ヒトは基本的に同じ種とされている。DNAにネアンデルタールのかけらが入っていようと、それはほんの微細なものだ。ところが、周囲を見回すと、顔も性格も行状もそれぞれ違いすぎることに愕然とする。よく考えると、私たちがネアンデルタールのかすかな血統を受け継いでいるということは、それより五~七百万年もはるか昔のラミドゥス、アファールなどの一変種でもあるということなのだ。驚くことはない。
ところで地球の外、数十光年ほどの範囲に、この星と似たような惑星があるというから、ひょっとすると数百万年前の猿人たちよりも、よく似た宇宙人が存在するかもしれない。冗談を言っているわけではない。事実、私なんて、面と向かって、何度も宇宙人だと言われてきた。失礼極まりないけれども、そう言われたときは、あんたほど遠い星からやって来たわけではないと抗議することにしている。
最近は、一千万光年も離れた宇宙の果てからやって来た者が多くなったためか、さすがの私も彼らが何を考えているやら、さっぱりわからない。ささいな出自・血統の違いにこだわって、あれほどまで残虐な仕打ちを他のヒトに向けることができようとは。それらの事実とヒトの精神について、子どもたちにどうやって説明したらいいのか、頭を抱えてしまう。この地球には、多くの平和的な宇宙人が暮らしているというのに。私たちの周囲には、種が違っても、限りなく無償に近い愛情を注ぐことができるネコたちがいるというのに。(12.10.30了)