黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

熟年カラスたち

2024年12月08日 23時25分24秒 | ファンタジー
 熟年夫婦のように見えるカラスたち、のタイトルが正しい。
 目の前の小学校の草むらを縄張りにしているカラスが、つがいになって3年くらいになるだろうか。他に餌場があるらしく、たまにしか姿を見せない。
 ときどき単独行動しているので、振られたのかと心配していたら、数日後、2羽で来ている。しかし、夫婦喧嘩のあとみたいに距離を置いている。やはり夫の配慮が足りない?(2024.12.8)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネコネコネコ

2024年11月25日 20時19分12秒 | ファンタジー
 1分間で13以上動物の名前を言えるかと聞かれ、ドキッとした。言葉が詰まって、ネコネコネコと連呼したらどうしよう、とビクビクしながら実験開始。
 ネコ、イヌ、なぜかカバ、バク、ユキヒョウと希少動物にはまったり、ビーバー、苦し紛れにアリクイなどと言っていたら、30秒以内に13に達した。これ以上続けると自信をなくしそうなので実験終了。(2024.11.25)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロートレックずくめ

2024年11月17日 00時27分34秒 | ファンタジー
 一昨日になるが、札幌のかなり南のはずれにある美術館を久しぶりに訪れた。一度、ボテボテの重い雪に打たれたはずなのに、周辺の紅葉はまだ終わりではない。わが家のアジサイもなかなか葉を落とさない。まだそれほど寒くないのか。ゆくゆくは、内地のように落葉しない木々が現れるやもしれない。
 ともかく、寒かったり、それほどでもない日々がダラダラと連なって、この先どうなるか見えないといった感じだ。
 この展覧会の作品はすべてガラスで覆われているので、近づきすぎて鼻がくっついても構わないらしい。確認したわけではないが、そんなふうにしても注意されなかった。
 ところが、そこまで近づいたのに、絵やリトグラフからの印象がなかなか迫ってこない。ロートレックはあまりにも見慣れすぎた作家だからなのか。それとも、齢のせいで私の視覚と感性が弱ったのだとしたら、今後、何を見に行くのも入場料の無駄遣いになる。
 最近、気力の減退が起きているようなときがある。やりたくないことは明日にしようと割り切って、何とか乗り切っているが、やる気のあるときとないときの落差が気になることが多少ある。まぁ、こんなふらついた文章を書いているうちは大丈夫か。(2024.11.17)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非整数次倍音とは

2024年11月08日 00時25分36秒 | ファンタジー
 この1年あまり、お気に入りの曲を300曲くらいスマホのアプリにストックして、飽きもせず聴いている。
 聴きたい曲を選んでみたり、メニューの先頭から順番にかけてみたり、そのときの気分次第。そんなふうに1日に何度も繰り返し聴く。そのうち、曲によってかかる回数が大きく違ってくるのがわかる。
 たとえば、ビートルズよりローリング・ストーンズ、シナトラよりルイ・アームストロング、アレサ・フランクリンよりニーナ・シモン、ジョン・レノンよりデビッド・ボウイ、ジョージ・ハリスンよりニーナ・シモン、マイルスよりウェザー・リポート、エラ・フィッツジェラルドよりビリー・ホリデイ、ポール・マッカートニーよりスティング、ルー・リードよりジョー・コッカー、イーグルスよりザ・バンド。ブルース・スプリングスティーンよりバディ・ガイ。きりがないが、後者の方が断然登場回数が多い。美しい響きの曲よりも、癖のある泥くさいのが好みなのだ。
 最近、非整数次倍音という音波の話を聞いた。非整数ということは、整わない音をいうらしい。どんなのかといえば人工的な音でなく、自然界にある、たとえば波や滝、虫の声など。私は遠くに聞こえるカラスの鳴き声やプロペラ機の発する気だるい音にも心をいやされる。
 人の声にも整数と非整数の両方がある。わかりやすいのは、バーブ佐竹、青江三奈、八代亜紀、森進一、桑田佳祐、村田英雄らの声は非整数。美空、春日八郎、三波春夫らは整数だろう。若い世代の声は、耳が遠くなったせいで聞こえないから比較しようがない。困ったもんだ。
 つまり、私は無意識に非整数次倍音の声にひきつけられて音楽を聴いているということではないか。
 雑草雑木アレルギーでつらい鼻づまりを起こし眠れなかったり、海に行ったら耳に海水が入って抜けなかったり、馬に乗ったら振り落とされそうになったりで、自然の中で生きられない宿命を抱えたインドア人間の私が、なんで自然の波長にとらわれるのか不思議というしかない。
 若いころ、ウィーン少年合唱団みたいと言われた自分の声が、いつしかツヤのないおじんの声に変化したのを目の当たりにして、つくづく思う。つまり、すべては自然に還るべくしてちゃんと還るのだと。(2024.11.8)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨男

2024年11月03日 13時45分22秒 | ファンタジー
 昼前に葉書を出そうと思い、家から数メートル行ったところで、ポツポツ降ってきた。傘を取りに帰り、葉書出しのついでにスーパーで買い物して外に出ようとしたら結構な降り。本降りまではいかないが。これで最近3回目の雨男。
 スマホで検索すると、中国の故事に、雨男とは女性に対する男の強い思いを表すというのがあった。水の滴るという修飾語もその辺に淵源があるのかもしれない。この齢で水と縁が深かったり滴ったりしたら、かなり危険ではある。(2024.11.3)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フレイル予防

