黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

よく読む雑誌

2017年02月28日 13時46分55秒 | ファンタジー

 goo事務局からお題が出されたので一言。
 現在、定期的に読んでいる雑誌(月刊)は、岩波書店の「図書」、筑摩書房の「ちくま」、みすず書房の「みすず」の三つ。「図書」と「ちくま」は年間購読料が送料込みで1,000円、「みすず」は3,780円で、トータルして年に5,780円しか払ってないが、一冊100円程度の薄っぺらな雑誌を見くびるなかれ、内容はグーグル、ヤフーより格段に濃い。読破するにはかなり難儀する。
 なので、「図書」の古びた評論、「ちくま」のわずらわしい創作、「みすず」のあまりに専門域に埋没した記事などは後回しにし、次号が来たら本号読了とする。ずっと昔、暇な学生時代には、新潮社の「波」と講談社の「本」も取っていた記憶がある。いずれも年間1,000円で、そこそこの書き手の著作が読めるから超お買い得。
 圧巻は「みすず」一、二月合併号に掲載される、140人あまりの各界の方々による書評。これを読めば、昨年まで出た本に一通り目を通した気分になるから不思議だ。目が吸い込まれそうなほど面白いので、老眼の向きには度を過ぎないよう多少の警戒が必要だ。 
 ところで、このような格調高い出版社ながら、なかには、興味本位の出版物に手を染めて、目先の利益から抜けられなくなる社もある。恐ろしや、週刊〇〇、フラ〇〇〇。私には何ひとつ関係ないが。(2017.2.28)
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猫の日ニャン

2017年02月22日 11時27分31秒 | ファンタジー

 今日は二月二十二日なので、日本ではニャン・ニャン・ニャンの「猫の日」。平成二十九年にあやかったのではないが、我が家のカレンダーには、はなの二九球スタンプがおしてある。
 はなは、もうじき十三歳だニャー。雌なので体重は公表していないが、この数ヶ月で三百グラムもやせた。心配性の父シャンは、嫌がる猫を無理やり、山寺のかん袋ならぬキャリーバッグに押しこめ、近所の病院へ連行した。
 血液検査の結果、昨年、多少高かった腎臓の数値は安定しているし、その他もまったく異常なし。先生が首を傾げて言うには、加齢のせいかもしれないが、五.七七%もの体重減少はちょっと心配。はなチャンは、好みがはっきりしたお嬢さん猫なので、今食べているドライフードが気に入らないのかも、とのこと。値段がはりそうなドライフードのサンプル三種類をいただいた。
 病院の教えどおり、缶詰少々の上にドライを載せ、はなお嬢の前にうやうやしく差し出すと、焼きサンマほどではないが、なかなかの食べっぷり。ダイエットしていたわけではなかったようだニャ。(2017.2.22)
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お助けチョコ

2017年02月15日 10時03分43秒 | ファンタジー

 昨晩、帰宅すると、居間のテーブルの上に山のように品物が載っていた。それらは、妻の知り合いのお孫さんが手作りしたチョコのおすそ分け、妻の友だちからの日ごろお世話になっているお礼、妻のおしゃべり仲間からのおやつの切れ端など、すべて妻経由のチョコレートの差し入れなのだ。一応、バレンタイン・デーなので、ご主人によろしくとのこと。これがつまり、直接、本人に手渡しされないお情けチョコ、憐れみチョコというやつなのだと感じた。まあしかし、自分で買うより、いただけるだけでもいいとするかと、深く考えるのは止めにした。(2017.2.15)
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複雑・回帰の二月

2017年02月14日 16時19分09秒 | ファンタジー

 私の誕生月の新暦二月はまだ真冬。生物はみな活動を緩めている時期。一年でいちばん目立たない静寂な月だ。ちなみに旧暦二月は三月下旬の「春分の日」前後。
 ところが、ヒトの世界では、ちょっと首を振れば〇〇スポーツ大会とか〇〇祭りとか、二月の行事がうるさく目につく。バレンタインデーなる行事はなんで二月なのか。義理チョコさえもらえなくなった身にはこたえる。先ごろの日米首脳会談だって、経済界などの取り巻きのためのお祭り騒ぎみたいなもの。せっかく誕生月を忘れようとしていたのに、何だか気分がムシャクシャする。そんなことをつべこべ言わずに、年寄りは黙って姿を消すのがいいのだ。
 ところで、北斎は美術館ができたからなのか、最近あちこちに出没している。
 彼は、九十歳間近の亡くなる床で、娘のお栄に、あと十年、いや、あと五年の寿命があったなら真正の画工になれたのに、と言ったという。恐るべき執着心、意欲的な発言だろうか。
 やはり北斎を見ならうべきか、周囲にいやがられても。(2017.2.14)
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伝統的な仕事人

