黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

8.29ブログ開設四周年を迎えました

2013年08月29日 11時20分13秒 | ファンタジー

 小説をほとんど読まなくなってどのくらいになるだろう。まとまった小説を最後に読んだのは、確か十年ちょっと前の天童荒太「永遠の仔」だったと思う。最近は集中力が低下したためか、小説以外の書物も、興味がわいたり、物を書くのに必要になったりしたところだけ読むという抜粋型読書になった。したがって、家にある小説の類はみな古いものばかりだ。
 小説が嫌いなわけじゃない。学生をやっていた最後の数年間、バイトの収入の大半を本の購入に充て、小説本もかなり集めたと思う。卒業後、膨大な量の本を就職先に携えていくことができず、実家に頼んで、当分預かってもらうことにした。
 数年前、古びた実家を処分することになり、三十数年預けっぱなしの本たちの落ち着き先を初めて真剣に考えたのだが、ときすでに遅し。段ボール十数個分もの置き場所など見つかるはずはなかった。実家を引き渡す前日の夜、私はため息をつきながら、長いこと肩身狭く待ち続けた本たちの中から、自宅に持ち込めるだけの本を傍らに除け、その他を段ボールに詰める作業にかかった。驚いたことに、それらの書物たちの表題のうち、思い出せないものはひとつもなかった。いつ、どこの町の、何という本屋で出会ったか、そこまで記憶をたどれるものが八割方もあった。翌日、彼らが黙ったままトラックに積まれていくのを、私は断腸の思いで見守るしかなかった。そのときの修羅場を生きながらえた何冊かが、私の家で今も静かに余生を送っている。
 文学本が多く残ったのは不思議だ。藤枝静男作品集、梶井基次郎全集や志賀直哉全集のうち行方不明だった一冊、正岡子規全集数冊、折口信夫全集数冊、新潮?の新書版日本文学全集「永井荷風」集、森有正のバビロン、江戸学の本、河出の日本生活文化史全十巻など。懐かしさのあまり、それらのページを開いてはなで回した。
 断腸の思いと言えば、新書版の荷風集に「断腸亭日乗」が抄録されていた。たまたまそのページを開き目で追ったとき、行間から何とも言えない高貴な香りが立ちのぼった。日乗には、彼の内心に秘められた思いや彼の生きた時代の物事について、かなり烈しく綴られた部分がある。
 たとえば、荷風の父親が危篤になったとき、彼は馴染みの女性といっしょに箱根に遊んでいた。前年に妻を迎えたばかりの彼は、以前からつき合っていた女性へのお詫びを兼ねて、たまたま数泊の旅に出ていたのだ。父親の報を聞き、遅ればせながら枕許に駆けつけたとき、父は目を落とす間際で意識はすでになかった。家人たちのとげとげしい視線はどれほどのものだったろう。彼は後日、自分の情けなさに打ちのめされながらも、それらの経緯を振り返り、しっかりと記述していく。その態度のなんと正直でいさぎよいことか。こんな場面でも、文章の格調を崩さない流麗な筆致には、人を陶然とさせる力がある。この点で、荷風をしのぐ文筆家はそれほど多くないと思う。
 漱石の小説にも女性は大勢登場するが、実態というか実感というものがない。鴎外は、お堅い制服で内面を覆い隠し、見栄えにこだわっている。実篤は真面目に過ぎ、直哉は遊び人に過ぎる。芥川は神経質に、百は磊落に偏る。これらの個性ある文豪たちの中で、私がもっとも惹かれるのは、やはり荷風の文章表現だ。その表現力はすでに日本文学の古典と言っていいだろう。
 古典を読むのはいわゆる教養を身につけるためとされ、なんだか時代遅れのように思われるかもしれないが、そんなことはない。先人の残した文化の力を再認識することは、社会の風潮や権力の恣意的な揺さぶりに左右されない、自らの自由で強靱な判断力を養成することにつながるはずだと信じている。
 本日で、ブログ開設四周年になる。ここまで続けてこられたのは読者の皆さんのお陰。いつまでも黒猫「との」といっしょに歩み続けたいというのが私の切なる願いだ。(2013.8.29)
 
 
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今、到着

2013年08月28日 16時56分46秒 | ファンタジー

 北海道最北端の地から、ただいま帰還しました。日本海側で撮影した景観を取り急ぎ紹介します。

 人がいない。


 空と海と地がつながっている。

 どこまでも平らな原野に飲み込まれそうになる。
 この辺りには、縄文の息吹がいまだに残存しているような気がする。(2013.8.28)
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痛くてやりきれない