2024年10月30日 21時29分23秒 | ファンタジー
 腹八分目とは壮年時代の戒めであり、老人はフレイル予防のために腹いっぱい食べるのがよろしいと新聞に書いてあった。
 今日は久しぶりに気合いを入れて晩飯を用意した。ジャガイモとひき肉のミルク煮、さば味噌缶とキノコとタマネギのデミグラスソース煮。それに作り置きの卵焼きと豆腐カニカマチーズ焼き、さっき買ってきた鶏肉料理。味噌汁の具はダイコン、ワカメ、ニンジン。
 自分で言うのも何だが、料理を作り続けるうちにかなり腕を上げたと思う。これは食べないほうが・・というのが、このところなくなった。
 今日は締めの納豆が食べられないくらい満杯になった。腹いっぱいと食い過ぎは意味がちがうのかも。(2024.10.30)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半世紀前からの付き合い

2024年09月25日 23時06分48秒 | ファンタジー
 同じことばかり書いているような気がするが、世の中に音楽がなければ、日常の暮らしを心から楽しめないだろうと感じるのは、私だけではないと思う。
 私にとって長く長かったこの1年を、何とか生きながらえたのも、音楽聴き放題アプリのお陰と言っていい。
 今晩、相対しているのは、スティング、マッコイ・タイナー、エルトン・ジョン、デビッド・ボウイ、ニーナ・シモン、ジョー・コッカー、ウェイン・ショーター、ルー・リード、ジェフ・ベックといった面々。いずれの方々も半世紀前からの付き合いだ。フィールズ・オブ・ゴールドに遊ぶ彼らの姿が見えるよう。(2024.9.)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

補聴器の件は現在進行中

2024年09月20日 00時46分48秒 | ファンタジー
 この1、2年でずいぶん耳が遠くなった。テレビの音量が上がり、ヒソヒソ話が聞こえなくなり、なかでも若い女性の甲高い声が聞き取れないので、彼女らと秘密を共有するつき合いができなくなった。
 その代わり、意見されたり指示されることがなくなった。お好きにどうぞ、ということなら、人の顔色をうかがわずに好き勝手にやれそうなものだが、自制心が邪魔をして相変わらずひとりぼっちで暮らしている。
 それはさて置き、耳鼻咽喉科と脳神経外科を経由して、昨日、補聴器屋さんに行ってみた。
 補聴器を付けると、聞こえはよくなりますが耳の機能が改善することはあり得ません。それでもやってみますか? と補聴器屋さんが言う。耳鼻科医と同じ。
 今さら、じゃ止めます、と席を立つのも大人げない。耳鼻科でやらなかった言葉の聞き取り検査などをして、私専用の補聴器をあつらえてくれた。びっくりするくらい鮮明に聞こえる。雑音がない。1週間ばかり試聴することにした。
 店を出て歩道を歩き出したら、ジャリジャリという聞き慣れない音がする。忘れていた自分の足音。テレビの音量は10段階くらい下がり、タイマーやベルの微細な音が鮮明に聞こえる。何だか若返ったかのような気持ちだ。錯覚もまた楽し。(2024.9.20)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田川で声が裏返った件

2024年09月15日 00時17分57秒 | ファンタジー
「かぐや姫」の神田川を久しぶりに歌った。私の持ち歌のひとつで、おそらく100回以上も歌っているので、歌詞がひとりでに出てくるものと高をくくったのが間違い。
 曲が始まり、出だしの2、3小節を歌ったとき、こんなにも切ない歌詞だったことに初めて気がついた。その瞬間、不覚にも胸がいっぱいになり声が裏返った。
「若かったあの頃なにも怖くなかった ただあなたのやさしさ・・」のフレーズにたどり着く前の「小さな石鹸 カタカタ鳴った」辺りで投了。まだ快復したわけではない。(2024.9.15)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いかにも旧びた寿司屋

2024年08月21日 22時59分32秒 | ファンタジー
 ごく少人数の一周忌法要の会場を、この地に来た直後、一回きり入った店に決めたのは、なぜだったのだろう。私は予約してから、念のため試食しに行った。昼時のメニューから丼ものを選んだのが間違いだったのか、歴史のある老舗なのに、特別な個性は感じられなかった。
 妻が、来たがらなかったのはこういうことだったのか、と遅まきながら思ったが、店を代えるまでの決断はできなかった。代わりになるような店はこの辺りになかったから。
 ところが、行事が2週間ほどに迫ったころ、その店から電話が来た。予約の確認かと思いきや、電話口の女性は、数日後に閉店が決まったと謝罪の言葉をおずおずと繰り返すのだった。想定外の事態だった。思いあぐねた私は、妻の妹の一人に電話した。彼女は、ある寿司屋の名前を口にした。
 妻の妹二人と、店も人も旧びた近傍の寿司屋で昼飯を食ったのは、妻が亡くなった数日後だった。妻はそこの雲丹が安くてうまいと言うので、何度か足を運んだことがあった。葬儀の後、家にいてくれた妹たちと、その店の雲丹を食おうと思い立ったのは私だった。
 なるほど、とつくづく思う。そのことに気づかなかった私に代わって、妻がはじめからその寿司屋に決めていたのだ。(2024.8.21)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする