私は道央部に居住して20年になりますが、本州に由来する後藤遺跡などの未だ議論の分かれる遺跡が石狩低地帯にあるのを知ったのは、たまたま前方後円墳の本を読んだ数年前のことでした。その後、先生の本を読ませていただき、周辺の郷土博物館もいくつか見学に行き、ついに大学にまで通い、やはりエミシは倭国の人たちだったという確信を深めました。
ところで、私は大学在学中の50年前、甲骨文や金文の動物文字について勉強しようと思い立ち、先生方の迷惑も顧みず、卒業論文に「龍」と「熊」に関する考察を選びました。甲骨・金文の基本構造は象形であるとされながら、動物文字の多くは生きた動物の姿を写したものではないことに気づき、その疑問を晴らそうと思ったのです。
たとえば、牛や羊字は特徴的な角によって表され、鳥や馬字は実物を知らなければ本来の姿をイメージできないくらいデフォルメされています。鹿字も、大きな角を振り上げて跳びまわる鹿の象形に見えなくはないのですが、鹿字ときわめて類似する慶字の場合は、心臓を取り出された動物の象形なのです。慶とは、神判(吉凶の占い)のときに用いる鹿などの動物を表すとされ、占いの結果が吉の場合を慶、めでたいという意味になります。
熊字についてですが、初出の字である能字を、三足の動物とする説(6世紀の辞書「玉篇」など)がありますが、そのような動物は実在しませんし、文字の構造も動物の熊に似ても似つきません。
能字を構成する要素は、横棒のようなものの上に載った「ム」、横棒の下の「肉月」、旁の部分の「ヒ(卜)」です。「ム」とは魂が宿る心臓あるいは頭蓋、「肉月」は文字どおり肉、「ヒ(卜)」の形はまさしく骨。熊字はこれに火を加えたものです。
また、鳥字にも横棒があり、棒の上で羽を広げた鳥を表したものと考えられます。これらの横棒は、アイヌの人々のヌサのような祭壇を思い起こします。
龍(竜)字については、殷の時代、すでに尾を丸めたような「竜」と四角い「龍」の二文字が存在しました。竜字は一説に蛇形の動物を表すとされますが、角張った龍字は、どんな動物の姿を表したか想像すらできません。白川静先生は「説文新義」の中で、熊字の古文の構造が龍字に似る、と記しています。
つまり、龍字は我々のイメージする超自然の動物の象形ではなく、熊(能)の旁(つくり)を「皮」に置き換えた構造の文字なのです。これは解体した動物のパーツを並べた文字であることに疑いはないでしょう。私は、これらの文字を見て、狩猟民によって多くの地域で行われてきた動物祭祀に由来すると考えるのが最も自然なのでは、そして北方の出とされる殷人たちははるか古への狩猟民だったころの記憶をたどり、熊や龍字を描いたのでは、と思わずにはいられませんでした。
今から10数年前のことですが、書店で何気なく、「ものが語る歴史13 アイヌのクマ送りの世界」(札幌大学ペリフェリア・文化学研究所編 同成社刊)という本を手に取り、《ニヴフの家屋内の祭壇》が描かれたページを開きました。そこには、羆の巨大な頭蓋が、部屋の天井に届きそうなくらい高く組み上げられた櫓のてっぺんに安置され、頭蓋につながった全身の皮が重々しく垂れ下がっていました。その様子は、立ち上がった熊が今にも広間の中に飛び出してきそうな迫力でした。私は、この図を見て、頭のてっぺんから電撃に打たれました。それはまさに、冠をつけ尾を巻いた、甲骨文のもう一つの「竜」字そのものだったのです。
殷人は、なぜ実在する熊の意味を持つ熊字のほかに、龍という架空の動物字を作ったのでしょうか。同じ構造の文字なのに、そのイメージが異なる理由とは。
「アイヌの世界観」(山田孝子著)第5章『2北方諸民族における世界観』で、サハやニヴフの人々は山・森などを所有する「主霊」の観念を持ち、なかでも、サハは牧畜社会の所有の観念に根ざした絶対的な力を持つ最高神を戴くとされます。そのため、熊をカムイとするアイヌの観念とは違い、熊は主霊の命令によって人のもとへ送られるのであり、儀礼の対象はクマでなく主霊なのだといいます。
殷人が用いた龍字においては、私の知る限り、架空の聖獣である龍を意味する用例はありません。龍字の主たる用法とは、帝の意志を聞くため、動物(あるいは人)の犠牲を捧げる祭儀を表すものでした。(その他、祟りの用法や地名、部族名に使用される)こういった観念は、サハの熊祭りによく似ていると思います。
これらの祭儀が龍などの動物霊(四神・四霊)の観念を生み、最高神である帝の従者に発展したのではと思われます。なので、龍とは、自分たちの神のために他者を犠牲にすることを正当化する観念の象徴のような気がします。怖いです。
一方、アイヌの場合は、人や熊をはじめ、神羅万象との関係に大きな格差がなく、種々のカムイが唯一絶対ではないという観念を持つからでしょうか、彼らの祭祀には親しみがわき、このような精神から龍の観念は発生しないだろうと感じられます。
これからも、古代史、考古学、文字学などの勉強を続けるつもりです。機会がありましたらご教示願うことがあるかもしれません。今後ともよろしくお願いいたします。(2022.3.23)