「古代韓半島と倭国」山本孝文著(中公叢書)と「日本の先史時代」藤尾慎一郎著(中公新書)の2冊はたまたま中央公論社の本。12月の初め、札幌の書店で購入した。
その日は、コロナの勢いが弱まって収束間近と思うくらい幸せなころだった。遠くの旧い友人が来道したので、彼を含め総勢4人、札幌駅前の居酒屋で大いに飲んだ。はじめはセーブしていたが、あまりにも久しぶりだったのでやはり飲み過ぎた。
「先史時代」の内容は大学の講義ともリンクしていたので、必要なところだけ急ぎ熟読し、12月のブログに詳しく掲載した。藤尾先生の時代区分に関する記述は専門的過ぎて退屈なところもあったが、全般的には多くの示唆をいただいた。
なかでも、列島全域に弥生文化を広めたのは渡来系の人々だけの功績ではなかったこと、土着の縄文人による新しい文化への積極的な取り組みがなければ、東北北部まで水田稲作が展開することはなかったことなどはちょっと衝撃だった。ちなみに、瀬川拓郎先生に至っては、東北の縄文人は北九州からやって来た弥生人から水田耕作を習った、とまで言い切っている。
もう一冊の本「古代韓半島と倭国」は、韓半島に残った倭国の文化に関し、多くの検討材料を提供する内容で、実に読みごたえのある本だ。学術的なのに読みにくくないのは文章がいいからなのだろう。残りのページが薄くなるのがもったいなくて、読了するのに2か月半もかかった。
韓半島では、三国(新羅、高句麗、百済)時代の新羅を除く地域から、続々と倭系遺物が発掘されているという。なかでも、半島西部の馬韓があった地(栄山江ヨンサンガン流域)では、この地が百済によって占拠される前の5C後半から6C前半に築造された、いくつもの倭系の前方後円墳が発見されている。
一方、半島南部の加耶カヤ(古くは弁韓といわれた地)からは、倭系の日用品、装飾品のほか、一定の期間にわたり居住したことを示す、埴輪や墓、祭祀遺物などが出土するという。
加耶の発掘調査では、弁韓時代の墳墓などの破壊行為が見られ、鉄製甲冑や騎乗用馬具などの北方民族の侵入を示唆する遺物が出土しているという。弁韓時代の人々が北方からの侵入者によって駆逐されたことを意味しているのだろうか。
私としては、以前にも書いたとおり、海人のクニである倭国とは、三国以前の三韓(馬韓、辰韓、弁韓)時代に、韓半島南部の小グループのいくつかが、対馬海峡をまたいで、新たな枠組みを作ったものと考えている。
なので、半島に残された倭の墳墓も文物も、倭が海を越えて半島に進出した痕跡なのでなく、もともと半島に所在したことの証であって、半島南端の洛東江下流の金官加耶にあったという任那へのこだわりの理由というのも、その辺りに倭の故地があったからではと推理している。(2022.2.26)