黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

タブーの悩ましさ

2015年05月29日 16時22分14秒 | ファンタジー

 つい最近の二ュース。
 恐怖の経験をさせたマウスの記憶は人為的に消すことができるが、ある条件下に置くと、ひょっこりよみがえることがわかった。つまり脳に刻まれた記憶は消滅しないというのだ。それなら忘れっぽい人用に、簡単・脳刺激剤を作ってくれればいい。効きすぎて、古い脳の記憶まで鮮明になるかもしれないが。たとえば恐竜やネズミに追いかけられて逃げ隠れしていた時代の記憶など。
 私たちの心にわき上がる、説明のつかない論理とか理由のない恐れやあこがれなどは、大昔、生物の脳に蓄積された記憶に起源があるのではないか。
 このことは、タブーがなぜ生まれたか考える上で、参考にならないだろうか。

 人には本能的に感じる脅威があって、それらに関わりたくない、見るのも嫌だ、まして食うなんて、ということがある。当たり前だが、触るのも危険な、毒草、毒虫、毒魚、毒肉は本能的に嫌なものだ。一般論として、虫、ヌメヌメしたもの、腐ったものにも、気持ち悪さを感じる。
 聖なるものへの恐れもある。たとえばトーテムとする生き物などには、恐れ多くて手出ししない。
 同時に、穢れたものへの拒絶感がある。特定の動物、不幸な死に方をした動物など。
 また、人と同類の類人猿、家族と同じペット、知能の高い動物などには、大切にしようという心情がわく。
 本能でなく、文化的、宗教・思想的な規範による戒めもタブーの一種だと思う。
 極端なものとして、命あるものすべてを食してはならない。植物もダメ、ただし命を奪わなければOK(実や花など)というような考え。
 自ら殺生するのはダメだが、他の特定の者に殺生させたもの、あるいは他の文化圏から輸入したものなら食っても大丈夫という場合がある。屠畜や処分に携わる者が差別を受け、貴賤の価値観を生むのもタブーの仕業なのだろう。

 現代社会へのタブーの影響といったこと。
 規範やタブーを作ることは、共同体を他から差別化し、内部統率の原理が働く。
 タブーの数は、内部統率力を強める手段にもなる。タブーが多ければ多いほど、共同体の自由が奪われる。
 自身のタブーをぜったい正しいと確信した、力ある勢力が、その信ずるところを他の共同体に押しつけることがある。これにより他の共同体の自由が奪われることになる。まさに今回のイルカ問題に通じる。
 他者への寛容性こそ、ヒトの自由な活動や思考を保障することにつながり、それこそが文明の進歩だと思うのだが。(2015.5.29)
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最近の本のこと

2015年05月27日 10時19分05秒 | ファンタジー
<2010.10の写真>

 最近、買った本。

 ①「アイヌ学入門」講談社現代新書 瀬川拓郎
 ②「西洋政治思想史講義」岩波書店 小野紀明
 ③「空飛ぶ馬」創元社推理文庫 北村薫
 ④「熊:人類との共存の歴史」白水社 ベルント・ブルンナー
 ⑤「ユリイカ(2013.9)」特集:クマ 青土社
 ⑥「一週間」新潮文庫 井上ひさし

 このうち、ページをめくったのは、③の馬だけ。龍物語を書く上で、推理物仕立てにできるか検討するために買った。落語家とギャルとのやり取りにへきえきしながら読んでいる。
 だから小説本になんて手を出してはいけない。と思いながら、井上ひさしの最後の長編⑥の内容がシベリア抑留(棄民)なのを知って、つい衝動買いしてしまった。
 ②の西洋政治思想史は、「憂鬱な子どもたち」の最終章でふれたように、私たちが西洋の自由主義思想から受けた影響について詳しく勉強したかったから。というのは表向きの理由。実は、本屋の検索機械で調べたら、西洋思想の棚に置いてあるはずのこの本。なのに、私の目ではどうしても探し出せなかったので、若い店員さん、もちろん女性に聞いてみたら、混んでいるわけでもないのに駆け足で探しに行き、たちどころに私の手許に届けてくれた。孫の頼みなら断れない。
 ①のアイヌ学、④の熊、⑤のクマ特集は、私のライフワークを完成させる資料として購入。①の著者は旭川の博物館長をやっている方。アイヌの人々が古くから交易にたずさわり、日本文化の形成に多くの貢献をしたことなどが書かれているという。アイヌは最も早い時期、日本列島に移り住んだ人々だ。彼らの文化を知らなければ日本を知ったことにならないと思う。 
 最近、熊物が続けて出版されている。筑摩の「熊の歴史」は西洋文化史に偏っているので取っつきにくいが、④の内容は日本人の意識の深層に通じるものがあるような気がする。そう思う理由のひとつ。なかなか示唆的なことに、ヨーロッパにも「龍の洞窟」という穴蔵があって、そこから大量のクマの骨が見つかったという。目が良くなったら心ゆくまで堪能したい。(2015.5.27)
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はなは百獣の王?

