黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

蕎麦食えば

2014年05月30日 16時31分09秒 | ファンタジー

 昨日、ある田舎町の道の駅の敷地に入ったとたん、すぐ近くで鐘の音が轟々と響き渡り、鼓膜が破れそうになった。鐘声の余韻が残る中、鐘楼の真下の食堂で、広い草原に突き出たベンチに腰かけ「ざる蕎麦」を食った。
「鐘鳴れば ざる蕎麦食うなり 秩父別」お粗末。(2014.5.30)
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ネコは一匹もいなかった?

2014年05月26日 17時18分44秒 | ファンタジー
<最近の新聞記事から>
 東京の古美術商が殺害され金品を奪われた事件で、ネコの保護や里親探しなどをする非営利団体の女性メンバーが、テレビニュースで容疑者宅の家宅捜索の映像を見ていたとき、室内から窓ガラス越しに外を見つめる一匹のネコに気付いた。女性は「助けを求めるネコと目が合った気がした」と心配になり、警察と協議し、容疑者の所有権放棄の手続きを経て救出作業を行うことになった。
 警察から「二十匹くらいいる」と聞いた上で、非営利団体のメンバーが容疑者宅に入ると、閉め切られた二階建て住宅には熱気と異臭が立ちこめていた。散らかった室内を探し回ると、子猫二匹はすでに死んでいたが、瀕死(ひんし)の十九匹を無事救出した。テレビに映った猫には「ありがとう」と言い、息絶えた子猫二匹は花を添えて火葬した。
 非営利団体のメンバーは「保護が少しでも遅れていれば、多くの小さな命が失われていた」と語る。関係者は「罪のない多くの猫が犠牲にならなくてよかった」と胸をなで下ろしている。
 以上、新聞記事から抜粋して、若干文言整理した。
 それにしても、その団体のメンバーがネコに気がつかなかったなら、ネコたちの状況はどれほど悲惨なものになっていたことか。しかし、何だか腑に落ちない。容疑者宅にこれだけ多くのネコがいることを、「関係者」の誰一人知らなかったというのだろうか。
 いや、そんなはずはない。ホームズやルパンの洞察力を借りなくても、容疑者本人と家宅捜索した警察が知っていたことは容易に推察できる。飼い主は自分のことで目一杯で、ネコたちのことを捨て置いても平気だった、警察は殺人事件にかかりっきりで、容疑者宅の二十匹以上のネコたちを見て見ぬふりした、としか思えない。この両者の弁解は聞きたくない。
 その他にも不明な点が色々とある。この家の周囲十キロメートルの範囲に人家はない? 容疑者の弁護士とか代理人たちは、一度も容疑者宅を訪れていない? マスコミ関係者の一人としてネコを見た者はいない? いや、そんなはずはない。
 こう考えると、その女性が警察に通報する前に、誰かが何とかしなかったことが不可思議でたまらない。(2014.5.26)
 

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奇巌城 針岩

2014年05月02日 14時09分16秒 | ファンタジー

 フランス、ノルマンディ海岸に位置するエトルタ地方は、断崖絶壁や奇岩が続く有名な海辺の場所。奇岩のなかでも、海にせり出したアーチ型の巨岩(象の鼻)と、そのすぐ傍らに屹立する円錐形の針岩は、エトルタの雰囲気を鮮烈に伝えている。印象派のモネをはじめ多くの画家たちが、この海辺の風景をずいぶん描いたのもうなずける。
 つい先日、大きな絵画展に行く機会があり、これらの奇岩を描いた数枚の本物の絵を見た。その一枚には、針岩が海岸から離れた沖合にあった。それは私が五十年もの間、頭に描いていたイメージとどこかが違った。帰宅してからインターネットで検索すると、確かにみごとな紡錘形が沖合いに少し離れた海面からにょっきり突き出ている。
 頭の中のイメージとは、小学生のころ読んだモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズの一冊に関するもの。このシリーズの邦題「奇巌城」という長編には、ルパンが針の岩の空洞を隠れ家として使い、麗しい女性もろとも、盗んだ財宝を隠していたことが語られていた。登場人物の少年探偵イジドールや物語のスリリングな印象は今でも完全に色あせてはいない。  

 私の違和感とはきっと次のようなことなのだと思う。
 針岩が沖にあるとすると、その針岩へ行くには、船かいかだか、乗り物を用意しなくてはならない。船着場とか船小屋が必要だ。船に乗ったにしても、海岸から針岩まで時間がかかり目立ってしようがない。例のしつこい警官、ガニマールに捕まってしまうじゃないか。
 私は、視力の衰えた目を皿にして、インターネットの写真を見続けること五分、海岸の水がいくぶん干上がり、飛び石のような岩が針岩の方へ続いているような写真を発見した。すると干潮には、モン・サンミシェルのように歩いて渡れるのだろうか。
 モン・サンミシェルと言えば、デュマの邦題「ダルタニアン物語」の中で、フランス王国の転覆を狙う一味が修道院と偽って要塞を建設したとされていることを、私はかれこれ三十年前から知っている。そのことは別の機会に書いてみたい。
 この絵画展には、マネ、モネ、シスレー、ルノワール、ピサロたちの印象派の絵が所狭しと並んでいたのだが、数日経ったころの私の記憶から、エトルタ海岸の絵以外、ほぼもぬけの殻になっていた。(2014.5.2)
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