2013年08月22日 10時35分41秒 | ファンタジー

 首が回らなくなって十日ほど経ったころ、右臀部の上部の筋肉が痛み出した。その痛みの震源が、股関節付近なのか尾てい骨の横なのか、自分でも判別がつかない。座っているとき以外、鈍痛と突き刺す痛みが交互に襲ってくる。会社の近くの整骨院では、冷房に当たって筋肉が硬くなったのがそもそもの首痛と腰痛の原因だろう、腰の痛みは首を回す代わりに捻ったりしたのではという診断。そう言えば、八月上旬、二日間の長距離運転をしたとき、右腰に負担がかかったことを思い出した。
「でも運転した直後から痛み出したわけじゃないんですよ」
「年老いて硬くなった筋は反応が鈍いし、痛みが出たら、そう簡単には治らないと思います」
 整骨院へ通い、湿布し、温泉にも行き、お盆には家でぐうたら暮らし、治療に余念はないのだが、一向に快復するきざしがない。今でも歩くと痛みが増幅し、とくに通勤途中の酷熱の中、痛みに耐えかねて吹き出す汗には閉口している。還暦を過ぎたばかりでこんな状態なら、次の六十年を一巡するなんて、できっこないじゃないか。
 そんな風に人生を恨みながら歩いていたとき、ふいに、四十年以上前のフォーククルセイダーズのヒット曲「悲しくてやりきれない」の一節が頭に浮かんだ。わかるところだけ、二回ほど声を出して歌ってみた。するとこの痛みがやりきれないのも、燃えたぎる痛みが明日も続くのも当たり前じゃないかという、楽な気持ちになった。
 ヴェイユの言うように、自身の中に痛みを感じることがなければ、他者の痛みを分かち合うなんてできないとすれば、私が味わっているこの痛みによって、本来の私があぶり出され、次の段階へ変化することにつながるのだろうと思う。(2013.8.22)
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犬の目

2013年08月12日 17時27分17秒 | ファンタジー

 先週は二日間で、九百キロメートル以上の距離を走った。大忙しで移動するので、各地の景観をカメラに収めて紹介したいのだが、その余裕がない。当然、記事を書くところまでには、なかなかたどり着かない。

 最近の不思議な経験をひとつ。
 人通りの多い道でのこと、前方からゆっくり走ってくる車があった。近くまで来たとき、助手席から放たれる柔らかな視線に気がついた。何気なく見ると、助手席には犬が陣取っていた。その犬は、じっとこちらを見つめていた。目と目が合ったまま、距離が縮まり、そして交差した。互いにこれ以上無理というところまで左へ首を回しながら。
 その目は犬の目だったのか、そんな疑念がわいたのだが、振り返ることはしなかった。もしもそこに乗っている犬の後ろ姿が人だったら、運転席にも犬が座っていたら、と考えると、確かめる勇気がなかったから。翌朝から、私の首は左へ回らなくなった。(2013.8.12)
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ネコと違い、体が硬いこと

2013年08月06日 13時56分57秒 | ファンタジー

 七月末にさしかかり、世間の用事から解放され、ようやく夏休みモードになろうかというころ、何の前触れもなく首が左へ回らなくなった。無理に回そうとすると、頸椎の横の首筋と左肩の奥に鋭い痛みが走り、それらの部品がギシギシ音を立てるくらい固まっているのがわかる。右方向への回転は、左首筋と右肩がいくぶん突っ張るだけで大丈夫。早速、整骨院へ行ってみると、頸椎、肋骨などの骨格の歪みと体の筋の硬直が原因の症状で、ほぐれるまでには時間がたっぷりかかるでしょうと言われた。
 私はネコと違い、若いころから体が硬い。あるとき、床に座り両脚を開いて股割の姿勢をしているとき、突然、背中を力ずくで押されたことがある。体が真二つに折れるかと思うほど痛かった。後ろから意表をつくとは、卑怯にもほどがある。江戸時代でなくても、後ろから斬りつけるようなことをしてはならない。
 三日前の朝の起きがけには、左脚のふくらはぎがガチガチに硬直し、激烈な痛みに襲われた。ふくらはぎを伸ばそうとベッドから急いで跳ね起きたら、とたんに、首と肩にズキンと痛みが走り、たまらず床に倒れ伏した。首、肩、そしてふくらはぎのいずれも、まだ一向に良くならない。(2013.8)
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