エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

弱さの強さ

2015-03-30 01:46:42 | エリクソンの発達臨床心理

 

 これは、パウロの書簡「コリントの信徒への手紙 二」の第十二章10節「それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行きづまりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」の中にある言葉です。その直前の9節にも「主は『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました」との言葉があり、パウロが祈りの中で、神から直接聞いた言葉が紹介されています。

 世の中の常識からすれば、「強さ」や「豊かさ」や「健康」が良い、と考えるでしょう。そのために、普通、人は、普段の仕事や学びをしている場合がほとんどでしょう。ですから、このパウロの言葉は、非常識です。病で苦しんでいたパウロがその病からの回復を願って祈ったのに、神は9節でその答えを示して、「病気は治りません。その病気を通して、強さが表れる」と言うのですからね。言われた方も、常識や通念に囚われていたら、がっかりして絶望するのが落ちでしょう。でも、パウロは違いました。10節にあるような心境になったというんですからね。これは強がりでしょうか?あるいは、宗教家の特別な境地なんでしょうか?

 最近、河合隼雄の古典『心理療法論考』を読み直していたら、このパウロの言葉に相通じる言葉に出合いました。それは9章「心理療法における「受容」と「対決」」の最後の件です(最新版では、10章)。

 「一般に対決と言う場合、自分の長所を利用して他と対決しようとするものだが、我々治療者は自分の弱点を通じて対決させられることが多い。我々は自分の弱点で勝負するのである。」

 何故なんでしょうか?

 人と人の深いつながりは、「弱さ」を介して繋がるもの、

 本当の勝負(対決)は、「もうダメだ」という行き詰まりの先にあるもの、 

だからだ、と私は考えますね。

 

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セラピーは、全人格的

2015-03-29 12:30:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 The sense of womder『不思議を感じる心』が訳了したので、どうしようかと思います。 

 今日からは、エリクソン晩年の著作 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』をボチボチやろうかな、と考えました。アイヒマンやパレーシアは、ルターの後にしようかな。

 p.25~その第2章「性心理性と世代の巡り合わせ」から。

 

 

 

 

 

 暫成説と前性器期

 「性心理的」と「心理社会的」といった、言葉を結びつける言葉は、2つの分野の境目を切り開くことを意味します。その2つの分野は、方法論の上でも、理念の上でも、確立されているけれども、その2つの分野がやり取りをするようになります。しかしながら、この2つの分野に橋を架ける試みは、確立した技術に従うことが、物事に本質だ、誤解しやすい傾向に、打ち勝てないことが少なくありません。幸いなことに、セラピーは、いつでも全人格な態度が必要ですから、確立された事実と張り合うのではなくて、そういった事実を、ハッキリした、より広い視点で受容しようとします。

 

 

 

 

 セラピーは、全人格的。個人を集団よりも大事にする、個の視点で仕事をします。

 

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唯名論とカトリックの凋落

2015-03-29 10:48:27 | アイデンティティの根源

 

 唯名論は、キリスト教の世俗化に走った?

 Young Man Luther 『青年ルター』p190の7行目途中から。

 

 

 

教会は国家になり、教皇は、敵国の王子となりました。聖職者たちは畏れを失い、その結果、他の人に畏れを呼び覚ますことができなくなりましたし、当たり前なほど見下げた存在になりました。縦の関係の、この世での終わりとなった典礼は、金勘定になり、他方で、いつでも苦しいものとなりました。

 

 

 

 

 

 ここもなかなかピンとこないところかもしれませんね。唯名論によって、カトリックの権威は失墜したのは確かです。ルターが出る前に、すでにカトリックは力を失っていた、と言えるのかもしれません。

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田舎と安倍政権 札束以上の価値

2015-03-29 07:21:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 安倍晋三政権批判のシリーズ、最終回。何を取り上げようと思いました。

 ずっとお付き合いのある障害者にしようか、それとも、高齢者にしようか、とも思いました。でも、今回は「田舎」を取り上げようと思います。

 私は、大学でワンダーフォーゲル部でしたから、「田舎」のよく行っていましたし、仕事柄、「田舎」の小学校などで、スクールカウンセラーの仕事をしてきました。それで、田舎を取り上げようと思います。

 田舎も、私どもがどんな社会で暮らしているのかを考える上で、非常に大切ですね。

 私どもは、どんな社会で暮らしているのでしょうか?

 私は東京よりも田舎の方が、はるかに豊かで、美しい、と感じます。特に空。東京では、と言っても、私は比較的田舎の国立で生まれ育ったものですが、1年に一度、台風一過の時に出る空、多摩川から見る富士山がいつもより、近くにあるのではないか、と錯覚するような空になる場合があります。その空が、田舎では、しょっちゅう出てる。それから水。今国立あたりでも、水を買うのが当たり前です。西友やさえきに行けば、水が売り場の一コーナーを占めてますでしょ。しかもその水が、ガソリンよりも高い。でも、田舎では、水を売るコーナーは、非常に狭い。そのコントラスト。

 でも、田舎は今どうですか? 

 島根県は隠岐の島の海士町のような「成功例」もあるのでしょう。http://www.town.ama.shimane.jp/ui.html

 でも、私が回っている田舎は、津波の影響があったりする場合もありますが、苦戦している場合が多い。地元の商店街が、シャッター街になっていたり、若者たちが都会に、首都圏に移って、人口減少と高齢化率3割越え。増田寛也さんらの唱える自治体消滅も、現実味が帯びています。

 何故なんでしょうか?

 地方の産業が、大事にされていないからです。それは、農業、漁業、林業などの、第一次産業でしょ。だいたいは、補助金事業。補助金依存の産業になってしまう。それは、工業製品を輸出する産業モデルの裏で、第一次産業産品、農産品、木材、魚介類を輸入する構造があります。第一次産業は、概ね、役人から回ってくるお金頼り。それは、原発と同じ構造。原発を作ると、その自治体に補助金が下りるでしょ。金で、田舎が荒らされてんですね。私はもともとワンダーフォーゲルでしょ。田舎の森が荒れてますもんね。安い木材が輸入されるので、林業が衰退していて、間伐もされないから…などと聞きます。でもどうなんですか? 日本は山だらけ。その木も生かしたい、活かしてほしい。

 田舎の人には、都会にあこがれてばかりいないで、自分が住んでるところの良さを生かしてほしい。札束以上の価値を見出すことだと信じています。

 札束で田舎を壊す社会に私どもは生きてます。その典型が、福島原発事故です。

 

 

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不思議を感じる心、最終回 風を感じて

2015-03-28 08:45:17 | 間奏曲

 

 不思議を感じる心は永遠です。

 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p106の下から3行目から。

 

 

 

 

 

 自然と触れ合うことの限りない悦びは、科学者のためにあるんじゃなくて、大地、海、空、それからその不思議な生命から吹く風を感じる人なら、誰にでも味わえるものなんですね。

 

 

 

 

 私も、そういう風を感じて生きていきたいですね。

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