2015年05月26日 10時55分56秒 | ファンタジー
<2010.8のはな>
 和歌山県太地町のイルカ追い込み漁への非難の大嵐が、なかなか収まりそうにない。
 イルカを捕獲して食料にするのはもちろん、水族館に収容することさえダメという主張は、はたして正しいのだろうか?
 いにしえの生き物たちの世界では、食料調達を他者まかせにしては生きられなかった。えり好みもそこそこに、毒にならないものならなんでも食し、また強い者が現れればたちまち捕食されるという生命循環システムを無意識に受け止めて、できる限りの生をまっとうしようとしていた。
 私の知っている北方の狩猟民にとって、熊は、そのころ、生きとし生けるものの代表格、百獣の王だった。熊は忍耐強い単独行動者であり、孤独に弱い人にはまねのできない能力を持つ存在だった。一方で、熊は、どう猛な野生猫に比べ親しみある生き物だったためか、人は熊に対し強いあこがれを抱き、カミの位置に据えた。
 狩猟民たちは、熊に対する尊崇の気持ちを表すために、熊送りの祭りを挙行した。つまり、熊の命を奪った。そして、熊の生命力が宿った熊の血肉をみんなで分け合って食し、一時的にでも熊に近づこうとした。なんという残酷な、と思うだろうが、これは熊からの恵みであり、熊自身も喜んで人に施したのだ。想像だが、同じことは、人国の隣にある熊国でも行われていて、そこでは人が食われる役回りをしていた。
 ところで、イルカはなかなか優れて、フレンドリーな生き物だと思う。人とは大違いで、種や考え方が違うからといって、つっけんどんになったり威力を見せつけたりしない。そんな愛らしい生き物を捕獲し食料に供するのは忍びない、という感情がわくのはよく理解できる。
 イルカ追い込み漁への批判者たちにとって、特定の生き物以外は食うことをタブーとする社会こそ進歩した文明・正しい文明ということなのだが、それなら一度、タブーとする食料がどれくらいあるか、コンテストをやってみてはどうか。タブーとはひとつの文化圏にとどめ置かれる思想であって、共有したりグローバル化するのは無理だとたちどころにわかるだろう。
 現在の太地町の方々だけでなく、狩猟採集を生業としている世界中の方々は、さきほどの北方に暮らす狩猟民と同じ精神をずっと引き継いで生きてきたのだと思う。今回の問題は、太地町の漁業がたまたまイルカを対象にしていたために起きてしまった。この争いを解決するため、命あるものを捕食する生命連鎖と文明論について、冷静に議論できる文化人類学者らの参入を切に要請したい。(2015.5.26)
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フィヨルドを見たい

