黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

象徴の務めと退位

2017年01月26日 16時25分18秒 | ファンタジー

 一月二十三日付けで発表された「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」による論点整理を受け、先日の毎日新聞朝刊にこんな記事が載った。
「気になるのは、国民の多くが共感した『象徴の務め』とその継承というテーマが論議の後景に追いやられたように見えることだ。」

 昨年の有識者会議では、退位に限らず象徴天皇に関しても国民から広く意見を聞きたいということだったが、今回の論点整理では、今上天皇の退位のみに方向性を絞ったため、かえって、メンバーや裏側にいる方々の本音が明け透けになったように思う。
 
 私の意見は次のとおり。(以下、論点整理の文言に、一部省略・解読を加えた)

 憲法第一条に、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 とあるとおり、現憲法の眼目は、第一に象徴天皇を置くところにあるのは明白であろう。ところが、憲法には、象徴としての公的行為について明文化されていない。
 憲法制定時の情勢を考えればやむを得ないこととしても、制定後七十年たって、有識者や専門家たちの口から、「象徴としての地位に基づく天皇の公的行為とは、個々の天皇の意思やその時代の国民の意識により形成・確立されるものなので、私たちには見当がつかない」と聞くとは想像だにしなかった。第一条に掲げられた象徴とは、単なる作文にすぎないということなのか。まさか当時の関係者の勇み足と思っているのではないと思うが。

 また、会議は、「公的行為は、義務的に行われるものではなく、天皇の判断で行われる」と重ねて指摘する。この根底には、象徴天皇としての務めである公的行為について、時々の天皇の好みにおまかせする程度の地位におとしめたいという意識が厳然とあるのではなかろうか。

 さらに、退位にも関わる問題点として、「憲法上、天皇は国事行為のみを行う」のであり、「(今上天皇が心をくだかれているような)公的行為が求められているわけではない」と断定しているところがある。それに追い打ちをかけて、「国事行為については摂政や委任といった代理制度が整備されていること、公的行為の実施が求められているわけではないことからすれば、本来退位が必要となるような場合は、想定されないのではないか」とまで言う。
 昨年、会議が専門家から聞き取った中に、「余計なことをするから負担が大きくなるんだ、何もしなくていい」というのがあったが、今回の論点整理でも、「何もしないのが象徴だ」とまったく同じ態度を取っている。もしも「象徴としての公務ができなくてもいい」のなら、憲法第一条は削除されなければならない、と考えるのだが。
 
 会議メンバーの意識にある大きな問題点をもうひとつ。
「天皇の意思に基づく退位を可能とすれば、そもそも憲法が禁止している国政に関する権能を天皇に与えたこととなるのではないか」とある。つまり、今上天皇の発言は憲法違反の恐れが十分あるという指摘だ。天皇はご自身のことに限って発言されたのでないことは、常人であれば誰しもわかること。象徴として働けなくなれば、もはや第一条の天皇の権能が失われることは、憲法をちゃんと読めば当たり前のことであり、今上天皇はこの憲法の趣旨がむざむざ形骸化してしまうのを恐れてご発言なさったのだ。
 会議として、今上天皇の意向を無視できないので一代限りの立法にしようとしているが、これは天皇の意思に基づく退位を憲法違反としながら、今回ばかりは目をつぶろうと見せかける姑息なやり方ではないか。有識者のプライドを守るのは大切なことかもしれないが、もうちょっと国民の目も気にして、正々堂々、本質的な議論を闘わせるべきであると思う。(2017.1.26)
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H君

2017年01月24日 15時56分46秒 | ファンタジー


「とのの屈折面」という書き物をしてしばらくたってから、小学校時代のH君のイメージが、白昼、夢のようによみがえってきた。何の前ぶれもなかったので、心臓がバクッとしびれて危うく倒れそうになった。
 ふと思いついて、実家を処分したときに、大量の古い写真を整理して作ったアルバムを開いてみた。小学校から高校までのクラスの集合写真が、転校した小学六年の分を除いて全部あった。
 H君は小四と五年の写真にちょっと恥ずかしそうにしていた。ついでに、中学の写真のページをめくったとき、自分の目を疑った。中一の写真に、彼の少し大人びた顔が写っていたのだ。彼以外の同級生には何ら違和感がない。なのに、彼がそこにいるとは毛筋ほども考えていなかった私は、動悸がしばらく収まらなかった。
 実は、彼の名前はずっと前に忘れてしまっていた。彼だけではない。誰も彼も、幼い顔は脳裏にくっついて離れないのに、名前を言い当てられるのはわずかだ。ところが、昨日、Hという名前が閃光のように浮かんだ。思いも寄らないことだった。名簿がないので正しいかどうか確かめようがないが、今日はもう間違いないと感じている。
 私は、五十年もの長い間、彼を忘れようとしてきた。なので、中学時代の「屈折面」を書いているさなか、思い出すことさえなかった。Hは、きっと、「屈折面」に大事な忘れ物があることを教えるために来た。自分勝手な作為を見つめ直せと言いに来たのだ。私は、ニセの「屈折面」を廃棄して、ほんとうにあったことを白状できるのだろうか。(2017.1.24)
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近況お知らせ欄

