須賀敦子の「ガッティの背中」という作品に、夫を亡くした須賀敦子に対し、ガッティがこう語りかけたと書かれている。
「睡眠薬を飲むよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しんで生きるべき」
私はこの言葉をすっかり忘れていた。
ガッティは、ミラノのコルシア書店に興味を持った須賀が、ローマからジェノバの駅に列車で着いたとき、後にいっしょになるベッピーノと連れ立って迎えにおもむいた男性。迎えに出たのが男二人だったのはなぜだったのか。それはどうでもいいのだが、二人とも人柄が良かったことは、須賀の他の著作を読めば一目瞭然だ。
今、やっと須賀を読もうという気になって、河出の文庫全集の第一巻を手に取った。どこまで読めるか、本気なのかと、自分に問いかけるのだが、なんだか頼りない。
ガッティは、天職の本の編集・出版業が思うにまかせず、職場をいくつも替えていく。だんだんと仕事に気が入らなくなっていったように感じられる。何歳だったのか、アルツハイマー病を発病し、施設で死を迎えた。
ガッティは、自分の気持ちに忠実に生きようとして失敗を繰り返す、どちらかといえば頼りないタイプの人間だったのかもしれない。自分と似ているような気がして、つい彼に親しみを覚える。
ガッティは、ミラノのコルシア書店に興味を持った須賀が、ローマからジェノバの駅に列車で着いたとき、後にいっしょになるベッピーノと連れ立って迎えにおもむいた男性。迎えに出たのが男二人だったのはなぜだったのか。それはどうでもいいのだが、二人とも人柄が良かったことは、須賀の他の著作を読めば一目瞭然だ。
今、やっと須賀を読もうという気になって、河出の文庫全集の第一巻を手に取った。どこまで読めるか、本気なのかと、自分に問いかけるのだが、なんだか頼りない。
ガッティは、天職の本の編集・出版業が思うにまかせず、職場をいくつも替えていく。だんだんと仕事に気が入らなくなっていったように感じられる。何歳だったのか、アルツハイマー病を発病し、施設で死を迎えた。
ガッティは、自分の気持ちに忠実に生きようとして失敗を繰り返す、どちらかといえば頼りないタイプの人間だったのかもしれない。自分と似ているような気がして、つい彼に親しみを覚える。
私が、「誠実に悲しめ」というガッティの言葉にハッとしたのは、はなを失った事実に耐えきれず、心の何処かで、はなを忘れようとしていたのではないかとおもったから。(2023.6.30)