黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

子育てする魚たち

2011年11月29日 15時07分17秒 | ファンタジー

 タンザニア西端のタンガニーカ湖に生息する、体長五センチほどにしかならない魚の驚くべき子育ての記事を見た。彼らは数百、数千匹の群を作って行動していて、卵から孵った稚魚を、まずメスが口の中で育てるのだそうだ。その間、親魚はどうやって餌を食べているんだろうか? それはともかく、そこまでは特別不思議ではない。母親はどんな種においても過重な育児労働を背負うものだから。
 その魚は、一定期間を経ると、今度はオスに稚魚を引き渡すそうだ。鳥類は同じペアで一生を送るケースがずいぶん報告されているから、当然鳥のオスは育児に熱心なのだろう。犬が猿の子どもの面倒を見たり、猫が小さなインコをかわいがったり、人のオスの間で子育てがトレンドになったりする時代なのだから、なにが起きても驚かない。
 日本の調査隊は、稚魚を受け取ったオスとその稚魚のDNAを調べてみた。すると、驚愕の事実が判明した。オスのDNAと稚魚のそれとが、すべて一致していることが証明されたのだ。ということは、メスは自分の卵を孕ませたオスを識別して、稚魚を渡したということになる。群の中からひとつの個体を判別する能力とは、人の器官はあまり精度が高くないから信じられないかもしれないが、たとえば海から戻った親ペンギンが、何万匹もの子ペンギンのひしめく繁殖地で、迷うことなく自分の子に餌を届けることができるほど精巧なものだ。
 この魚の産卵形態がどうなっているのか紹介されてはいないが、普通、河床に産卵受精する鮭などの場合のように、メスの産卵場所目がけて多くのオスが先を争って殺到する情景を思い浮かべる。この魚たちも、とくにメスは、その場面でどのオスが他のオスを蹴落として事を成就したか、目を皿にして探しているということなのか。それとも、彼らにとって、受精した卵や稚魚がどの親魚に属するのかわかるのは当然ということなのだろうか。ひょっとすると、鳥類のように、決まった伴侶がつねに傍にいると考えることもできるだろう。実のところは、人がとやかく考えるほど、不思議でもなんでもないよ、ということなのかもしれない。
 最後の付け足し。彼らの生き様と、私が経験した家庭の有り様を比べてはいけないのだが、魚やペンギンたちの律儀でいじらしい育児姿に心が洗われて、なんだか人の営みの方が辛く哀れに思われるのは、あまり悲観的に過ぎるだろうか。(2011.11.29了)
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媚びる人 すれ違う人

2011年11月22日 15時48分16秒 | ファンタジー

 横暴上司には媚びろ!それって素敵やん?というキャッチコピーがインターネットの記事に載っていた。私は部下にも上司にもなった経験があるが、文句を言う上司や部下は、どんなに物わかりのいい人からも、確かに嫌われる。組織にとって、媚びへつらわない人とは、和をかき乱すだけのほんとに邪魔なヤツなのだ。そういう意味で、媚びるタイプの人がいなければ、組織の当座の平和を保つのはむずかしい。
 しかし、媚びる人が素敵かどうか、私にはよくわからない。確かに、媚びる人は周囲にあまり害を及ぼさないという点で、どっちつかずのいい人だろうとは思うが、組織にとって役に立つかどうかはきわめて怪しい。事実、そういう人ばかりだと組織はいずれ潰れてしまう。
 年を取りすぎたために、今では自分がどちらのタイプに属していようと、誰からも文句を言われなくなり、そのかわり賞賛されることもなくなった。そんな境遇になってみると、あのときもう少しゴマをすっておけばよかったとか、はっきりものを申していた方が昇進したかもしれないなどと、思い当たることが色々出てくるものだ。横暴な上司に媚びるのも、たて突くのも、現役の場合、どちらも素敵だというのが結論なのか。私個人としては、上司の禿頭を叩いたときの快感の方がずっと鮮明に記憶に残っているが。
 話はまったくかわる。この二年ほど、通勤途中の駅構内の連絡通路で、ほとんど毎朝すれ違う、私より若干年上に見える男性がいる。お互いに見るともなしに、相手の顔に視線を走らせるようなすれ違い方なのだが、二日続けて顔を見なかったらどうしてしまったんだろうと心配になる。もちろん名前も身分も職業も年収もなにもかもぜんぜんわからない。
 しかれども、気になるのだ。ひょっとすると幼い頃近所にいた遊び仲間なのか、幼稚園か小学校の同級生なのか、それとも前世からの深い因縁があるのか、と想像してみるのだが、そんな根拠はなにも見当たらない。そもそも相手に声をかけようとか、いっしょに酒を酌み交わそうとか、様々詮索しようとか、そんなことはどうでもいいのであり、顔を見るだけで安心するという、そういう人がいるのは幸せなことだと最近思うようになった。(2011.11.22了)
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イケネコはな

