2011.11のブログに書いたように、朝の通勤途中、何年も前からほぼ毎日すれ違う、年格好六十代半ばの男性がいる。こんなことを言うと相手の方に失礼なのだが、私の場合、仕事への意欲があって会社に向かうというより、通勤すること自体に意味があると思っている。その私が、彼に会った瞬間、会社からいつ身を退くか時期を窺っている者同士なのだろうと直感的に思った。
彼の顔を今月に入って一度も見ていないような気がする。年度の切れ目の三月末で退職したのだろうか。何度も危うい目に遭ってヨレヨレになった私よりも、先にいってしまうなんて。寿命が尽きたわけでもあるまいし、ちょっと嘆きすぎだが、またひとつ通勤の励みになるモニュメント的存在が消えた。どこの誰かもわからないし、もう一生会えないと思うと残念で仕方がない。その一方で、会社を辞めて自由時間を持てるようになった彼が羨ましくてならない。
ある人は、ヒトの生きられる最長の年齢、確か百二十歳だったと思うが、そんなに先まで人生設計をしていると聞いたことがある。そうすれば、明るい未来を思い描きながら、幸せに生き続けられるというのだ。そこまで無理しなくてもと半信半疑な気持ちでじっくり考えてみた。私の残年数六十年を、物書きと本屋稼業、家事、万民への奉仕の三分野に均等につぎ込むとすると、それぞれ二十年しかない。まだまだ長生きしなければその道のプロになることはできないだろう。そのためにも、早めに会社にお別れしたい。(2013.4.25)