2017年02月09日 11時27分33秒 | ファンタジー

 ラジオを聴くともなく聴いていたら、「やってみたいアルバイトは何?」というテーマでリスナーの声を紹介していた。その中に、マック(マクドナルド)の店員をやったことがある、今やっているという若い女性からの回答が複数あった。彼女たちによれば、マックはあこがれ、夢の仕事だという。事実、アルバイトとはいえ、彼らはクルーと呼ばれ、充実したマニュアルにのっとって、実にスムーズに作業ができる快適な職場なのだ。この会社には、バイトをやりながら試験を受けて正規の社員になった方々もいるようだ。いわゆる自己実現できる働きがいのある職場なのだろう。
 中沢新一氏によれば、レヴィ=ストロースは労働についてこう言っているそうだ。
 欧米では、「労働」という言葉は聖書に記される「苦役」を意味する。エデンの園で、アダムとイブは労働する必要のない恵まれた状態にいたのだが、いろいろな事情で、罪を犯し出て行かざるを得なくなった。なので、ヒトがこの世界で働くことは罪の償い、つまり苦役でしかない。
 ストロース自ら、日本へ調査に来たことがある。人形作り、焼き物、塗りなどの職人から小さな町工場のおじさんたちにまで話を聞いたところ、彼ら仕事人は口をそろえて、「仕事をすること自体が楽しくうれしい。果物が実るのを見るようなものだから」と語った。心の奥底に苦役とは異なる労働観が存在するのを改めて確認し、彼は大変な日本びいきになったという。 
 今の若いヒトは、正規、非正規はそれほど問題にならないのかもしれない。私も若かりしころ、自己のミッションを求めて放浪したものだ。こうした労働観に立っているので、この国では、言葉は悪いが移民でなくても 安賃金に見合わないくらい一生懸命働く。伝統的な産業はこうした職人さんによって支えられている。裏を返せばブラック企業が発生しやすいということになる。悪辣な経営者にとって、この社会風土を悪用し、まじめなヒトたちをだますのは簡単なこと。
 最近のマックは、製造過程の不透明さなどで物議を呼んで評判を落としているが、彼女たちにはまったく関係ない別次元の出来事。この国の職人さんやマックの方々の無垢な生き方に、若干の危うさを感じないわけではないが、伝統的な豊かな思考が生き続けることを望む。

 ところで、別次元の出来事といえば、どこかの国の防衛大臣はだいぶ老化が進んだのか、他国へ派遣している平和維持組織が見たこと聞いたこと体験したことに、耳も目も頭も反応できなくなったようだ。最前線の情報を握りつぶそうとは、大猫帝国の時代とまったく同じあやまちをくり返そうとしているとしか思えない。政府は、この国の人々と伝統を踏みにじって、どこか別次元の世界へ行こうとしているのか。(2017.2.9)
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書評もどき

