黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

すれ違う人 今は

2013年04月25日 13時50分08秒 | ファンタジー

 2011.11のブログに書いたように、朝の通勤途中、何年も前からほぼ毎日すれ違う、年格好六十代半ばの男性がいる。こんなことを言うと相手の方に失礼なのだが、私の場合、仕事への意欲があって会社に向かうというより、通勤すること自体に意味があると思っている。その私が、彼に会った瞬間、会社からいつ身を退くか時期を窺っている者同士なのだろうと直感的に思った。
 彼の顔を今月に入って一度も見ていないような気がする。年度の切れ目の三月末で退職したのだろうか。何度も危うい目に遭ってヨレヨレになった私よりも、先にいってしまうなんて。寿命が尽きたわけでもあるまいし、ちょっと嘆きすぎだが、またひとつ通勤の励みになるモニュメント的存在が消えた。どこの誰かもわからないし、もう一生会えないと思うと残念で仕方がない。その一方で、会社を辞めて自由時間を持てるようになった彼が羨ましくてならない。
 ある人は、ヒトの生きられる最長の年齢、確か百二十歳だったと思うが、そんなに先まで人生設計をしていると聞いたことがある。そうすれば、明るい未来を思い描きながら、幸せに生き続けられるというのだ。そこまで無理しなくてもと半信半疑な気持ちでじっくり考えてみた。私の残年数六十年を、物書きと本屋稼業、家事、万民への奉仕の三分野に均等につぎ込むとすると、それぞれ二十年しかない。まだまだ長生きしなければその道のプロになることはできないだろう。そのためにも、早めに会社にお別れしたい。(2013.4.25)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間がないといいつつ昼寝かな

2013年04月19日 11時03分22秒 | ファンタジー

 三月中旬から「ブタたちの陰謀」続編を書き始めているのだが、進み具合はどうも芳しくない。物語の構想をあいまいにしたまま、思いつき半分で書くからこうなるのは当然として、以前に比べ執筆時間が少なくなった影響はかなり大きい。空き時間が少々あるからといって、必ずしも書けるというものではない。電子機器にさえ認められているウォーミングアップの無駄な時間が、ヒトにも必要なのだ。
 ところで、年寄りから聞いていたが、年取るほどに一日の時間が短く感じられるのはほんとうだ。私など、十代二十代ころの半分しか時間がないという気がする。余裕がないものだから、公私ともに雑用が多くなると、自分の好きなことができない、手作り本にもなかなか手が付けられないなどと、心の奥にしまい込んでいたイライラが口から衝撃波となって飛び出してしまう。それが原因で、周囲からバッシングを受ける。これまた、こんがらかった人間関係を修復するのに、よけいな労力と時間を費やす。
 言い訳はいいかげんにして、何を書いているかというと、タイトルは「暗く深い森のヒツジたち」という童話の一種。まだ、冒頭部分に戻って書き直しをしている段階なので、スタートは連休明けになると思う。
 それにしても、自分の体の半分ほどもありそうなモルモットを背中に乗せて、気持ちよさそうに舐められているネコがうらやましい。スピーカー音を出したら、きっとネコの喉を鳴らすグルグル声が聞こえそうだ。時間なんて気にしない、そういうネコ生の余裕を分けていただきたい。(2013.4.19)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の雪

2013年04月12日 10時13分49秒 | ファンタジー

 今朝方も、しつこく雪が舞っていた。春の雪という言葉の響きは大変心地よいのだが、雪そのものは薄汚れてみすぼらしい。かすかな風に吹かれてうろうろする様子は、地上近くまでやって来たものの、どこにも着地点を見つけられず、引き返すわけにもいかず、弱り果てているような感じがする。傍らで見ている者は、早く降ってしまえとイライラさせられる。
 二週間前だったらぜんぜん違っていた。今交通止めの中山峠がちょうど圧雪アイスバーンだったので、支笏湖の南岸を走る国道二七六号線を帰り道に通った。夕方四時ころだったろうか。曇り空の中を支笏湖を過ぎ、千歳方面に向かう山道はほとんど車がなく、しんとしていた。道の両側の山林の景観は狭まったり広がったりしながら延々と続く。山々は、日中降った雪によってすっかり冬景色になっていた。そのとき、葉を落とした広葉樹とその間に混じる細身の針葉樹の姿が、突然変化した。枝という枝、幹という幹すべてが、ごく薄いピンク色に染まって輝き始めた。ちょうど陽が後方の山の端から、今日最後の光をわずかに送ってきているのだ。現実とは思えない景色だった。日本画に描かれた幻想的な世界に溶け込むかのような錯覚さえおぼえた。
 今朝のグレーな雪模様の中にも、クワァクワァと鳴きながら飛ぶ渡り鳥の一隊があった。今日の天気はそれほど崩れないのだろう。(2013.4.12)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治文學全集by筑摩