2011年11月18日 14時27分37秒 | ファンタジー
 我が家の愛猫はなの姿形は、同居人が言うのもなんだが、フォトチャンネルの写真写りのとおり、なかなかのイケネコだ。イケネコとは、イケメンをもじった私の造語。イケメンは人間の男性に対して使う言葉なので、メスのネコをイケネコと呼ぶのは適切でないかもしれないが、そもそも造語は先に作った者勝ちなのだから、勝手に表現させていただいてもかまわないだろう。
 以前、ネコの顔の表情について書いたものを読んだことがある。それによると、ネコの表情が冷たく見えるのは、独立心が旺盛でわがままな性格に起因するのではなく、顔の表情を作る筋肉が、たとえば犬などに比べ未発達のためだと言うのだ。人間の場合も、表情が冴えないタイプは顔面筋肉が未熟ということなのか。
 はなは普段、ネコ顔をしている。ネコ顔とはどういう顔かと聞かれたら、一般的なネコの顔をしているとしか答えようがない。眠たいとき、腹減ったと言うとき、撫で撫でしてとすり寄ってくるとき、ボール遊びしようと目を輝かせるとき、はなの顔はネコの顔をしている。
 ところが、あるときだけ、はなはネコ顔でなく、いやネコの顔なのだが、ネコとしてはなんとも奇妙な表情を見せるのだ。それは、彼女が、居間の低いテーブルに両肘をついて、私たち人間の話に入り込むときだ。彼女は疑り深い目でしっかりとこちらの二人を見つめて、まるで「話を聞こうニャン?」と語りかけてくる。
 思い起こすと、はなはまだ一歳かそこらのときから、その格好で割り込んできた。そのころはボール遊びをするときと同じようなキラキラ目をしていた。でも、いつのころからか、ネコの目とは思えない、老成したというか、世間の酸いも甘いもよくよく知り尽くしたという目つきをするようになった。その表情は、目尻が垂れて瞳孔が小さくなり、頬がこけ、かわいげがない。いかにも老衰間近のお婆に似ている。人の顔なら、こんなあからさまな批評をしたら名誉毀損になりそうだが、ネコにつき勘弁してほしい。
 そういうとき、はなは、しゃべりはしないが、いかにもなにか言いたそうなオーラを送ってくる感じがする。夜が更けるほどに、酔いが回り、そのかわりろれつが回らなくなった人間を観察しながら、不細工だが豊かな表情の彼女は、「ばか言ってんやニャーよ」とか、「いい加減、寝た方がいいんやニャーか」などと忠告してくれているようだ。
(2011.11.18了)

<この写真は、四、五年前のまだかわいい目つきのころ>
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遅読の典型

