問いを忘れずに行きたいものですね。
The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p100の3行目途中から、問いをも一つ。
自然界で冒険することは、子ども時代に黄金の時間を悦んですごすことになるだけなのか? それとも、もっと深遠なことになるのでしょうか?
あなたはどちらと考えますか? 試しに、森や海や川に行ってください。
問いを忘れずに行きたいものですね。
The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p100の3行目途中から、問いをも一つ。
自然界で冒険することは、子ども時代に黄金の時間を悦んですごすことになるだけなのか? それとも、もっと深遠なことになるのでしょうか?
あなたはどちらと考えますか? 試しに、森や海や川に行ってください。
シンボリズムは深い精神活動だそうですが、それは、形骸化、偶像化しやすいものなんですね。そのいい例が「教会」でしたね。南原繁の言葉を借りれば、「何よりも大事なのは、ガイスト(精神、眼に見えない魂)」なのですね。
Young Man Luther 『青年ルター』のp187の第4パラグラフから。まだまだ、ホイジンガの引用の続き。
ローマカトリック教会がキッパリと教えてきたことは、罪とは単に、1つの事でもないし、1つそこにあるものでもない、しかし、罪は、どうしたら、失敗を食い止めるんでしょうか? すべてが人の心に罪をしみこませるんですからね。生まれながらの本能からすれば、罪は穢れ、堕落となる材料に見えますし、したがって、洗い流したり、打つ壊したいとおもうものですが、罪が極端に体系化されたり、譬えを用いたり、教会そのものが裁いたりすることによって、生まれながらの本能が強められました。
教会が罪の許しを述べ伝えるのではなく、罪を裁く側になっちゃう。人々も許しを感謝を持っていただくのではなくて、罪深さ、罪責感を強めちゃう。
こうなると、聖書に書いてある「罪の許し」「救い」はどうなっちゃったのか?
組織や教義が体系化されると、最初のドキドキした体験が失われちゃう。カーソンの『不思議を感じる心』と同じオリエンテーションですが、許しに気付くことの方が、罪の種類を知ることよりもはるかに大事なのに、「これはダメ」「あれもためだ」と知ることが優先されがちになっちゃう。
何故なんでしょうか?
毎日新聞より
福島原発事故の報道が、めっきり減ってます。でも、今も放射能が漏れ続けているはずです。「アンダーコントロール under control」だとしたら、放射能が漏れていることにはなりません。しかし、実際は、アンコントローラブル uncontrollable ですね。わが安倍晋三首相は、大ウソつき、という訳です。子どもに見せてはいけない見本です。
京都大学の小出裕章さんが、1年前の2014年3月7日の 「報道するラジオ「メディアが伝えていない福島第一原発事故3年」(https://www.youtube.com/watchv=A5P4gIhU8lo&feature=youtu.be&t=23m35s) で教えてくれています。
それによれば、政府の発表に従っても、広島に落っこちた原爆の168個分くらいの放射能がばらまかれた、と言います。その結果、放射能の専門とする人しか入れない「放射線管理区域」にしなければならない区域が、江戸川区や葛飾区、千葉県、埼玉県も含めて、関東から東北まで、広い範囲に広がっている、と言います。それは、本州の5%に相当するそうです。ここは、人が住める場所ではないのに、日本政府はそこに「住んでね」「戻ってもいい」と言っているそうです。政府は、放射能漏れを起こした当事者ですから、「犯罪者が自分の犯罪について過少に申告するのが普通」ですから、実際はもっとひどい。
また、「黒い物質」というものがあるようですね。この「黒い物質」とは、「雨どいの下のコンクリートに残っている、泥と苔が、黒く干からびて固まったもの」だそうです。私も「あれだな」と見た覚えがあります。これは、セシウム134とセシウム137という放射性物質の濃度が、猛烈な濃度だと言いますから、ビックリしちゃいます。小出さんが例として挙げたものによれば、「福島県相馬の『黒い物質』からは、1kgあたり数百万ベクレルのセシウム」があったそうです。また、「東京都葛飾区から持ってきた『黒い物質』からは、1kg当たり何十万ベクレルのセシウム」が検出されているようです。さらには、「比較的汚染が少なかった東京の中央に位置する東村山市の学校から持ってきた『黒い物資』からも、1kgあたり2万ベクレルを超えるセシウム」が検出されている、と言います。
小出さんによれば、「1kg当たり1万ベクレルを超えるようなセシウムは、『放射性物質』として厳重に管理しなくてはならない」ものだそうです。ということは、本来「放射性物質」として厳重に管理しなくてはならないものが、東京でもいたるところに転がっている、子どもでも触れそうなところにある、ということですね。子どもに触れさせてはいけないものが、福島から遠く離れているはずの東京でさえ、ごろごろ転がってる、というのが、厳しくも正しい現状認識だと思われます。
炉心溶解に至っては、現状を見た人がいないけれども、政府の発表のように原子炉の中にとどまってる、ということではないようですね。格納容器を突き抜けた物質が、お供え餅のように、原子炉建屋の床の上に置かれている、との前提で、廃炉作業のロードマップが計画されています。しかし、小出さんは、溶けた炉心は建屋内に留まっていないで、建屋の外、土の中に入り込んでいる可能性が相当ある、と見ています。そうすると、完全に放射性物質を取り出すことなどできない。チェルノブイリ原発のように石棺で、放射能が飛散しないように、閉じ込めなくてはならない。
この小出さんの教えは大事ですね。1年後の今も、現状は、全くよくなっていないんですからね。