エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#本気で聴く

2014-08-21 13:02:28 | エリクソンの発達臨床心理


能動的再体験 : 激しい怒りと恥が、笑いに変わる時

2013-08-21 04:36:48 | エリクソンの発達臨床心理

 精神分析が、通過儀礼であるというのは、面白い視点ですね。でも、普通通過儀礼と言えば、成人式のように、集団でやるのが普通です。しかし、通過儀礼となる精神分析は、個人がやる通過儀礼です。集団でやる通過儀礼が弱体化、ないしは、消滅しているので、それに代わる新たな通過儀礼の1つとして、精神分析、あるいは、心理療法が登場しているのだ、と言えるでしょう。


 心理面接の基本の「き」は、聴くこと、と言われます。クリスチャンカウンセラーの場合だと、この「聴」の漢字を分解して、「眼と耳と心と十字架」で「聴く」などと言う場合もあるくらいです。

 なぜ、「聴く」ことが、そんなに「効く」のでしょうか?

 これは案外、理論化されていないのじゃぁ、ないかしら?

 

 いくつかのことが言えると思います。

 第1に取り上げたいのは、「聴く」はギリシア語では、「προσευχομαι 祈ること」と同じ。ですから、聴くとは本来、「神様に心を傾けること」であり、「神様に目を向けること」であり、「神様に耳を傾けること」でもあります。そのように「聴」いてもらったら、クライアントは、それだけ嬉しいと思います。

 第2に、「聴く」ことは、クライアントを価値づけることになる、ということです。相手の話を、「今忙しいから、あとでね」、「そんなこと言ったらダメ」などと言わずに、ひたむきに聴く。クライアントも「ちゃんと聞いてもらった」と感じることでしょう。そうしてもらえたら、「(自分の存在価値、「生きててもいい」と)認められた」と感じやすい。

 第3に、酸いも甘いも、良いことも悪いことも、聴いてもらうことで、自分の心が整理される、ということもあると思います。作家の須賀敦子さんは、上智や慶応の教え子たちに、良く言っていたそうです。「聴いてもらうと、(自分が)整理される」って。

 第4に、聴いてもらうことで、≪自分の声≫を見つけることができる、ということです。それはまさに「最深欲求」ですね。

他にもあるかもしれません。

 

 

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西洋哲学の要諦

2014-08-21 12:44:54 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 人は自然には負けることは苦手です。ですから、進んで負けることはスピリチュアル。

 p67第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 この時点で、しかしながら、神の真という課題の別の次元が出てきます。それを、私どもは課題の複雑さを推し量るために、議論しなくちゃなりません。私は、洋の東(中国とインド)西で、宗教的態度が根本的に違うことに触れます。この違いを論理的概念で説明することができます。アリストテレス以来、西洋世界は、アリストテレス哲学の基本原理に従ってきました。この論理が基盤を置くのが、AはAであるということを言う同一率、矛盾率(AはAでないものではない。)、排中律(Aは、Aであると同時にAではないということもないし、Aでもなければ、AでもAでないものでもない、とは言えない)です。アリストテレスは自分の立場を、実に見事に、次のように説明します。「同じものが、同時に、同じ視点から、同じものに、属しながら、同じものに属さない、なんてことはあり得ません。私どもが付け加える他の区別が、弁証法的な対象に見合うことになるのかどうかも、次のように付け加えましょう。これこそは、ですから、全ての原理の中で最も確かなものです」と。

 

 

 

 

 

 アリストテレスの同一率、矛盾率、排中律、それから弁証法によって、西洋哲学はなりたっているんです。特に弁証法でしょう、大事なのは。これは論理、哲学だけの問題ではなく、所属集団を民主的にするためには、なくてはならない要素です。

 

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≪私≫は、≪守り続ける約束≫で発達する

2014-08-21 06:06:36 | アイデンティティの根源

 

 真理は、畏敬を持って対するもの

 真理は、我々を超え 我々を導くもの

 

 p337第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 さらにここで、≪守り続ける約束≫ということが、ことの核心になります。この≪守り続ける約束≫こそが、≪私≫が、身体も心も、イキイキ、ピチピチ、生きることの中心です。確かに、≪私≫という感じには、「身体がある」という根源的な領域もなにがしかあります。この「身体がある」ことが、≪私のもの≫の中心になければいけませんよね。なぜなら、「身体がある」ことが、私がイキイキ、ピチピチ生きることの核心と広がりを、確かにしてくれます。≪私≫の空間のこういった1つの中心は、心ですし、1つしかない生殖器であることに間違いありません。それだから、ヤーウェの神は、父なる神として、生殖器を持っていることに間違いはありません。「私の約束は、あなたの身体の中では、守り続けなくちゃならない約束です」(創世記第17章13節)。さらに、特に、「これこそ、私の約束です。この約束は、あなたが守り続けなくてはなりません。私とあなたたちと、あなたたちに続く子どもや孫たちもずっと守り続けなくてはなりません。あなた方の男は、陰茎包皮を切り落とさなくてはなりません。あなた方は、包皮を切り取らなくてはなりません。それが、私とあなた方の間の約束の印としなさい。あなた達、生後8日の男の子は包皮を切り落としなさい。世代を通してずって、全ての男は、自分の家に生まれた者でも、外国から金で買って来た者でも、包皮を切りなさい」(創世記第17章10節~12節)。申命記(第10章16節)は、その代わりに、辛辣な警告をしています。「ですから、心の包皮を切り捨てなさい。もはやかたくなであってはなりませんよ」と。

 

 

 

 

 

 とても大事なところです。≪私≫の核心には、必ず≪約束≫、≪守り続ける約束≫があるんですね。エリクソンは、それをユダヤ・キリスト教のヤーウェの神に託して述べています。

 しかし、それだけではないのです。心の発達とはすなわち、≪私≫の発達ですから、心の発達についても、ここで語られています。

 赤ちゃんの時の≪私≫があまり育たない場合が、今の日本では、たくさんあります。 愛着障害です。その治療に、今日エリクソンが教えてくれたことが非常に役立ちますよ。それは、愛着障害の治療にも、この≪守り続ける約束≫が極めて有効です。私は100ケース以上で、この≪守り続ける約束≫をやっていますが、約束を守り続けたケースで。失敗した試しが全くありません。

 

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