エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

満月の夜にも不思議な出来事

2015-03-08 13:36:45 | 間奏曲

 

 渡り鳥のやり取りは、いろんな気持ちを引き出してくれます。

 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p92の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 満月の夜、渡り鳥がやり取りする声に天が満ちた時、子どもと共に、もう1つの冒険が始まります。もしも、その子に望遠鏡や上等な双眼鏡があれば、なおさらです。渡り鳥が月影を横切るのを眺めると言う愉しみは、流行ってきましたし、最近じゃぁ、科学的にも重要にさえなってきていますから、それはそれは、成長した子どもに、渡りの不思議を感じる気持ちをプレゼントするのにいい方法です。

 

 

 

 

 日本人とは必ずしも同じではないけれども、満月の夜が愉しみであることは確かですね。満月の夜に、渡りを観察することも、不思議を感じる気持ちを養ってくれるらしい。

 

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「真の礼拝」の再生が求められる時代

2015-03-08 10:50:47 | アイデンティティの根源

 

 「正しい行為」によって「良し」とするのは、なにも中世のキリスト教の専売特許じゃぁありませんね。今の日本の学校でも「正しい行為」によって、「良し」とする傾向が甚だ強く、甚だ多い。そして、これが、日本の学校教育を、根源的に病んだものにしている元凶です。

 Young Man Luther 『青年ルター』のp186の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 しかしながら、儀式の小宇宙の中で、積極的に自分に永遠の命があると思ったり、自分には価値があると見なすことは、キリスト教や世俗的な官僚の小集団に限られる、と付け加えておかなくてはなりません。大衆が(儀式に)参加できるのは、傍観者として、非難を投影される人としてだけでした。こういった、儀式に寄生して自分を確かにしようとする道が、心理的な力のほとんどを失ってしまうのは、支配層の様式化のし過ぎによって、時代の増し加わる危険に対する壁が脆くなる時です。時代の危険とは、すなわち、ペスト、梅毒、(攻め来る)トルコ人、ローマ法王と主君を捨てることです。同時に、物理的に戦ったり、心理的に戦ったりすることを防ぐ確立された体制が急激に崩壊したのも、この時ですが、それは、火薬ができたり、印刷術ができたりしたためでした。

 

 

 

 

 神聖な意味を失った儀式は無力です。時代の危機にはなんの力もありません。エリクソンは常にそうですが、歴史を語りながら、いつでも意識は現在でした。

 そして、私どもも、そうでありたいものですね。儀式的なことは、一神教の社会と比べて、日本では、もともとその意味が強いとは言えませんでしたが、現代では、そのほとんどが力を失っています。しかも、新たな礼拝ができているわけでもありません。

 今の日本では、自分が他者と共に、不完全であっても価値がある、と確信できる新しい礼拝が必要な時代です。

 

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憲法前文を読むと、安倍晋三政権は憲法違反だと分かりますよ。

2015-03-08 07:31:06 | エリクソンの発達臨床心理

 

 憲法の前文を読むと、安倍晋三政権がやっていることは、権力の濫用なだけではなくて、憲法違反だと分かります。

 どこが憲法違反なのでしょうか?

 憲法の前文を読んだことがありますか? 「ある」と言う方も、「ない」と言う方も、次に引用する憲法前文を読んだら分かります。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 どこが、安倍晋三政権の憲法違反なのでしょうか?

 それは

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」とあるところです。

 すなわち、権力は国民の代表者がこれを行使するものであるのですが、国会の議決のないこと(集団的自衛権の行使容認と自衛隊に対するシビリアンコントロールを外すこと)を一内閣が勝手にすることは、この国民主権に「反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と言われていることに該当すると考えられるからですね。

 安倍晋三政権のやることが憲法違反だから、安倍晋三政権は、自分のやっていることを改めようとするんじゃぁないですね。現憲法を守ることが憲法99条に歌われていることにも違反してんですね。憲法99条は

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」

とありますもんね。

 自分のやってることを改めようと言うんじゃなくて、憲法の方を変えようと言うんですから、誇大妄想も甚だしい、デマゴギーだと、安倍晋三さんは見なせます。こんな危険人物には、国政からも1秒も早く引退していただきたい。

 

 

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