退院してから、ブログの入力画面に向かって、自由な思考のこと、マンデラ氏とオバマ氏のこと、自省する心の欠如した方々(自分を含め)のこと、羆撃ちのこと、中途でうち捨てた書き物(ブタたちの陰謀)の続きなどを、なんとかものそうと思うのだが、時間があれば書けるものでもない。三年半前、会社に休養を申し出て、四十日余りの空白期間にも感じたことだ。
あのときは、大げさに表現すれば、自身をじりじり焦がすほどの悲憤と苦しみにあえいでいたが、今回は事情がまったく違う。正直に告白するが、生まれもった器官の一部を切り捨ててみたら、思いがけず、しがらみから解放されたというか、不思議な開放感に包まれた。気分がいいとまではっきり言えないのは、がんのため、やむを得ずそうしたという意志決定過程にいくらか割り切れないものがあるからだろう。
蛇足だが、自身の意志とか思想信条とか言ったって、こんなあやふやきわまりないものはない。誰の受け売りかわかったものじゃないし、だだをこねる幼児とさして変わらない。
ところで、退院後数日してから、久しぶりに車の運転席に座り、CDのスイッチを入れたとき不思議なことが起きた。ロッドスチュアートのかすれた声が無遠慮に飛び出してきた。その音声は、数十年にもわたって繰り返し聞いていたはずなのに、初めて耳にするような新鮮さに満ちていた。鋭くない私の感性は止めようもなくぶるぶるうち震えた。今回の手術は、私自身意識しないようにしていたが、やはり衝撃的な出来事であったのだろう。(2013.12.27)