「おとぎ話の鈴鳴らし」の声を聴いてみたい。
The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p91の第2パラグラフの5行目途中から。
その音は、一番ちっちゃな妖精が手に持つ鈴から聞こえてくるのは、確かなことです。それはそれは、名状しがたいほど明瞭で、澄んだ音色で、また、実にほのかで、実に聴こえづらいので、息を凝らして、その妖精の鈴の音が聴こえてくる緑の空き地に身をかがめることになります。
妖精の澄んだ音色。心の中でいつも聴いていたい。
「おとぎ話の鈴鳴らし」の声を聴いてみたい。
The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p91の第2パラグラフの5行目途中から。
その音は、一番ちっちゃな妖精が手に持つ鈴から聞こえてくるのは、確かなことです。それはそれは、名状しがたいほど明瞭で、澄んだ音色で、また、実にほのかで、実に聴こえづらいので、息を凝らして、その妖精の鈴の音が聴こえてくる緑の空き地に身をかがめることになります。
妖精の澄んだ音色。心の中でいつも聴いていたい。
今日、Amazonから『エルサレムのアイヒマン』Eichmann in Jerusalem が届きました。『人間の条件』The Human Condition も長い間、飛ばし読みで、実際には積読状態です。試しに、このEichmann in Jerusalem を今日から翻訳したいなぁと思います。今日はその初日、お試しです。毎日やれるか分かりません。今日はそのエピグラフと3ページの冒頭です。
おー、ドイツよ。
あなたの館からこぼれ出る声を聴けば
人は笑う。
しかし、あなたに出会う人は皆、自分のナイフに手を伸ばす
ベルトルト・ブレヒト
Ⅰ 正義の館
「べス・ハミシュパス」正義の館。裁判所の案内係が、高い声で三人の裁判官が登場することを告げる言葉を叫んだので、私どもは思わず起立してしまいました。三人の裁判官は、禿げ頭で、黒い法衣を纏って、横の入り口から法廷に入ってくると、壇上の一番高い裁判官席に付きました。
このエピグラフが、翻訳しずらかったですね。難しい。
法定場面、もともとは、雑誌『ニューヨーカー』に連載された記事の冒頭です。裁判官が登場します。さて、今後どうなるのでしょうか? 結末は、アイヒマンが処刑されることは分かっています。
どこまでも課題になるのは、ごくごく普通に見えることに潜む、猛烈な悪が、どういうことから生じるのか?
ですね。
このブログと全く関係のない子です
学校でクラスから飛び出す、教員のいうことを聞かない、授業に出ても、授業を「妨害」するような発言を繰り返す、校外で下級生に暴力をふるう…。どうしようもない奴だと感じる人も多いでしょうね。
でもね、その瞳が非常に美しい。透き通った感じの6年生。
なぜなんでしょうか?
この子は非常に敏捷で、スポーツが得意です。公人でない個人を特定できるようなことは、このブログの趣旨からしてできないのですが、この子どもは、動物的な直感が非常に鋭い。ですから、ウソとホントを峻別する。
今の日本の学校は、高橋源一郎さんの言葉を借りれば、「物事を曖昧に穏便に済ませる」「心を偽って生きている大人」が圧倒的多数派です。そうすると、そう言う大人の教員は、自分でも知らないうちに「ウソとゴマカシ」をやっちゃってることが少なくない。この子は動物的直感の鋭さでね、それを見抜いちゃう。そして、その「ウソとゴマカシ」に耐えられず、抗議する…。
鼻が非常に効く子です。私ども臨床心理士にとって、一番必要なものの一つ。羨ましいくらいの鼻。心が透明だから、瞳も美しい…。
こういう透き通った力のある子が、あと少しで学校教育からこぼれそうになっていたんですね。昔、筑波で、普通学級に在籍できないIQ150の小学生に関わったことがありましたが、その時も、日本の学校教育の浅さを感じたものです。