エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

乾燥ワカメと最深欲求

2014-08-13 12:37:28 | エリクソンの発達臨床心理


最深欲求

2013-08-13 01:27:29 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 生死の意味を理解するためには、<私>と相手を繋ぐ絆と、その絆を支える、この世を超えた人格(的価値)が必要なことが分かりました。<私>と相手の絆が必要なことは分かりやすいのですけれども、それでは なぜ、<私>と相手の繋ぎ役がこの世的であってはならないのでしょうか? それは、「金の切れ目が、縁(絆)の切れ目」になる程度の絆では、生死の意味を理解するのに、役立たないからでしょう!


  乾燥ワカメ、御御御付けに入れても良し、サラダに和えても良し、とっても便利ですね。でも一番の長所は、腐らないこてじゃぁ、ないかしら?

 最初に、乾燥させるとワカメは腐らないことに気づいたのは誰でしょうか?シイタケや干ぴょうも乾燥させれば腐らないことに気づいたのは誰? それは冷蔵庫がない時代、食料も春から秋はともかく、冬には絶対的に足りなくなった時代に、何とか保存食は作れないものか、といつも繰り返し考えていた人が、「あっ、天日に当てれば、腐らない」と気づいたんじゃあ、ないかしらね。

 最深欲求も、日頃から繰り返し考えていると、その答えがふと湧いてくる、眼の前に来た時、文字通りプレゼント(pre 「前に」+sent 「ある」)ということになるのだろうと思います。

 そのためには、「そんな答えは見付からない」「無理、無理!」と諦めてしまうのじゃぁ、なくって、「どこかに応えはないかしらね?」と繰り返し考えながら、毎日を過ごすことが、小さいことのようで、とっても大事なんですね。

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≪真の関係≫は訓練の賜物

2014-08-13 11:21:47 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 神様の性質が、母性性と父性性のバランス次第。人が熟達するのは、その神様の性格をどう考えるのか、その深さ広さによるのでしょう。

 p63第3パラグラフ。

 

 

 

 

 人類が母親中心の社会構造と宗教から、父親中心の社会構造の宗教へと進歩するので、私どもは成熟した≪真の関係≫を、主として父性的な宗教において、辿ることができます。この発達のはじめに、1人の横暴で、妬みの神を見つけ出します。その神は、自分が創造した人間を、自分の所有物と見なしますし、人間に対して自分が好きなことをする資格が与えられます。これが、神が人間を天国から追い出す、宗教の場面です。なんとなれば、人が知識の木から実を食べ、人が神自身になることがないように、ということなんですね。ここが、神様が洪水によって人類を滅ぼそうと決心した場面です。というのも、人類はだーれも神様を満足させる者がいなかったからです。ただし、お気に入りの息子が一人、いましたが。それがノアです。これは、神様がアブラハムに対して、一人息子、大事な我が子のイサクを殺せと求める場面なんですね。それは、アブラハムの神に対する≪真≫を、その究極の服従によって証明するためでした。

 

 

 

 

 ≪真の関係≫は、父なる神のもとで発達する。それは厳しい要求を、父なる神は私どもひとりびとりに対して、出してくるからですし、その要求に服従することが≪真の関係≫を鍛えるからなんですね。

 ですから、≪真の関係≫は、訓練の賜物。

 訓練なしには、≪真の関係≫を手に入れることができないのですね。

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個人の独立が、民主化と国家の独立の要

2014-08-13 06:14:17 | アイデンティティの根源

 

 ユダヤには、様々な地政学的な意味があったといいます。それは地政学的な意味にとどまらないところが不思議ですね。それが心の地政学的な意味にも転化するんですね。そうすると、それは、その人が「どう生きるか?」「何を良しとして生きるのか?」などと言う根源的な問い、最深欲求と、意識するしないにかかわらず、結びついちゃうんですね。

 p334下から3行目から。

 

 

 

 

 

 しかし、一世紀の間、すなわち、紀元前2世紀半ばから紀元前1世紀半ばまで、ユダヤ民族は独立して暮らしてしました。これは、ユダス・マカベウスとその兄弟たちが、占領するシリアに対する反乱を起こした後のことです。占領するシリアの王様は、神殿を冒涜し、ギリシャ式の宗教を広めようとしました。マカベウスは、高位の聖職者を王にしましたし、併合した国土をダビデとソロモンのころの国土と同様になるくらいまで再興しました。しかし、1世代後、ハスモン朝の治世(それは、彼らの苗字でした)は、権力闘争の中で停滞したように思われます。しかし、ローマは紀元前63年まではユダヤを乗っ取ることはありませんでしたが、この年、ポンペイが、パレスチナ派閥に招かれてのことですが、エルサレムを占領し、今度は自分が、至聖所に入りました。ヘロデがユダヤの王様になったのは、まさにその時でした。ヘロデは宗教的にはユダヤ人でしたが、生活様式ではギリシャ人、忠誠の点ではローマ人、人格的には、口では言い表せないくらい残忍でした。建物に異常に関心を持ち、神殿を紀元前20年に立て直しました。その神殿は、イエスの時代にもありましたし、紀元70年まではありました。その年は、次の民衆蜂起が起こったの後で、古代ユダヤ民族と宗教的中心地の終焉となりました。

 

 

 

 

 

 ユダヤの独立と被占領。それは民族の独立であり、占領されることなんですが、それが、ユダヤ人ひとりびとりの独立と、「占領されること」と非常に深く関係するんですね。丸山眞男教授の番組で丸山眞男教授が言っていましたね。「デモクラシーの精神的構造 まづ人間一人一人が独立の人間になること」が、社会が民主化していくためには、なくてはならないんですね。いつも上司の顔色ばかり気にしていたんじゃあ、自分が独立している、とは言えません。個人の独立が、社会や国家の独立に直結するんですね。

 私どもは、自分が独立することが、所属集団ばかりではなくて、社会の民主化に結びつくんだという、民主主義を支えるトータルなヴィジョンを、この際、日々思い起しつつ、生活していけたらと思いますね。

 

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