エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

バラモン教の場合は

2014-08-27 13:54:51 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 

 老子のタオ=道は、アイデンティティ形成の道に似ています。

 p70の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 バラモン教哲学は、多数(の現象)と統一(バラモン)の間の関係です。しかし、矛盾律哲学で、二元論の立場と混乱しているものは、インドにも、中国にもありません。調和のある関係(一致と)は、調和の関係の素材である、いくつもの葛藤からできています。「バラモン教思想は、その始めから、同時に反対者の矛盾となるけれども、現象世界をハッキリとさせる力ですし、その形を読み替えさせる力ですし、その形です。」と。

 

 

 

 

 

 バラモン教の場合です。バラモン教は一元論のようですね。でもまだ分からないことがたくさんありますね。

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少数意見がなぜ大事なのか?

2014-08-27 10:49:28 | エリクソンの発達臨床心理

 


世界にいっそうの自由をもたらす<新しいヴィジョン> 身代わりとしての患者

2013-08-28 02:00:39 | エリクソンの発達臨床心理

 患者のヴィジョンは、集団のヴィジョンを超越している、ということは、極めて大事な視点です。その患者のヴィジョンこそ、私どもが1つの人類本物の平和を実現するために、必要不可欠なものなのです。そういう意味では、患者になっている人はすべて、私どもが人間的な暮らしを実現するために、身代わりに苦難を担当してくださっている、と言って間違いありませんね


 少数意見がなぜ大事なのか?

 それは、昨年の今日のブログに出てきます。少数意見は、多数派の意見では見落とされている部分、弱い立場の見方が示されている意見です。逆に申し上げれば、その少数意見を主張する人たちは、多数派の人々から、大なり小なり、無視されるか、排除される貸している集団になります。

 当面は、その多数派は、多数意見に従って生きることができるでしょう。その多数派に属する人が、ずっとその多数派でいられれば、それでもいいのかもしれません。ですけれども、病気ゃ怪我や、不慮の事故や、何らかのことが契機になって、その多数派に元々属していた人も、少数派になる場合が少なくない。いや必ず、図らずも、少数派になることもある。すると、多数派だけが生き延びることができる社会よりも、少数派も等しく生き延びることができる社会の方が、「人間らしい暮らし」という観点で、優れている、ということができますね。

 でも理屈じゃない。理屈を超えて、全ての人、全人類を包み込み、お互いに仲良くできる方がはるかに「人間らしい暮らし」だと、私は直感しますよね。

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精神 > 形

2014-08-27 05:28:28 | アイデンティティの根源

 

 したくてしたくてたまらないことも、しなくちゃいけないことになると、それは、精神が死んで、形ばかりが残ることになっちゃう。そうなると、中身や気持ちは二の次になって、形を整えることのみが残ってしまう。

 p340の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 エルサレム神殿で、1年で最大の聖日がお祝いされるのは、まぎれもなく、人口の2倍の巡礼者たちが、礼拝で自分を≪超越≫することですし、民族が新たになる機会となることです。しかし、国中に広がったシナゴーグでの礼拝は、聖書の文字にますます囚われてしまって、日々のお祈りも、週ごとのお祈りも、「自分が正しい」と言い建てる機会に(イエスが指摘していたように)なっていました。そういった条件下では、「〇〇主義」が、みんながやる振る舞い方になります。実際に、「安息日」主義があります。おしなべてこういったことすべては、習慣で厳格に決められていることに対する関心が、その大本では何が価値があったのか、ということよりも長く生き延びた、あらゆる習慣に潜在的に見当たるものなんですね。

 

 

 

 

 精神、何が大事か、ということが忘れられて、形式だけが生き延びるとき、その形骸化した習慣のことを、エリクソンは述べているんですね。

 昔、『日本の思想』の中で、丸山眞男教授が、口角泡を飛ばすかのように、述べていたことがありました。それは、

「問題はどこまでも制度における精神、制度をつくる精神が、制度の具体的な作用のし方とどのように内面的に結びつき、それが制度自体と制度に対する人々の考え方をどのように規定しているか、という、いわば、日本国家の認識論的構造にある」

と。

 丸山眞男教授のこの言葉は、日本社会にとって、今でも非常に大事な御指摘です。

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