2013年04月05日 11時39分21秒 | ファンタジー

 最近、筑摩書房の明治文學全集全百巻が復刊された。文学の香ばしい薫りの記憶がよみがえる。私がまだ二十歳代のころ、何がきっかけだったのか思い出せないが、この明治文學全集を手に入れようと、出版元に直接かけ合ったことがある。古本屋どころか、新刊本もほとんど置いてないような本屋が一、二軒しかない辺境の地に住んでいたころのことである。
 全集は発刊途中だったので、既刊本だけ購入しようとしたのだが、数年前に発刊された巻のいくつかがすでに品切れになっていた。現在、本箱に収まっている巻数を数えたところ二十九冊ある。定価三千五百円をかけると約十万円にもなる。当時、数万円の月給取りがよく買ったものだと思う。財政負担が重すぎたためか、そのとき続刊を予約しなかった。全巻完結したころには、私の収集熱は別の本へ移っていた。
 持っている本をすべて読み通すことはとうにあきらめている。本に限らず、収集家というのは持っているだけで十分幸せなのだ。十年に一度くらい、何かの折に古き文豪たちの名前を耳にして、蔵書の中から埃っぽい本を抜き取って、彼の生きた時代の空気を吸い込むだけでいい。
「坂の上の雲」がNHKテレビで放映されたとき、この全集や子規全集を取り出して、彼の作品にはこのようなものがあるのだぞ、と蘊蓄を述べたときの気分の良さは、この世のものとは思えなかった。このとき、子規を支えた陸羯南(くが かつなん)の論攷が明治文學全集の政教社文学の巻(37巻)に出ていることを初めて知った。
 本には、著者と同時代に生きているというような感覚をよび覚ますと同時に、その本を手にした自分が、ページに目を走らせたころの匂いや陽射しを思い出すものだ。とくに古本屋の片隅に積まれた名も知らない著者の古びた本に出会い、書き出しの数行の文字がすっと自分の感覚に溶け込んだときの不思議な気持ちはなかなか忘れられない。
 そのような本を出そうと思い、「ユメミテ書房」という個人出版社を立ち上げようと、今、画策している。(2013.4.5)


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝手な夢

2013年04月02日 15時54分41秒 | ファンタジー

 昨晩は、久しぶりに六時間以上、一度も目を覚まさずに熟睡した。そのような気がしただけかもしれないが。起床後、いつものように冷蔵庫の雑草茶を二口三口飲んでいると、目覚めているのに、脳内に不思議なイメージがいつ終わるともなく、次々と沸いてきた。夢を見ている気分とはまったく違う。過去に一度か二度見た夢の残像を、私の脳髄が、持ち主に了解を取らないで勝手に思い起こしている。その映像は、夢につきものの、理屈で説明できないアブストラクトな部分だけを抽出したもののように感じられた。
 ふと、これらのイメージは昨晩見た夢かもしれないと別の脳で疑ってみた。とすれば、睡眠から覚めて、まだうつらうつらしている最中に、後味がいいか悪いかはともかく、見た夢のほんの一部がずっしりとした塊となって脳内に再現されるはずだ。今朝の現象は、それとまったく違っていた。だいぶ前に一度だけ、同じようなことがあったという気もしないわけではない。と思っているうちに、脳内スクリーンの映像は突然途切れた。きっとほんの十数秒の出来事だったのだろう。
 今朝の勝手に再現される夢の切れ端は、あまりにもつかみどころがなく、文章で具体的に表現できる性質のものではないが、苦し紛れに書いてみる。
 どこかの異次元の空間としか言いようのない、何もない宙ぶらりんのぼやぼやの中に、この世のものでないたくさんの映像が渦巻いている。それは、形がありそうでなく、新しそうで古びていて、終わりがありそうでないもの。言葉や音や色がありそうでなく、楽しそうでいて苦しそうでもあるようなもの。その流れる夢を一時停止してじっくり見たいようで見たくないような、自分自身の影がその映像に紛れ込んでいるようでいないようなもの。非常識のようでそうではない、とらえどころのない映像が一定のスピードでどんどん流れていく。
 これは、真っ昼間に見る夢、いわゆる白昼夢(ディドリーム)とも違う。白昼夢とは、普段、心に抱く強い願望がぼんやりした意識を追いやって、夢の形になって現れるものらしいが、この朝の幻覚には、私の願望や意志などまったく反映されていないのだ。
 一方で齢が齢だけに、得体の知れない不安が交錯する。父母は、二人とも、まったく症状は違ったが認知症だった。自身によってコントロールできない意識の世界がどんどん膨らんでいき、ついには意識すべてをその受動的意識にとって代わられるということがあるのだろうか。なんだか心配だが、当の両親が不幸そうには見えなかったのが、一縷の救いだ。(2013.4.2)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする