心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

のんびり ゆったりと

2007-09-20 | つれづれ

うちのベランダでは、種を蒔いたのが遅かったせいか、
まだ朝顔が毎日花を咲かせている。
今年は風船かずらと一緒のプランターに植えたので、
なかなか見ごたえがある。

天気がよくて、ほどよい風に揺れる緑のそばで、
猫が2匹似たような姿で、気持ちよさそうに昼寝をしている。

たったそれだけのことだけど、心安らぐ時間。

トンパ文字の本を改めて読んでいたら、雲南の奥地の人々のような
自然とともに、水の神、山の神、土の神・・とともに生きる生活が
羨ましくもあり、すぐにでも始めたい気持ちになったりする。

でも、こんな便利な生活をしている今の自分には無理なのかな。
不便を不便と知らない時代に生きてみたかったなあ。

不便を時間の無駄と思いもせず、ただ当たり前と思って
淡々と日常を繰り返し生きられたらなあ。
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閃く(ひらめく)

2007-09-19 | つれづれ


昨日、夕飯を食べながら「カスペ」という番組を見ていた。
2時間SPで「青春アカペラ甲子園」と題した、アカペラの全国学生大会。
女子だけ、男子だけ、男女混合の選りすぐりのグループが日頃の成果を競った。

緊張してうまく歌えなくても、歌い終わったあとに本人達、応援に来ている
先輩達までが感動のあまり涙する姿に、思わず目頭が熱くなった。

いいなあ・・こんな気持ち。こんな仲間。こんな時間。
高校時代の3年間、ブラスバンドに明け暮れた自分の青春時代を思い出した。
あの頃は日々、心は活動し、興奮し、波打ち、閃いていたなあ。
まっすぐだったし疑わなかったし、信じる友がいた。

アカペラ大会では、SOFT VOICEという、合唱出身の4人の女性グループが優勝。
決勝で歌った曲は、森山直太朗の「さくら」。
澄んだ声と、素直でまっすぐな思いが、聴く人の五感にストレートに響いて、
審査員の大人達と同じタイミングで、何か込み上げる思いと共に涙が出た。

彼女達のコメントがまたいい。
「今風の歌もいいですけれど、童謡やこんな歌を子供たちに歌ってもらいたい」

他のグループのほとんどが、新しい流行の曲と今風のアレンジで、
それらしい雰囲気は出ていたけれど、敢えて自分達のままを表現した彼女達の方が
マンネリ化した大人達には、閃きを与えてくれたのかもしれない。

いいものはそのまんまで十分、人の心に響くんだなって思った。
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もっと 遊ぼ

2007-09-18 | つれづれ


日本人は、「型」が好きな国民だ。

書道、華道、茶道、柔道・相撲道・・と道のつくものはもちろんだけど、
書店に行くと手紙の書き方なる実用書や、この秋のアイテムはこれで決まり!と
書かれたファッション誌や、血液型、星座などの占いに至るまで何かと
「型」があるものが好きらしい。

人間は、ついそれぞれの価値観、倫理観でルールを作ってしまうところがある。
絵とはこういうものだ、美しいとは、就職するなら・・ってな感じに。
でも三人三様、十人十色、千差万別、人生は型にははめられないのに。

父に時々言われる。
「絵はあんまり上手いとは言えないねえ」って。

「は~い・・」って言いながら、懲りずにまたブログにまで載せている。
ごめんね・・ちち。

だって、人生とは自分を楽しませること~!
下手と思われようと、自分が気持ちよくて楽しいんだもん。
日々、自分を喜んで、面白がって、褒めて、遊びましょっ!

それに自転車だって、料理だって、失敗しないと上手くならないでしょ?
転んだり、焦がしたりしていくうちに、自分らしさが見つかるってもの。
下手な鉄砲数打ちゃ当たる、そして自画自賛。

謙虚さが足りない・・?
いえいえ、その突き抜ける明るさは、新しい質を作るのです!
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東巴(トンパ)文字 (2)

2007-09-17 | 書の話

王超鷹さんの著書、「トンパ文字」マール社 から引用。
トンパ文字の歴史から、文化、宗教等々の解説をはじめ、たくさんの
トンパ文字総覧がなかなか面白い。おすすめの1冊。

人間、国や時代は違っても考えたり感じることは似てるんだなって思ったり、
逆に、なぜこうなるかな・・って思ったり。
その微妙な違いは、文化や宗教、あるいは自然環境の違いのせいかな。

写真左上から
担う 担ぐ 押す 押さえる
抱く 抱きしめる 蹴る 蹴る
けんか 争う 殺す 殺す
愛 愛する 恋 合唱
相談 受ける 享楽 移る
受ける 結婚する 内緒話 会談

「蹴る」は、手を取り踊っているように見える。
「けんか」は、まさにそんな感じ。
「愛」は片方からの想いで、「愛する」はお互いの想い。
「恋」は、二人で踊り、「合唱」も楽しそう。

トンパ文字は、書き手によっても伝達ゲームみたいに、ちょっとづつニュアンスが
違ってくるわけで、このあたりの意味よって大雑把な使い方が、人の気持ちにも
ゆとりを与えていたのかな。
というより、ゆとりがあるからそんな風な文化が今も続いているんだろう。。

活字は、トンパのそれとはまた違った意味で、人によって感じ方も違ってくる。
活字となった文字からは、書き手の感情や感性が見えにくく、受け手のその時の
感性によって受け止め方も違ってくる。

それに、活字はどこか他人行儀で別人に成りすますこともできるけど、
書き文字だと、自分を隠せない。どこか見えてしまう。

なるべくなら、隠さない生き方がしたいなあ。。
隠さないでもお互いが居心地のいい関係・・って、いいなあ。。。
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東巴(トンパ)文字 (1)

2007-09-16 | 書の話

以前、書の師が中国雲南省を訪れた際、東巴(トンパ)文字の最後の継承者とも
言える長老が書かれたという作品を贈られたとのことで、本物を拝見したことがある。

トンパ文字とは、チベット東部や雲南省の奥地に住む、少数民族のナシ族の中でも
トンパというごく限られた階級の人のみが用いる象形文字。
現在では継承者も高齢化し、数少ないという。

たいていは横書きで左から右へ読んでいくが、突然、上から下への移動もあるらしい。
主に毛筆で書かれているが、竹ペンのようなもので書かれたものもあり、
墨だけではなく、彩色されたものもある。

調べてみるとこのトンパ文字は、世界でも唯一、色でことばの意味を変えられる、とある。
たとえば「人」を青く塗ると「厚着」、赤なら「裸体」あるいは
「不思議な力を持った」。
(参考:トンパ文字 生きているもう1つの象形文字 王超鷹 著 マール社)

この本によると、ナシ族は女系社会で、「女性の立場が男性より強く、男性は少しだけ
仕事をしながら、社会を傍観者のようにゆったりと時を楽しんでいる」そうだ。
だから赤は「強い」「不思議な力を持った」の意味を持ち、文字の「女」は
「大きい」を「男」は「小さい」を意味するとも。

更に、同じ内容のものでも、書き手の絵心や感性、宗教観によっても異なる絵と
なり、それを読む人の感性によっても、また内容が変わってくるというから面白い。
実におおらかというか、大陸的な話だこと。

調べるうちに、トンパのふるさと~雲南省を訪ねてみたくなった。

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文房四宝

2007-09-15 | 書の話


書の必要な三種の神器ならぬ四種の神器を、文房四宝(ぶんぼうしほう)という。
文房とは、本来文人たちの書斎を意味することばであり、文房具とは、
その書斎で使用したいろいろな道具のこと。

硯、墨、筆、紙をはじめ、水滴、筆洗、文鎮、筆架(ひっか:筆掛け)、印材、
詩箋(便箋)などなどの古文物蒐集は、書家としての究極の美学への憧憬でも
あり、五感を刺激してその情熱は加速するものらしい。

私でさえ、やはり本物を見るとゾクゾクっときて、手元に置いていつも眺めて
いたいと思うくらいだから、好きな人にはたまらない興奮なんだと思う。
私は、せめて大家のコレクション展で拝見するくらいだけど。。 
文房四宝の話は、なかなか奥が深いので、また折を見て。

ところで、皆さまの日々暮らすために必要な、三種の神器って何ですか? 
いわゆる衣食住っていうのが、基本三種の神器ではあるけど、それ以外で~。

私は・・同居する猫とインコ、家族、友達、音楽、ベランダの植物たち、
集めている猫グッズや古民具・古道具・和食器・アジアの布や雑貨、
そして書・・かな。 そばにあると、気持ちがいいものたち。  
おっと・・三種どころじゃない。。

居心地のいい空間、時間を過ごすには、それぞれに必要なものってありますよね。
改めて自分の三種(何種でもいいと思うけど)の神器って何だろうって考えると、
忘れていた大事なものを思い出すかもしれない・・と、ふと思いました。
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萬象回新(ばんしょうかいしん)

2007-09-14 | 禅語・般若心経


萬象(あらゆる現象・できごと)は、回新(回って新しく生まれ変わる)する。

なんとなく「輪廻転生」とも似ているけれど、実はこの輪廻とは、仏教語で
迷い妄想する業を、生まれ死ぬことで永遠に繰り返すことを意味するらしい。
転じて、執着心の強いことも含み持つ。なんだかどこかドロドロしている。
一方この「萬象回新」は、「新しく回る」ので、断然さわやか!

たとえば今日、誰かにいやなことを言われたとする。
確かにその場でカチンとくることもある。なんでそんな言い方するのかな・・とか。
で、つい反射的にオウム返しで、カチンコチンの返答をしてしまうとする。
すると、さらに関係は悪化・・の可能性大。

相田みつをさんの日めくりカレンダーにも、こんなことばが。

セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どっちかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころを持ちましょう

悲しみは悲しみを、憎しみは憎しみを生む。
だからどこかでどちらかが終わりにしないと、輪廻しちゃう。
せっかく廻るのならば、輪廻ではなく、回新したいものね。

昨日の朝、実家の周辺でよく見かけた1匹の野良猫が、車にはねられたようで、
残念ながら息絶えていたと、父から連絡があった。
2才位のかわいいけど愛想はあまりいいとは言えない、小さくておとなしい猫だった。
時々面倒を見ていた女性が、埋葬しますと言って大事そうに抱えて行ったそう。

輪廻ではなく、どうか回新してね・・・合掌。
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「笑う八変化」

2007-09-13 | 書の話



漢字は、生まれながらにして意味を持っている。
そして世界にはいろいろな文字があるけれど、一字だけで意味を表すことが
できるのは漢字だけ。 たとえば、笑うの「笑」の字。
活字で表すとその感情まで伝わらないけれど、書で表すと無限の表現ができる。

「お習字」では、これが一番美しい姿!という決まったフォームを真似て書く作業。
でも「書」という表現の場では、もっと自由でいい。

ただ文字を模写するのではなく、まず、どんな「笑う」があるかを想像してみる。

写真
上段左から:眉毛をあげてにやけ笑い、色つきの明るい笑い、軽く笑いとばす、
中段左から:ふ~んって苦笑い、クスクス笑い
下段左から:泣き笑い、二人で微笑み、ちょっと呆れた笑い

・・・と思いながら書いてみたけど、どうかしらん。

構図、筆勢、筆圧、墨量、濃淡を変えて、書きたい「笑い」をイメージが
固まるまで口走りながら書く。
「苦笑い、苦笑い、苦笑い・・・」ってな感じで。
口にすることで、イメージしやすくなる。これ、本当。お試しあれ。

