つい先週の二十一日、知り合いの女性が、自分の好きな曲を集めてみたと言ってCDを届けてくれた。その中に、ジョルジュ・ムスタキの「私の孤独」が入っていた。懐かしさのあまり、外出するときさっそく車の中で聴いた。ムスタキの声は、私の記憶に残っている声よりも若々しいような気がした。しかし、やはりムスタキはムスタキだ。彼の声は、私の聴覚の分厚くなった膜を小刻みに震わせ、長い時の淀みの奥から、静かな感動を呼び戻した。
私も、若かりしころ彼のレコードを買ったことがある。二十歳代半ばのことだ。そのとき、ほんとうに聴きたくて買ったのかどうか、はっきり覚えていない。というのは、そのレコードを、女性への贈り物として買ったからなのだ。彼女の家に行くたびに、長い時間、曲を聴いた。ムスタキの声の柔らかな音色に、心が包まれるような感覚を味わううち、ロックだとかブルースだとか泥臭く過激な洋楽を好む私も、すっかり彼のファンになった。
ムスタキの両親は、ギリシャ系ユダヤ人で、迫害を避けてギリシャからエジプトへ亡命し、彼はその地で生まれた。(ウィキペディア)エジプトは仮の住まいを置く国だったのだろう。彼は十代でエジプトを出た。故郷のない流浪する者らの孤独とはどのようなものなのか。その過酷な運命が、ムスタキの音楽とリベラルな生き方のバックボーンになり、ときには権力者や独裁者を公然と非難するといった過激な行動に、彼を走らせたことは間違いないだろう。
今朝、彼の訃報を聞いた。三十年ぶりに彼の曲を聴いた二日後の先週二十三日、彼は七十九歳で亡くなった。彼を思い出すたびに、目の奥が熱くなる。彼の死がこれほど悲しいのはなぜなのだろう。人生の様々な障害に立ち向かい続けた彼が、孤独だったはずがないと十分わかっているのに。きっと、脳内に響きわたる彼の歌声に揺さぶられて、神経繊維の一部が緩んでしまっただけなのだ。(2013.5.27)