須賀敦子を読んでいると、こんな風に感じられる。
身の回りに起きるありのままの今を記述することが、自身の人生に価値を生み、うるおいをもたらす。つまり、日常生活を正直に描くことが芸術なのだ。逆に、自分を偽って、目先の利益や見栄えを追い求めるような生き方をしていたなら、目と精神にひずみが生じ、大切な存在を見失ってしまう。
ところで、春以来、家の車2台、洗車しないまま放ったらかしにしていた。古い車なので洗っても代り映えしないし、コロナ禍でほとんど乗らなかったし、遠出しなかったからというのがその言い訳。ほんとうはコロナじゃなくても車には必要に迫られなければ乗らない。
洗車に限らず、家の外の作業はほんとうに不得意だ。というか、几帳面でまめまめしい人には理解しがたいだろうが、家の周りがどんなに荒れ果てようが気にならない。困ったものだ。
若いころは多少アウトドアに関心があった。ハンドルを握ると、思い出すとまだハラハラするくらい破天荒な運転をした。そんな真似をしたので、車に飽きるのが早かったのかもしれない。30歳代後半からは軽自動車にも乗った。スピードが出るとか、かっこいいとか、そんなことで車を選ぶこともなくなった。
ところが、運転歴50年に近づくほどに、一度くらい格好いい車に乗ってみたいと夢にまで見るようになった。ベンツやポルシェまで所望するわけではないが、急にほしがるようになったのは、年取ったせいで経済観念や分相応という感覚がマヒし始めたからなのか。恐ろしい。(2020.10.25)