そして紙に向ったら、筆の持ち方とか、筆先の動かし方とか、どこから書くとか、
ややこしことは忘れること。
えいっ!やっ~!って、開き直って思いっきりよく書く。
恥ずかしいことなんか何もない。うまく書こうなんて思っちゃだめ。さらけ出す。

大事なことは、ことばの意味=魂を書こうとする姿勢。
見た目(表面的なこと)より、響くものを掴み取ろうとする心。

そのために必要なことは、たとえばどんな「笑う」を、いくつことばにできるか、
日常のアンテナ(好奇心)を持ちつつ、改めて意味を考え、感じ、想像すること。
五感を働かせること。視点を変えること。答えはひとつじゃない。

人も、生まれながらにして個性を持っている。
人と人との関係、衣食住、そのどの場面でも同じことが言えるんじゃないかなって思う。
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不可思議な心で

2007-09-12 | 禅語・般若心経



不可思議は、数の単位のひとつ。そういえば小学校で競って暗記したっけ。
一、十、百、千、万、億、兆、京(けい)、垓(がい)、秭(じょ)、穣(じょう)、
溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、
阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、そして不可思議、無量大数。

意味は読んで字のごとく、思ったり議論したりするのができない(不可)なこと、
仏教語では、ことばではうまく説明できない智慧をいう。
悟りの境地もこの不可思議なのかな。ちなみに「不思議」は正しくはこの「不可思議」。

人もまた不可思議。
理解しているつもりだった友でも、たまには気持ちが通じ合えない時もある。
それはどちらか一方が変わったせいではなく、お互いが少しづつ変化しているんだろう。
でも人は、そのお互いの変化に気がつかないまま、理解しあえなかったことに傷つき、
絶望し、残念ながら離れていくこともある。

命が誕生するには、無限の組み合わせの中から、たったひとつの可能性が選ばれる。
その不可思議を考えたら、人生のたったひと時、通じ合えないことを嘆き、大事な友を
失うことは、あまりにも空虚なこと。

そんな時もあるさ。
そんなこともあったね。

たまには時の力を借りるかもしれないけれど、そう言える不可思議な、
機械でいうところの“遊び”のあるニュートラルな心でいたいなあ。。。
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Time is Moving on (時は流れている)

2007-09-11 | 前衛・抽象


’03、一応今も所属する書道団体の選抜100人展出品作。
3×6尺(90cm×180cm)で、タイトルはTime is Moving on.

この時期は、太い筆に濃墨で、紙にくい込むような粘っこい線ばかりを追っていた。
自分の周りにある空気や時間やエネルギーを寄せ集めて、そのどれをも
逃さないような吸引力を持って、目の前の紙に閉じ込めようとしていた。

今思えば、表現することと、団体に所属することのいくつかの矛盾にストレスを
感じていたのかもしれない。
Time is Moving on. ~時は流れている。そして私は「今」を生きているのに。

よく、なんて書いてあるの?と聞かれる。
文字は書いていない。私の場合、抽象作品の場合、文字を題材にしない。
なぜなら、文字は意味という既成概念がつきまとい、ぱっと見た瞬間に見る人に
ある程度の情報を与えてしまうから。

私にとって抽象作品を創るという作業は、自分探しの作業でもある。
白い紙の前に立ち、その時五感に響く音楽を聴きながら、まずは好きなお香を
焚いて嗅覚を刺激し、目を閉じて深呼吸。
音楽を吸収しながら集中し、自然と体が動き出したら書き始める。
1枚書くと、汗が出て息は乱れる。

大抵の人は1つのテーマなり題材を決めたら、同じような構図を何枚も書いて
いくらしい。でも私は、それができない。
2枚と同じ構図は書かない、というより書けない。
集中した感激は瞬発であり、次に紙に向うと違う興奮が生まれる。

まさに Time is Moving on. (←視聴できます)なのだ。
この作品はRed Hot のStolen Momentsというアルバムの1曲目、まさに
このタイトルの曲から生まれた。

今日は911。アメリカ同時多発テロから6年。
時は流れているのに、悲しいことに人の心はなかなか進化しない。
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