2015年05月20日 11時56分59秒 | ファンタジー
<この写真も2008年撮影>
 ノルウェイのフィヨルドは映像でしか見たことがない。ノルウェイという国の知名度がけっこう高いのは、このフィヨルドによるものなのだろうか。それとも、ノルマン人の故郷、つまりバイキングの発祥地のためか。私の世代にとって次に思い浮かぶのは、ビートルズの歌のタイトル「ノルウェージャン・ウッド」。村上春樹に同名の小説があるが、ビートルズに由来するらしいことを最近知った。でも年取ったので読むことはないだろう。
 はなが我が家に来てから、この国に特別な親近感を持ったのは言うまでもない。はながノルウェージャン・フォレスト・キャットの近縁だとわかったのは、確か近所の動物病院の先生が、はなの検診をしながらそう言ったからだと思う。いつだったか、大きな雑貨屋に併設されたペットショップの前を通ったとき、確かに、はなとそっくりの毛並みの猫がゲージに入れられていた。思わず声をかけたら、ふんとそっぽを向かれた。そんなところも、はなと同じだった。
 ずいぶん前、私は夢の中で、はなといっしょに、深い緑色をしたフィヨルドに船で漕ぎ出したことがある。無謀にも、はなの水先案内だけを頼りに、経験のない漁に出かけようとしたのだ。不安な気持ちにさいなまれて、漁の成果なんてぜんぜん思い出せない。(2015.5.20)
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あのころの写真

2015年05月19日 11時47分59秒 | ファンタジー

 携帯の写真データをたまたま見ていたら、こんな写真が出てきた。日付は、このブログを始める前の2008.2。
 このとき、はなは、もう少しで四才になるところ。なのに、まるで猫天使みたいなあどけない顔をしているので、ちょっと驚いた。でも、あのころも父さんの手を噛むときだけは猛獣の顔になった。(2015.5.19)
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本人はまだまだと思っている

2015年05月14日 13時27分06秒 | ファンタジー

 久しく日常の出来事を書いてなかったので、少しとまどいながら文章を考えている。
 三月からつい先日まで続いた大騒ぎが終息し、よれよれになったが、とにもかくにも平常時に復帰することができた。吹きすさぶ荒野を通り過ぎてみると、世の中があまりにも静かで拍子抜けしてしまった。ほんとうは安保法制の与党原案ができたり、ある地域では住民投票などに巻き込まれて困っていたり、オスプレイやドローンといった大人のおもちゃのようなものがビュンビュン・ブンブン飛び回っていたり、決して巷が騒がしくないわけではないのに、私だけやわやわとした平和の中にいるのは、頭の中がボンヤリしてしまったせいなのだ。
 暇を持てあました私は、身体のあちこちの痛みや目のかすみが心配になり、整骨院を手始めに、脳神経外科と眼科へ行った。いちばん気がかりだった頭の二種類のCT検査はみごとセーフ。ところが、眼科の検査では、前回よりずいぶん白内障が進んでいて、「早くしたほうがいいんじゃないですか」と手術の宣告があった。六十才過ぎれば、老化はヒタヒタのスリッパを履いて、バタバタあわててやって来る感じがする。手術は三年連続だ。(2015.5.14)

 
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本音でどうぞ

2015年05月01日 14時07分03秒 | ファンタジー

 戦後七十年もの月日が過ぎた今ころになって、戦勝国から、日本一国が戦争を引き起こした張本人呼ばわりされ、その上、むりやり頭を下げさせられるのは公正なやり方と言えるのか。
 日本は、とっくの昔、無条件降伏し、世界と平和条約を結び、その後、五六年には悲願の国連加入が認められ、今では国連の安全保障理事会の常任理事国入りを目指して努力中である。そんな優等国なのに、こんな屈辱的な扱いをされるとは何たることか。きっとこれは憎たらしい中韓の仕業だ。
 日本は、あの戦争で内外の人々を大量に犠牲にしたのは確かだが、アジアを西欧列強の植民地主義から解放しようという崇高な目的を持っていた。日本人すべてが八紘一宇の思想を心から信奉し、天照大神の名の下、身命をなげうったのだ。この結果、日本人だけで軍民合わせて、三百万人以上の尊い犠牲を払った。
 このうち諸外国と戦った者は、彼らの名誉を守るため、ちゃんと靖国に祭った。それに比べ、戦争指導者たちは国内でぬくぬくしていたと言われるが、戦勝国による東京裁判でむごい処罰をちゃんと受けている。なので、あの戦争の後始末について、文句を言われる筋合いはまったくない。
 と、彼は間違いなくそう思って、怒り心頭なのだ。本音を語って、きちんと判定を受けるのがよろしい。(2015.5.1)
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