尻尾を振りながら得意げに歩く猫を見つけた。「アトム、危ない!」走ってくる車を見つけたとのは大きな声で叫んだが、その猫は落ち着き払って車をやり過ごし、こちらに向かって歩いてきた。驚いたことに、近づいてきたのはアトムではなく、おとなしい弟猫の方だった。弟猫は、とのの鼻先をなめながら言った。
「アトムはシャイなやつで、本心をなかなか明かさないけど、ほんとうはつらい目にあっているんだ。」
弟猫の話はこうだった。もともと飼い猫のアトムは、小さなころから体が大きくわんぱくで、飼い主から怒られてばかりだったからなのか、大きくなるにつれて意固地な性格になり、飼い主にさえ反抗的な態度を取るようになった。そのため、帰りが遅くなると家の玄関に鍵をかけられ、餌さえもらえなくなった。アトムは、自力でたくましく生きてはいたが、時々、「俺には誰もやさしくしてくれないんだ。」と、兄弟にさんざん当たり散らした後で、泣き崩れることがあったという。
「アトムはときどき凶暴になることがあるけど、大目に見てやってくれよ。」
弟猫は片目をつぶって、暮れなずむ海に向かう道をゆっくりと下りて行った。
「家に入れてくれないなんて、ほんとうなの?」とのが不安な顔で暁彦に尋ねると、表情を曇らせた暁彦は、とのを黙って強く抱きしめた。
ある日のこと、ため吉とアトムは、互いの顔をくっつきそうなくらい近づけて、いちだんと大きな威かくの叫びを上げ、暴力沙汰になるかと思われたとき、突然アトムは一目散に退散した。ため吉が勝った理由はわからない。その場所が彼の縄張りだったことや、彼に加勢する大勢の猫と人間が周りにいたことが後押しにつながったのだろうか。秋になり、くろはため吉によく似た子猫を五、六匹生んだ。
野良のくろはまじめに子育てする母猫だった。とのが住んでいたアパートの真向かいの単身者住宅前にほとんど使われていない物置があったが、くろ一家はそこに住みつき、引き戸の破れた穴から出入りしていた。しかし、次第に住みにくくなってきたのだろう、ある日、奈月がアパートの玄関前に出ると、くろが子猫を一匹くわえてやってきた。人慣れしていない子猫は大きな口を開け奈月を威かくしたが、くろはかまわず他の子猫にも出てくるように促した。子猫たちの行列がくろの後ろに続いた。自分の子供を何とか生き延びさせたいというくろの気持ちが切々と伝わってきて、奈月はアパートの裏にあった自分の家の物置にくろ一家を移動させ、餌を与えることにした。くろは若くはなかった。面倒見のいい住人の一人は、これからもくろが子供を産み、子育てを続けることをかわいそうに思い、知り合いの動物病院に頼み込み、くろの避妊手術をしてもらったうえ、引き取り先の手配までお願いした。くろ一家は網走郊外の牧場などに無事もらわれていき、長く大事にされた。
「ミッキー」は、アパートの前に唐突に現れた。二階の猫好きの婦人が何気なく窓から外を見ていたとき、首輪をつけた小さな猫が草むらを歩いていた。不自然に思い見に行ってみると、生まれて二、三ヶ月くらいの飼い猫だった。自分の家に帰る道すがら立ち寄ったのかもしれないからと、そのままにして家に引き返した。次の日、外が明るくなってきたころ二階からのぞいてみると、前日の子猫がほとんど動かずにうずくまっているのが見えた。彼女は、自分の気持ちを押さえることができず、ただちにその猫を迎えに行った。こうしてミッキーは、二階の家の一時預かり猫になった。念のため、地元の新聞に迷い猫の広告を出したが、飼い主は現れなかった。
ミッキーは狩りが得意で、いつも家から脱走し鳥たちを追いかけていた。カラスからはときどき逆襲されたがこりることはなかった。やっとのことでスズメを生け捕りにし興奮状態で帰ってきたミッキーは、たまたま階段で遭遇した奈月から、かわいそうだから離しなさいと言われ、腹立ち紛れに彼女の腕に思いっきりかみついたりもした。ミッキーは預かり主の転勤のお供をして数ヶ所の土地に暮らし、岩見沢の地で十数才の寿命を全うした。
「チャーミー」は隣の家でかわいがられたおとなしい猫だった。隣家が引っ越すと、彼女の姿も消えてしまった。短期間住み着いた「ルパン」という寡黙な猫もいた。その他にも、アパートの前に止まった乗用車からまりのように投げ捨てられた子猫や、段ボール箱に入れられて近くのゴミ捨て場に置き去りにされた子猫たちもいた。このアパート周辺の猫と人間の生態をよく知っている者の自分勝手な仕業に苦々しく思うことが何度かあった。
網走に住んで二年目の冬の終わりころ、猛烈なブリザードが二日間にわたって吹き荒れた。朝起きると、一階の窓を完全にふさぐほどの雪が吹きつけていた。道路が寸断され、電話も通じず、暁彦の職場は風雪害で休業になった。外の明かりが届かないかまくらの中のような家に手持ち無沙汰でじっとしていると、窓の外がにわかに騒々しくなった。近所の数人の知り合いが手に手にスコップを持ち、人ひとりがかろうじて通り抜けられるくらいの通路をこじ開けながら、町中を行進するパレードのようなにぎやかな騒音を立てて、こちらに向かってやって来るのだった。吹きだまりの雪に足を取られながら、ようやくアパートの玄関に到着した彼らは大量の酒と美味そうな食材を抱えていた。暁彦たちは、かまくらでご馳走を食べて楽しんだ子供のころに戻ったかのように、夜遅くまで大騒ぎした。次の日からは近所総出で雪道をつける重労働が始まったが、車が小路に入るまでには幾日もかかった。
