一月二十三日付けで発表された「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」による論点整理を受け、先日の毎日新聞朝刊にこんな記事が載った。
「気になるのは、国民の多くが共感した『象徴の務め』とその継承というテーマが論議の後景に追いやられたように見えることだ。」
昨年の有識者会議では、退位に限らず象徴天皇に関しても国民から広く意見を聞きたいということだったが、今回の論点整理では、今上天皇の退位のみに方向性を絞ったため、かえって、メンバーや裏側にいる方々の本音が明け透けになったように思う。
私の意見は次のとおり。(以下、論点整理の文言に、一部省略・解読を加えた)
憲法第一条に、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
とあるとおり、現憲法の眼目は、第一に象徴天皇を置くところにあるのは明白であろう。ところが、憲法には、象徴としての公的行為について明文化されていない。
憲法制定時の情勢を考えればやむを得ないこととしても、制定後七十年たって、有識者や専門家たちの口から、「象徴としての地位に基づく天皇の公的行為とは、個々の天皇の意思やその時代の国民の意識により形成・確立されるものなので、私たちには見当がつかない」と聞くとは想像だにしなかった。第一条に掲げられた象徴とは、単なる作文にすぎないということなのか。まさか当時の関係者の勇み足と思っているのではないと思うが。
また、会議は、「公的行為は、義務的に行われるものではなく、天皇の判断で行われる」と重ねて指摘する。この根底には、象徴天皇としての務めである公的行為について、時々の天皇の好みにおまかせする程度の地位におとしめたいという意識が厳然とあるのではなかろうか。
さらに、退位にも関わる問題点として、「憲法上、天皇は国事行為のみを行う」のであり、「(今上天皇が心をくだかれているような)公的行為が求められているわけではない」と断定しているところがある。それに追い打ちをかけて、「国事行為については摂政や委任といった代理制度が整備されていること、公的行為の実施が求められているわけではないことからすれば、本来退位が必要となるような場合は、想定されないのではないか」とまで言う。
昨年、会議が専門家から聞き取った中に、「余計なことをするから負担が大きくなるんだ、何もしなくていい」というのがあったが、今回の論点整理でも、「何もしないのが象徴だ」とまったく同じ態度を取っている。もしも「象徴としての公務ができなくてもいい」のなら、憲法第一条は削除されなければならない、と考えるのだが。
会議メンバーの意識にある大きな問題点をもうひとつ。
「天皇の意思に基づく退位を可能とすれば、そもそも憲法が禁止している国政に関する権能を天皇に与えたこととなるのではないか」とある。つまり、今上天皇の発言は憲法違反の恐れが十分あるという指摘だ。天皇はご自身のことに限って発言されたのでないことは、常人であれば誰しもわかること。象徴として働けなくなれば、もはや第一条の天皇の権能が失われることは、憲法をちゃんと読めば当たり前のことであり、今上天皇はこの憲法の趣旨がむざむざ形骸化してしまうのを恐れてご発言なさったのだ。
会議として、今上天皇の意向を無視できないので一代限りの立法にしようとしているが、これは天皇の意思に基づく退位を憲法違反としながら、今回ばかりは目をつぶろうと見せかける姑息なやり方ではないか。有識者のプライドを守るのは大切なことかもしれないが、もうちょっと国民の目も気にして、正々堂々、本質的な議論を闘わせるべきであると思う。(2017.1.26)