黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

はなはアニメ好き

2019年04月21日 19時11分05秒 | ファンタジー
 滅多にないことだが、早朝5時起きで一仕事終わらせて帰宅し、7時過ぎ、テレビのスイッチを入れると、政権寄りと揶揄されている某局で、子供向けキャラクターが登場するアニメ番組をやっていた。
 色鮮やかでガチャガチャ動くアニメの画面に、私自身、しばし目を奪われた。ふと見ると、はながすぐ横でテレビに見入っているではないか。彼女は、一心に画面を見つめながら、なおもじりじりにじり寄る。幼いころから動物番組マニアなのは知っていたが、アニメにも関心があったとは。たぶん動きの止まらない映像と子どもらしい声音に引き寄せられているのだろうが、動体視力が半端でない目には想像を超えたファンタスティックな世界が映っているのかも。
 私は飛び跳ねるアニメキャラにめまいを起こし倒れそうだったが、はなは、十分楽しんだ様子。私も、はなのように楽しい猫生、いや人生を送りたいと心底思う。(2019.4.21)



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令字考

2019年04月07日 16時04分04秒 | ファンタジー
 白川静「字統」によれば、令とは、礼冠をつけた巫祝(シャーマン)がひざまずいて、神意の命ずるところを待つ姿をかたどった文字。西周後期に至って、祝詞(のりと)を収める口型の器を加えて、命という字が成立。つまり、令と命はもともと同一の字であった。
 漢字は、3千年以上前の中国大陸に生きた人々の習俗をとどめる文字であり、古臭いのは当たり前なのだが、私は令字を目の当たりにした瞬間、文字の意味が現代から大きくかけ離れているのでは、と思った。
 また、日本で作られた国字でない限り、出典が中国の書物にあるのは至極当然なのに、万葉集のどこどこの文章にあると政府関係者の強弁する姿に何か違和感が残った。
 というのが令字を見て、浮かんだ感想である。


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自分の言葉が変

2019年04月01日 13時44分40秒 | ファンタジー

 

 名前は言えないが、私より3、4歳年上の知り合いと会話していると、彼の口から漏れ出る言葉が、まるで強風に吹かれたときみたいに切れ切れに聞こえることがある。私はじれったくなって、彼が言いたいだろう言葉を先回りしてしゃべってしまいそうになる。でも、それは失礼というもの。ぐっと言葉を飲み込むうちに、彼がどこまでしゃべったかわからなくなり、結局、話の腰を折ってしまうのだ。
 そういう私も、頭の中のイメージをスムーズに言葉にできず、もどかしさに身もだえする場面がめっきり増えた。先日、地域の人々の集まりで、よくよく知っている相手を前にしたとき、彼の肩書きが「地域副統括監」という、ややっこしい名称だと頭ではわかっているのに言葉となって出てこない。ふくふくとか、かんかんとか言っているうちに、相手は気分を害したのか横を向いてしまった。
 かえって文章化する方が、時間がかかっても、何とか筋のとおった形に仕上げられる、と自分では思い込んでいる。以前のテレビ番組で、認知症の老人が書いた文章が驚くほど理性的でしっかりしたものだったのを見たことがある。彼の頭脳は決して老いてはいなかった。身体による表現ができないだけのことだった。
 確かに年取ると本能的な機能は衰えるが、後天的に身につけた経験や知識、技能といったものは、簡単に損なわれない。つまり、よれよれに年取って言葉を失っても文章は書けるということ。このことは、120才まで生きようと妄想している者に勇気を与えてくれる理屈だ。本能は反射神経みたいなもので、あのイチローでさえ衰えから逃げられないが、理性とともにある者は不老であり、ひょっとして不死だって夢ではないかもしれない。(2019.4.1)

 

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