黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

ディキシーを聴きながら

2017年04月26日 16時02分13秒 | ファンタジー

 今週初め、葦原に浮かぶ猿払(さるふつ)目ざし、往復2日間の旅行を試みた。車がなければその地へは行けない。ある年寄りによると、昔は最寄りのJR駅から路線バスが出ていたらしいが、そんな行程ではここから一日でたどり着けない。それとも、どこかでレンタカーを調達したとして、海にすべり落ちそうな道を1時間以上運転するのはイヤだ。
 自動車道に乗り2時間半の高速レースで距離を稼いだ後、一般道のおよそ3時間の走行は、空を見たり、道路脇の森林に動物の影を探したり、のんびりしたものだ。一人でも退屈しない。この間、ザ・バンドのCD全19曲を2回、ストーンズのアルバム2枚をそれぞれ1回聴き、休憩のため車を止めエンジンを切ると、頭の芯がじんじん唸る。これだけ聴いても、車をスタートさせたらまた、飽きもせず同じのを回す。
 ザ・バンドのCDは、10年ほど前、甥からダビングかダウンロードしたのをもらった。それから数え切れないだけ聴いている。今回は、オールド・ディキシー・ダウンに妙に引っかかる。原題は、The Night They Drove Old Dixie Down。直訳すると「彼らが古いディキシーを通り抜けた夜」。彼らとは、アメリカ南北戦争の北軍のこと。ディキシーは合衆国から独立しようとした南部の地を指す。工業を推し進める新興の北部、農業の恵みと共にある昔ながらの南部。当時、両者の風土や利害はまったく相容れなかった。さらに、リンカーンによる理想主義的な奴隷制度廃止宣言は、北軍側の正義を世界に知らしめた。北部の軍門に下った南部は、北の工業地帯へ人や原料を供給する従属的な地位におとしめられた。
 見方を変えれば、古い文明の崩壊後に現れる次の文明は、前代から、活力と資源の提供が受けられる。その意味で、現代のアメリカ、ヨーロッパでも、中東や旧東欧、近くは朝鮮半島やこの国でも、文明・叡知の崩壊と再生が始まっているのかもしれない。とくに当地のアメリカでは、150年もの時間を飛び超えてきたリンカーンが、オバマの上前をはね、まるでトランプを演じているような感がある。なんて言ったら、アメリカ人は怒るだろうか。
 タイヤやボンネットから伝わる騒音に慣れっこになったころ、自分なりのOld Dixie Downの歌詞が思い浮かんだ。

 友を裏切って飛び出した町、親しく話せる友など誰一人いない町で、
 母親が独り死んだとき、彼女がいくつだったか俺は知らない。
 たった25歳の俺は、彼女の死に目に会うどころか、葬儀にも行く気は起きなかった。
 俺は、遠い土地で、デキシーランドジャズを聴いていたんだ。
 もう何もいらない。親も金も、右や左、革命や平和も。
 俺には、今使える自由しかいらない。
 でもこんなに年を取って、あの町の昔のデキシーを聴くと、つい涙が込み上げてくる。(2017.4.26)
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母しゃん歌ってる

2017年04月06日 11時52分18秒 | ファンタジー

 年寄り夫婦だけの、潤いなど感じられない家中に、突然、歌声が響いた。
 母しゃん歌ってる! 
 はなのいぶかしそうな目をご覧あれ。
 もっと驚いてる父しゃんの顔は写せない。
 母しゃんは、なぜ歌い始めたのか、いったい何の歌なのか、ヒトとネコはぜんぜんわからず混乱している。(2017.4.6)
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無償の忖度(そんたく)はあるか

2017年04月04日 16時17分59秒 | ファンタジー

 辞典で忖度(そんたく)をひくと、相手の気持ちを推しはかる意味とある。しかし、実生活での用法は違う。目上の人への配慮とか損得勘定とか、腹に一物が介在するすっきりしない意味合いに使われる。誰もが口を濁すことだが、忖度する側は、自身が配慮したと相手に伝えるため証拠を残そうとする。なぜか。それは便宜を図ったことに対し、地位・勲章のような目に見える見返りばかりでなく、好意を持ってもらう程度でもいいから、何らかの手応えを期待する心があるから。今どき、無償なら忖度とは言わない。それは慈悲とか愛とかの世界。つまり忖度とは贈収賄の心情にも通じる。
 今、官公庁で流行っている、日報や決定書などの公文書の大量廃棄、「記憶・権限なし」証言などは、行政判断=忖度に置きかえればたちまち合点がいく。行政判断とはその場しのぎの、実に危ういものなのだ。
 ところが、忖度は、組織や人間関係の安全・安心・安定を図るためには大変効果的な働きをする。なので、組織内では決して悪事でなく、かえって善行として推奨される。こうして個々の後ろめたい気持ちは軽減され、組織はブラックボックス化する。
 こんな政府・行政組織のために心を売るなんて、国家公務員の正義感はどこへ行ったのか。後ろめたければ証言すべきだ。えっ、公務員にはもともとそんな気概の持ち合わせがない?(2017.4.4)
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