2017年01月23日 16時55分20秒 | ファンタジー

 例年二月中旬に開催される、〇〇会の総会の案内通知が今年も来た。この会は、政治・思想・犯罪結社といった危ないものでなく、以前の職場にいた者の安否を確認するための集まりと銘打って、その実、会社の経営陣に対し、人事や財務、飲み会の設営に至るまで事細かく口を差しはさむ圧力団体。それはもちろん冗談。
 こういった案内の返信葉書なんて、出欠と住所氏名欄だけでよさそうなものなのに、余白が目に余るからなのか、近況お知らせ欄というのが数行だけ付いている。ところが、その葉書は一週間以上机の中に放りこまれたままになっている。
 このわずかな余白を埋めるのに難儀したあげく「まだまだ元気でやってます。会の末永いご繁栄をお祈りしてます」などと、あきれるくらいありきたりなことを書いているうちはまだいいが、見えっ張りの私は、「毎日早起きしてジョギング始めました」などとたった一回やった切りのことを自慢げに書きたくなる。お茶を濁そうとしたのに、黒々としたコーヒー色になってしまう。こういった表現になるのは、俳句、短歌などの詩的感興を理解できないことと何か関係があるのだろうか。今年も返信を出しそびれたほうがいいのかもしれない。
 それにしても、こんなことをだらだら書くくらいなら、とっくに葉書を出せるはずだと思うのだが。(2017.1.23)
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やる気がないゴールキーパー

2017年01月14日 17時30分13秒 | ファンタジー

 はなは、根っからのゴールキーパーなのだが、最近あまりやる気がない。というのも、はなのサッカーチームは、メンバー補充に失敗し事実上の解散に追い込まれてしまった。このため、はなは、ボールからしばらく遠ざかり運動不足のせいで、大きな体を持てあまし気味。昨晩は久しぶりに、チラシ紙を丸めた超軽量ボールをドリブルしながら、居間の中を駆け回った。
 楽しそうなので、はなに向かって山なりに紙ボールを投げると、表情ひとつ、体の位置ひとつ変えず、左手でちょいと、はたき落とした。年寄り扱いはよせ、といった風情。なので次は思いきりスピードボールを投げたら、不敵な笑みを浮かべてジャンプ一番、ボールに飛びついた。
 でも、三回目はパス。やっぱりモチベーションがイマイチニャン?(2017.1.14)

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ネコなんて、呼んだってふり向きもしない

2017年01月12日 15時51分47秒 | ファンタジー

 最近、身辺の雑感のような記事を書いていない。
 年末年始は一週間の休暇が取れたが、遠出は札幌開催の北斎展だけ。出かけたはいいが、富嶽三十六景に描かれた大波のような、次から次と押し寄せる人波にザンブと飲みこまれ、ほうほうの体で野原の一軒家に逃げ帰った。ヒトが都会に集まるのは今に始まったことではないけれど、田舎にいる年寄りの身にはこたえる。その後、家の仕事に忙殺されて、あっという間に旧年は閉じた。改まった年は、ヒトもモノも来ない静穏な毎日。四日間ほど飲み食いに明け暮れた。うらぶれた住まいに座し、窓に映る裏庭を眺めながら一句。
 雪白に 初狐道 一線 〈猫史〉 (2017.1.12)
 
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はな年賀 2017年元旦

2017年01月01日 11時23分28秒 | ファンタジー

明けましておめでとうございます
はな は、十二年間のネコ生経験のおかげで、ずいぶん言葉をしゃべれるようになりました。
朝ご飯当番の父さんがなかなか起きないときは「おはようニャン!父シャン」と耳元で大きな声を上げると、飛び起きてご飯を用意してくれます。
はなが、居間の引き出しの前で「ブラニャー」と注文すると、父さんはうれしそうにブラッシングしてくれます。けれど、父さんがテレビに集中して動かなくなったら「ちゃんとして」と手にカプッと噛みつく。もちろん手加減して。本気なら父さんの手は今ごろアート作品みたいになっています。ちなみに母さんの手はなめます。
頻繁に発声している言葉は「ご飯ニャー」。年を重ねたせいで好物の種類も増え、いい匂いにはとにかく鳴いてみることにしています。母さんが「はなの体重増えてる!」と言うのを気にしながら、鶏の蒸し煮をおいしくいただきます。はな は、おなか一杯食べた分、みんな寝静まった家の中をぐるっと見回りして一生懸命運動しています。でも、まだ足りない。
こんなふうに、はな は、家族みんなと楽しく平和に暮らしています。今年もどうぞよろしくお願いします。 2017年元旦
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