2013-08-21 04:36:48 | エリクソンの発達臨床心理
精神分析が、通過儀礼であるというのは、面白い視点ですね。でも、普通通過儀礼と言えば、成人式のように、集団でやるのが普通です。しかし、通過儀礼となる精神分析は、個人がやる通過儀礼です。集団でやる通過儀礼が弱体化、ないしは、消滅しているので、それに代わる新たな通過儀礼の1つとして、精神分析、あるいは、心理療法が登場しているのだ、と言えるでしょう。
心理面接の基本の「き」は、聴くこと、と言われます。クリスチャンカウンセラーの場合だと、この「聴」の漢字を分解して、「眼と耳と心と十字架」で「聴く」などと言う場合もあるくらいです。
なぜ、「聴く」ことが、そんなに「効く」のでしょうか?
これは案外、理論化されていないのじゃぁ、ないかしら?
いくつかのことが言えると思います。
第1に取り上げたいのは、「聴く」はギリシア語では、「προσευχομαι 祈ること」と同じ。ですから、聴くとは本来、「神様に心を傾けること」であり、「神様に目を向けること」であり、「神様に耳を傾けること」でもあります。そのように「聴」いてもらったら、クライアントは、それだけ嬉しいと思います。
第2に、「聴く」ことは、クライアントを価値づけることになる、ということです。相手の話を、「今忙しいから、あとでね」、「そんなこと言ったらダメ」などと言わずに、ひたむきに聴く。クライアントも「ちゃんと聞いてもらった」と感じることでしょう。そうしてもらえたら、「(自分の存在価値、「生きててもいい」と)認められた」と感じやすい。
第3に、酸いも甘いも、良いことも悪いことも、聴いてもらうことで、自分の心が整理される、ということもあると思います。作家の須賀敦子さんは、上智や慶応の教え子たちに、良く言っていたそうです。「聴いてもらうと、(自分が)整理される」って。
第4に、聴いてもらうことで、≪自分の声≫を見つけることができる、ということです。それはまさに「最深欲求」ですね。
他にもあるかもしれません。