ため吉がいつまでも現れないことに誰かが気がついた。ブリザードを避けてもぐりこんだ床下か穴蔵が雪に埋もれて、外に出られなくなっているのだろうと、とのたちは、心当たりを探してみたが手がかりはまったくなかった。ため吉は以前、はやり病いにかかり死にそうになったとき、猫好きの人たちの献身的な看護を受け、奇跡的に元気になった。そういう生命力が強い猫だったので、何もなかったような顔をしてひょっこり出て来ることを願ったが、雪が解けてしばらく経っても、ため吉の姿を見た者はいなかった。
とのの住んでいたアパート周辺を行き交った多くの野良猫たちは、一匹として同じ色、同じ体型、同じ性格ではなかったが、みんな、厳しい掟と生活環境の中でせいいっぱい健気に生きていた。彼らと関わりあった人間や飼い猫たちは、彼らとの短いつき合いの中で、多くの思い出を胸に刻むことができた。
平成三年、とのは四才になる前に網走を離れ、三年前に住んでいた札幌の四階建てのアパート群に戻った。ヴァロン一家はまだ近所のアパートに住んでいて、その後の三年間、とのはヴァロンと兄弟同様につき合った。(この章了)
五 盟友ヴァロン
ヴァロンは猫には珍しく、家の番猫の務めを果たしていた。侵入者を発見すると、それが知り合いであろうと外敵であろうと、ただちにスキップしながら近づき、相手が人だったら、足首にがっちり爪を立ててしがみつき、逃げられないようにした。振りほどこうと抵抗する敵に対しては、足の至る所にかみついて攻撃した。同族の猫には、背後から急襲し、首筋にかぶりつき、羽交い締めにして組み伏せた。これにはどんな猫もギブアップした。
ヴァロンのせいではなかったが、彼は失そう事件を起こした。ある夏のこと、ヴァロンは家族といっしょに山奥のキャンプ場に遊びに行った。そこに見たことも聞いたこともないたくさんの動物や虫、植物がいることにびっくり仰天して、人間でさえ迷ってしまいそうな山中に無我夢中で飛び込んでしまった。家族は連れてきたことを後悔しながら、テントの周辺をほうぼう探し回ったが、山の中にもぐり込んだ猫を見つけるのは難しかった。家族は翌日から毎日現地に通い、カセットテープに吹き込んだ家族の声を朝から晩まで流した。山中のヴァロンは、どうしていいかわからないまま、何日間も水だけ飲んで震えていた。一週間後、地元の人から、キャンプ場の水飲み場にシャム系の猫が来ることを聞き、蛇口から直接水を飲むヴァロンの癖を思い出して、水飲み場周辺で待った。すると、山奥なのにヴァロンによく似た猫が何匹も出てきた。夜中になりあきらめかけたときだった。とうとう蛇口に近づく猫を発見した。こうしてヴァロンは野良になることなく生還した。
ヴァロンは、キャンプ場での出来事の直後から、腰が抜けたようにふらつきながら歩いた。原因は不明だったが、山奥に取り残されたことで大きな精神的ショックを受けたとも考えられた。久しぶりに網走にいるとのと再会したときのこと、それまで力負けしていたとのが、「どうだい、ボクも強くなっただろう。」と、いつもしてやられているヴァロンの背中に馬乗りになり、口笛を吹くかのように上機嫌にしていた。心配されたヴァロンの腰のふらつきは、数ヶ月後には正常に戻った。成猫になったとのは、ヴァロンより体が大きく体重も重かったが、取っ組み合いをすると、やはりヴァロンに軍配が上がった。
ヴァロンは強いばかりでなく、雄猫なのに、小さな猫たちの面倒をよく見た。平成五年、札幌に住んでいたヴァロン一家に「マリリン」という雌の猫が加わった。マリリンは、近所の家から餌をもらっていた野良猫の仔で、冬を間近にして寒そうにしていた子猫たちの中から、えりなの妹「はんな」と母親によって連れられてきた。名前のとおりかわいらしい顔をしたおとなしい猫で、人間の指図に忠実に従ったが、部屋のあちこちにお漏らしをして家族を悩ました。
平成八年には、またしても、えりなが捨てられていた長い茶色の毛の小柄な猫を拾ってきた。家族でくじを引き、「ドンベイ」という名前の紙を引き当てたのだが、後で雌だとわかり「ドンコ」と呼ぶようになった。
平成一一年、ヴァロン一家は岩見沢に新居を構えた。その町でたまたま入った焼肉屋の店先にたたずむ小さな黒猫を見つけた母親は、帰宅した後も、何度か様子を見に行った末、鳴き声が耳から離れなくなり、とうとう連れ帰った。それが「ひめこ」だった。こうして、ヴァロンは、次々とやって来た三匹の子猫たちを母親代わりに育てた。とのを加えれば四匹の世話をしたことになる。(この章了)