カタカナのヨイトマケは、力仕事のときの「ヨイと巻け」というかけ声。昭和三十九年、美輪(当時は丸山)明宏は同名の自作の曲を発表した。なかなか印象的な労働歌だ。
ひらがなの「よいとまけ」は、歌より早く、昭和二十四年、北海道の地方都市の小さな菓子店から発売された洋菓子の名前。道南に位置する勇払原野に自生する落葉低木、ハスカップの実をジャムに加工して、ロールケーキの芯から皮にかけて、その甘酸っぱいジャムをぐるぐる巻きに塗り込んだ代物。表面にはオブラートのような透明な包み紙が巻いてある。子どもの私にとって、食べ慣れた駄菓子類とはまったく違う高級なスイーツだった。
しかし、当時、フォークなど使うことがない時代。食べ始めると、たちまち両手の指という指、口のまわりがベタベタになった。発売後すぐ、「日本一食べにくいお菓子」という心ない評判が立ってしまったが、そんな悪評に雄々しく立ち向かい、ここ北海道では今でも昔のままの姿で出ている。
当時、この地方では、家族総出でハスカップの実を摘みに行き、その実を大量の砂糖に漬けてしばらく寝かせてから食べていた。そうしなければ酸っぱくて食べられなかった。濃い紫色の実を思い出すと今でも唾液腺が震える。
ところで、その菓子店にはお金を出しても買えない商品があった。親たちは機嫌が良いとき、がま口の奥にしまい込んだ引換券(レシートのような気もするが、当時そんな近代的な代物があっただろうか?)をそろっと子どもの目の前に出した。子どもたちは、やっと貯めた小遣いのうちから10円玉を一枚持って店に駆けつけた。店先で息を詰まらせながら手にしたのは、美しい形のソフトクリームだった。確かにこの世のものとは思えないくらい美味しくて、一個くらいではとうてい満足できなかった。
その後、甘党の私は、あちこちでソフトクリームを食べ続けた。今では他にも甘い物があるからなのか、滅多に食べたいと思わなくなった。
一方のよいとまけは、地元を離れてから、ほとんど口にすることがなかった。ところが数年に一回くらい、何かの拍子に無性に食べたいと思うことがある。ブルーベリーやヤマイチゴ、ヤマブドウにさえはるかに勝るハスカップの鮮烈な酸っぱさが、どこからともなくよみがえってくるのだ。こんなに思い込むと、今晩の夢に出てきそうだ。(2015.9.30)