きみまろ氏の口上にこんなのがある。
社長は社員をいじめ、社員は妻、妻はイヌ、イヌはネコ、ネコはネズミをいじめ、ネズミは腹いせに社長の背広をかじる。
社長が社員をいじめたのが連鎖の火元とされるが、このいじめのきっかけがネズミに社長の背広を破られた程度のことだとは思えない。仕事や私的なことでふくれあがったストレスの尻尾を、ちょっと噛まれるようなことが起きたのだろう。そのはけ口を弱い立場の相手に向けたのだとしたら、誰にでも思い当たるフシが三つや四つはある。つまり社長に限らず、誰もがいじめの主体になる。
信じられないのは社員の妻いじめだ。どんな非常事態であろうと私の家では起きようがない。なので、それは社員宅の特殊な事例だと思いたい。それに、今のネコなんて、ネズミを見たことさえないのだからいじめるどころか、びっくり仰天して逃げ出すかもしれない。イヌにしても飼い主を引きずり回すような不作法なのはめっきり減ったし、と考えながらもう一度、上記ラインナップを見ると、ここだけの話にしてほしいのだが、物事の始まりは、妻を置いてほかにいないだろう。こんなことを考えていると感づかれたらどんな事態に……、ああ恐ろしい、これ以上は書けない。
私としては、自分に限っていじめたことなんて一度もない、自分にはいじめの連鎖のひもを断ち切って不幸を終わらせる勇気がある、と思っているのだが、妻は無神経な夫がいちばん質が悪い、と私をジクジクいじめる。
いじめの本質とか原因って何なのだろう、と考えてもラチがあかない。どんなに文明が発達してもこの世の中からストレスがなくなるわけでもなく、とぐろを巻く憤懣イライラのはけ口は、依然として必要不可欠だ。
じゃ、どうしたらいいの? 私は困惑する。すると、はなは父シャンの目の前で、ゴロンと音を立てて寝っ転がる。はなは、ストレスのない目で語りかけてくる。ストレスや母シャンにうち勝とうなんて思わないでゴロンとしたら。
ところで、ある筋から聞くところによると、はなが、父シャンの手に噛みつくのは、いじめヒトのための矯正プログラムの一環だというのだ。そうか、どおりで、はなに手を噛まれても痛くないはずだ。それどころか、ますます愛着がわいてくる。(2016.12.28)