数日前に届いた本2冊(ネットで購入)。
「北海道の古代(3)擦文・アイヌ文化」(野村崇 宇田川洋編 北海道新聞社)
「最新DNA研究が解き明かす 日本人の誕生」(斎藤成也編 秀和システム)
「北海道の古代」は絶版になっていたので、ネットで新品を見つけたときはびっくり。古本には定価の倍の値札がついている。1冊だけなら運送屋さんに申し訳ないので、ついでに「日本人の誕生」を買った。
今年、大学で科目履修しようと思ったのは、何を隠そう、この「北海道の古代(3)」冒頭に記述されている北海道式古墳が私の住む町にあるのを知ったのがきっかけ。この古墳については以前のブログに登載したので省略するが、それ以来、古墳関係本を読み漁り、今は岩波の「シリーズ古代をひらく 前方後円墳」と格闘中。近藤義郎氏の「前方後円墳の時代」を読んでなければチンプンカンプンだったろう。
ところで、北海道の時代区分には、本州本土とは違い弥生・古墳時代(~7c)がない。弥生時代に入っても稲作が行われなかった北海道では、この7世紀までの時代を続縄文、7世紀から13世紀までを擦文時代とする。
稲作と言えば、弥生時代の区分が千年も前に繰り上げられるらしい。つまり、稲作とその文化は、半島や大陸からやってきた弥生人の専売特許でなく、稲作文化を受け取った先住民の縄文人も主体的に列島に広めたので、きわめて短期間で青森付近まで稲作が到達したのだという。つまり弥生文化を実質的に担ったのは縄文人だったからこそ、弥生文化は東北地域のみでなく、北海道の辺境の地にまでその痕跡を残しているのだ。古墳に関しても稲作と同じことが言えるのかもしれない。
今読んでいる「前方後円墳」によると、前方後円墳における棺の埋葬構造には3パターンあるという。ひとつは弥生墳墓を継承した縦穴式、他のふたつは5世紀の倭の五王以降に導入されたらしい横穴式なのだが、この横穴式には畿内(大和)的石室と九州的石室がある。畿内のものは半島の百済から伝えられた密閉型棺、九州のは中国などにあった開放型棺。開放型とは埋葬された死者が棺から出て、広い石室内を自由に動き回れる構造なのだ。この開放型石室は、まさに古事記神話に描かれたイザナギがイザナミを追って黄泉の国に侵入し逃げ帰る舞台そのもの。古事記と言えば大海人(天武)が発案したとされる。やはり大海人は九州勢力か?
「日本人の誕生」はエミシとは誰なのかを探るために参考になりそうな本。出雲地域に住む現代の人々のDNAがなぜ本土人に比べ縄文系に片寄るのか、出雲人と東北人との関係性をどんなふうに説明したらいいのか、縄文系DNAがきわめて薄くかつ大陸系DNAを色濃く受け継ぐらしい畿内(大和)人はいったい何処からどんな道をたどってやってきたのか、などの記述があったらうれしい。(2021.3.24)