2011年11月15日 10時36分58秒 | ファンタジー
「遅読の典型」

 あえて遅読しているわけではないが、たいていの場合、そうなってしまう。遅読が度をすぎると、そのうち、終わりまで行き着かないで放棄される本も現れる。アレクサンドル・デュマ著、鈴木力衛訳の「ダルタニャン物語」全十一巻は三十年ほどかけて、最後の章の後半まで来ているが、読み終えるのがもったいなくて完読していない。厳密に言うと、最後の巻の「鉄仮面」は、約四十年前、実家に大佛次郎訳の小さな本があって、食い入るように読んだ記憶があるから、実質読み通してはいる。この物語の一巻目は有名な「三銃士」で、多くの日本人はこの内容を知っているはずだ。二巻目以降もたいへん面白い。妖婦ミレディの息子が三銃士とダルタニャンに復讐する物語、実直なアトスが清教徒革命で処刑される英国王チャールズ一世の断頭台に立ち会う場面、ダルタニャンが類いまれな洞察力と人を欺く天賦の才能を発揮する場面、最終巻をきわめて華やかに彩るアラミスの奇想天外な陰謀とそれに巻き込まれて命を落とす人間味溢れるポルトスの話など、長丁場のほとんどの物語は読者を飽きさせないが、私としては、鉄仮面の巻に入る前の、アトスの息子ラウルと彼の恋人との行き違い、ルイ十四世とその后たちとの恋のさや当てなどの場面は、当時の女性読者のために書かれたんだろうと思い、そこだけは速読した。なにせ三十年もの歳月をかけたため、印象的なところしか思い出せないのであしからず。
 中途半端にして放ってある本というか、ギブアップしたというか、そのような本としてまず最初に挙げなくてはならないのは、井上究一郎訳のマルセル・プルースト著「失われた時を求めて」。原文がどうなっているのか、今度ゆっくりフランス語が堪能な友人に聞いてみようと思うのだが、日本語に置き換えるのはどこか無理があるような気がする。最近、別の訳者の本が二種類あることがわかったので、取りそろえて読み比べてみたら、やはり日本語表記に納得がいかない。同じフランス人、ランボーの詩はきわめて難解ではあるが、ワンフレーズずつ切って読めば文法的に間違っていないし、意味も通っているのに。
 そのほかにも、埴谷雄高の「死霊」、ウィリアム・ジェームズの弟ヘンリーのなんとかいう本、ゲーテの本、川端康成・三島由紀夫・谷崎潤一郎のすべての本、マルクスとかマルケスとかの本、テレビの大河ドラマの原作となった長編など、放ってある本はたくさんある。中には、嫌いな本だから読み通せないというものも多少あるが、そういう本ばかりじゃないので始末が悪い。とにかく自分が死ぬまでかかってもまだ読み切れないくらい、たくさんの興味ある本があると思うだけで、なんだか嬉しくてぞくぞくしてしまうのだ。ちなみにプルーストの文章表現は嫌いではない。(2011.11.15了)
 