2017年02月02日 16時03分09秒 | ファンタジー

<マイナス25°Cの朝。サンピラーが出た。でも写っていない。>

 本のレビューを書こうというのではない。なにせその本を読んでいないのだから。
 最近、ビッグヒストリー(明石書店)とかサピエンス全史(河出書房)とか、長大な歴史の記述本が相次いで翻訳された。ビッグは138億年前のビッグバンから、サピエンスは7万年前のいわゆる新人の登場から書き起こされているという。
 一方で、ある宗派の信徒の一部は、大洪水が世界を襲ったときノアの箱船に乗ることができた生物文物だけがこの世に存在すると信じているという。今では化石になった恐竜やアンモナイトなども箱船に乗ったそうなのだ。驚くなかれ、その洪水は紀元前三千年ころの出来事だという。そのころもっとも辺境のこの列島でさえ、すでに縄文の文化に浴していた。もちろんマンモスはすでに死滅していた。歴史への思い込みは理性を滅ぼす。
 上記二冊の本は、そんな次元をはるかに凌駕し、きわめて学術的見地から書かれたもの。でも、ヨーロッパ的歴史観にすべての事象を押しこめようとするところは、キリスト教徒の箱船搭載文明論と基本線は同じに見える。
 彼らの言うように、あらゆる社会の起源は果たして一点に収れんするものなのか。たしかに時間軸をさかのぼれば、サピエンス、エレクトス、アファール猿人、そして白亜紀やカンブリア紀を通って、はるか先のビッグバンに行きつくのだとしても、ある瞬間の次元や構造を切り取ってみたら、この世界は前へ進みも拡散もしていない。時間の観念なんてサピエンスの錯覚であり、現世とは、脈絡なく変化する一瞬一瞬を積み重ねたものにすぎないと言っている学者さえいる。
 NHKの100分de名著で、レヴィ=ストロースの「野生の思考」が中沢新一先生によって紹介された。今そのテキストを読んでいる。レヴィ=ストロースには、これまで、「悲しき南回帰線」(講談社学術)、別の訳が出たので再度「悲しき熱帯」(中公)に挑戦したのだが、二度ともはね返された。「野生の思考」(みすず書房)を書棚に探してみたら、思いがけず「構造人類学」(みすず)が出てきた。本を抜き取ると、ほこりがビッシリこびりついていた。明らかに読んでいない。
 フランス人の思考回路というのは、日本人の頭の回線の十倍くらい太いと思う。その分、必要かどうかわからないが多くの観念が流れているので、口げんかではとても太刀打ちできる相手ではない。でも、両国人はどこか似ているところがあるのではないか。
 ストロースが言うように、記述された歴史を持つ閉鎖的で自己中心的な文明は、別の歴史や神話を生きるヒトビトを地球上の至る所に置き去りにしてきた。しかし、それらの忘れられたような生命体はきわめて精緻な上に、なぜか互いに類似した社会・精神構造を保持して、今もなお生きながらえている、いわゆる野生を保ちながら、と私も思う。(2017.2.2)
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いつまでも治らない

2017年02月01日 15時36分53秒 | ファンタジー

 何か書こうとしたら、衆目にさらすには躊躇するようなことばかり頭に浮かぶ。内容は、それほど下品というのでなく恥ずかしがることもない。ただ、本人が滅入っているので、言葉遣いが少しくどくなるくらいのもの。そもそもこういう前置きをしなければ、本論に入れないことに問題がある。
 じつは、昨年暮れから、体調がはかばかしくない。もうダメという限界に近づいているのではない。たとえば、脂漏性皮膚炎や酒さというのは、顔から余計な脂がダラダラしみ出す体質の場合はなかなか治らないらしい。その皮膚の炎症に冷たい風が当たると、真っ赤に腫れ上がることがある。先の土日は痛がゆくて眠れないくらいひどかった。その部分にカミソリを当てたくないので、あごひげを生やそうと思うのだが、会社勤めしている間はそれもできない。
 先週金曜日、朝の用足し後、大事にしている痔が痛み出した。恐る恐る指でさぐってみたら、また例のプルプル腫れ上がったイボに触った。前の晩の飲み過ぎがたたったのか。ビール、ワイン飲み放題900円に化かされて、つい頑張ってしまった。あれから一週間。アルコールや辛い食べ物などをセーブしているのに、いっこうに復旧のきざしがない。数年前、医者から申し渡された、悪化するようだったら切ってあげるね、が現実になりそうで恐ろしい。
 三、四日前から左肩の関節辺りが痛んで、左腕が肩の高さから上がらなくなった。髪の毛を洗うのもつらい。昨日、職場の近くの懇意にしている整骨院で、腋や肩甲骨付近の筋の張りや凝りをチョコチョコとほぐしてもらったらずいぶん楽になった。専門家にとって、ヒトの体とは単純な構造をしているらしい。
 このように、体のはしはしに痛みやかゆみがあるだけで、気分はすぐれない。これ以上、書くと、日ごろの鬱憤が情熱を呼び寄せ、世界各地の大統領やお偉いさんの方々の名誉毀損まで行ってしまいそうなので、はな のようにのんびり腕を伸ばして一休みしたい。(2017.2.1)
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