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南へ向かう蝶 宗谷岬のトンボ

2011年11月10日 10時55分16秒 | ファンタジー

 蝶が1200キロメートルを大移動した話。
 アサギマダラという蝶が、函館から下関まで、二ヶ月かけて約1200キロメートルをひらひら飛行したことが、最近確認された。一日の半分を飛行に充てていたとしたら、時速1.7キロメートルのスピードになる。雨の日はどうしたものかと悩んだかもしれない。強い風に吹かれれば、たちまち日本列島から外れ、海の上を飛び大陸まで到着した蝶もあっただろう。
 こういう行く当てのない旅をして、まるで待ちかまえていた人がいる下関に着くとは不思議と言えば不思議だ。刻々変化する気象条件、周囲を跳梁する鳥などの無数の外敵、降り注ぐ放射能などの汚染物質をもろともしなかったはずはない。一万のうちのひとつが到達したのだろうか。それとも群をなして飛行し、なんとかたったひとつだけを守ったんだろうか。この不確実性がなんともいいがたい快感を呼び覚ます。たとえば、偶然と必然とが実は裏側で一致していたとか、小さく見えるものが実は大きなものを包み込んでいたとか、アインシュタインの投げられた石は実は自分の意志で飛んでいったとか、隕石が地球に向かって飛んできたんじゃなく、地球が隕石に向かって飛んでいるんだとか、この世界には紛らわしい事柄が無数に存在している。この蝶もその中のひとつだと思えば不思議でもなんでもないのか。
 ついでにトンボが宗谷岬から北を目指して飛翔する話。
 だいぶ前のテレビ放送で、トンボ研究の専門家が、宗谷岬でトンボを待ちかまえる映像を見た。岬が海になだれ落ちるほんの手前に立ったその中年男性の頭上には、目にもとまらぬスピードで北の海へ向かって飛んでいくトンボがいた。まるでビュンビュンという羽音が聞こえるような勢いだった。確か、その近くの海岸には間宮林蔵が当時の樺太に渡った記念碑があったと思う。トンボとはなんの関係もないが。
 そのトンボは日本の固有の赤とんぼ(アキアカネなど)ではないようだ。ウスバキトンボという種類なのかと思うが、そのときのテレビ放送でなんと言っていたかまったく記憶にない。ウスバキトンボは、日本列島の南から北までの三千数百キロメートルを、二世代も三世代もかけて渡るそうだ。そうしたトンボの中には、宗谷岬に到達し、北に向かって吹き抜ける猛烈に強い風に乗って、飛んでいくものがいるんだろう。北方の島々や長い列島、遠く大陸まで行き着いた彼らは、決して日本列島に戻ることはないという。(2011.11.10了)
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鳶(とんび)の話

2011年11月07日 11時23分13秒 | ファンタジー
鳶(とんび)の話

 若いころ、日本の歴史小説を読んだ記憶はほとんどないのだけれど、その原典にもなっていると評価される森銑三氏の著作集を、今でも何冊か持ち歩いている。私がたいした読みもせず、内容さえ十分に理解できない彼の本を手放せないのは、本の内容がどうこうなのでなく、その文章に目を走らせるだけで、なんとも言えない心地よさに浸れるから。
 森 銑三(もり せんぞう、明治28年(1895年)9月11日~昭和60年(1985年)3月7日)は在野の歴史学者、書誌学者。(ウィキペディア)
 そういう種類の本は他にもある。私が二十歳前後に出会った、古井由吉氏翻訳の「誘惑者」(ヘルマン・ブロッホ作、筑摩世界文学全集1967年刊)を読んだときにも似たような感覚を味わった。この本は第二次大戦前夜のドイツが舞台の小説である。森氏の本とはまったく性質の違う本なのに、読んだときの満足感というか幸福な気持ちは、説明が付かないほど大きなものだった。実は最近、古本屋からその懐かしい本を取り寄せて数ページ読んでみたのだが、なんの感慨も浮かばないことにショックを受けて、書棚の奥に突っ込んでしまった。
 ところで、しばらくしまい込んだままの森銑三氏を思い出したのは、江戸学の先達、三田村鳶魚(えんぎょ)からの連想なのだ。そして、鳶魚を思い出したのは、自家の近くの並木の辺りから、鳶(とんび、トビ)のピーヒョロロという鳴き声を久しぶりに聞いたから。
 三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ、明治3年3月17日(1870年4月17日)~昭和27年(1952年)5月14日)は江戸文化・風俗の研究家である。本名は万次郎、後に玄龍。その多岐に渡る研究の業績から「江戸学」の祖とも呼ばれる。(ウィキペディア)
 鳶魚の本も屋根裏の書棚の片隅に一冊押し込まれていた。ページを開いてみたが、どうも読んだ記憶はない。決して廉価な本ではないのだけれど、そういう本が他にもかなり仕舞われている。
 鳶のことだが、数年前に、一羽の鳶が集団で行動するカラスの嫌がらせに遭っている場面を目撃した。その後、ずっと彼の気配がしなくなっていた。あのころの雛が成長して、生まれた巣の近くに舞い戻ってきたのだろうか。巣の周囲にはずいぶん新しい家が建ち、傍らの幹線道路の交通量も格段に増えた。しかし、彼の鋭い目と勇気は、そんな景色の変化に惑わされることはなかったのだろう。(2011.11.7了)
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