10月12日の金曜日、
体調はいまひとつだったのですが、
お天気が良かったので、公園にリハビリ散歩に行ってきました。
ブラッドパッチ後、半年たって、リハビリ散歩を始めてから
通算64回目です。(たぶん・・・・
)
その前の日の11日も、63回目の散歩に行けました。
平日の公園は、いつも閑散としているのに、
11日も12日も天気がよかったからか、
意外に大勢の人たちでにぎわっていました。
久しぶりの公園は、すっかり秋の装いで、
風にのってキンモクセイが香り、
地面にはどんぐりや栗など
木の実がたくさん落ちていました。
森の横を歩いていたら、
バラバラと
雨がふるような音がしました。
なんだろうと音のする方向を見たら、
どんぐりが落ちて、地面に当たる音でした。
また落ちてこないかと、じっと上を眺めていたら、
二人連れのお年よりが、むこうから歩いてきたので、
「こんにちは」とあいさつして、
「木の実がすごく落ちてきますね。」と言ったら、
「むこうの森はもっとすごいよ。」と教えてくれました。
「私ら、むこうの森を歩いてきたんだけど、
バラバラバラバラ、もっと雨のように落ちていたよ。
あんまりすごいんで、しばらく立ち止まって見上げていたよ。
今ちょうど(どんぐりなど木の実が落ちる)時期なんだね。」
と話してくれました。
どんぐりには、「なら」や「しい」などいろいろあることも
教えてくれました。
どの実が「しいの実」で、どの実が「ならの実」や「ぶなの実」か
私にはさっぱりわからず、見分けがつかなくて、
みな同じ「どんぐり」としか見えませんでした。
日中はひとりぼっちで誰とも話す機会がないので、
見知らぬ人との短い会話ですら、
とても新鮮に感じました。
その後
私は、わくわくしながら
、その森へと向かいました。
このへんかな・・・
そう思って立ち止まって森を見渡していた時、
ちょうど風が吹きました。
すると・・・・
バラバラ、バラバラ、
本当に雨
のように、
どんぐりが降ってきました。
風で、
一斉に枝からどんぐりが落ちて、
地面に当たる音は
まるで激しい雨か、氷の粒のヒョウのようでした。
どんぐりが、
雨のように、森の木々から一斉に落ちる光景と音は、
私は生まれて初めて遭遇しました。

昨年の秋のリハビリ散歩の時には、出会えませんでした。
昨年は自力で外出しはじめたばかりで、
公園に来るだけで必死だったし、(今も命がけ
ですが・・・
)
昨年の今ごろは、
サングラスもしていたり、杖ついて歩いていたりで、
歩くのに必死だったころで気づかなかったのかもしれませんし、
タイミングがずれていたのかもしれません。
自然界の出来事は、
みな一瞬の
出来事です。
わずかでも、タイミングがずれれば、
出会えない光景なのでしょう。
今年の私は運が良かったようです。
翌日12日にも同じ場所を歩いてきましたが、
もう、
どんぐりが一斉に落ちる光景にも、雨のような音にも出会えませんでした。
前日のあの光景がうそのように
まるで何事もなかったように静まりかえっていました。
ただ、あたり一面に木の実が敷き詰められていました。
やはり、あの「どんぐりの雨」は貴重な一瞬だったようです。
自然はいつも、
やさしさと発見と、感動と驚きで私の脳にも刺激を与えてリハビリしてくれます。
疲れた心も、荒れた心も,
自然はいつも、無言でありのままに包んで、
受容して、癒してくれます。
脳脊髄液減少症を取り巻く、残酷な現実や
利己的な心ない人間たちの存在や、
国や無理解医師たちの冷たい対応
、
一見戦争のない、平和に見える社会に潜む、
人命軽視の思想や、
人々の対立
や争いを知るたびに、
私は悲しみに満たされ、
人の心が信じられなくなり
、
自分とこの国の未来を憂いてしまいます。
見た目は元気そうで、理解どころか同情も得られず、
自分だけが感じる「認められない病」のつらい症状の数々の耐え難さ
と
自分のこれからに、
絶望してしまいそうになる事もあります。
「死んですべての精神的、肉体的、社会的な苦しみから逃れたい。・・・」
そう思うことも、正直あります。
でも、生きていれば、ささやかでも
自然や、
正義の心を持つ方がたや、人の優しさ
にも出会えます。
だから、生きてさえいれば、
必ず真実は明かされ、
多くの急救助の手がさしのべられる日が来るかもしれない、
いつか確実な治療法と、体が健やかで楽な日々がくるかもしれない、という
わずかな希望もわいてきます。
秋
の森は、まだまだ
人を癒す、いろいろな仕掛けがたくさんありそうです。
生きていれば、まだまだ
いろいろな発見がありそうです。
これからも楽しみです。
昨年公園で出会った、桂の木の
「森の綿菓子やさん」も、
11日はまだ開店前で香もあまりしていなかったのに、
12日は開店準備がはじまった様子で
ほんのり甘い香りがしはじめていました。
桂の木の葉も、一日でこんなに違うものなのですね。
「森の綿菓子やさん」
もうすぐ開店のようです。
自然は日々変化しています。
人間もいろいろな意味で少しずついい方向へ
変化していきたいものです。
私も、「脳脊髄液減少症」の苦しい症状をまだ抱えながらも、
自然や動物に励まされながら、
くじけそうになりながらも、
日々少しずつ変化しながら生きていきます。
追伸:写真は公園でひろった、木の実と落ち葉です。
ひろった「むかご」(やまいもの実)も混じっています。
どんぐりというのは、「ブナ科の木の実」の名称だと
ネットで調べて知りました。
↓
参考:
どんぐり入門
どんぐりって食べられるんですか?
でも、これ以上体調が悪くなると困るので、私はやめておきます。
どんぐり図鑑
体調はいまひとつだったのですが、
お天気が良かったので、公園にリハビリ散歩に行ってきました。
ブラッドパッチ後、半年たって、リハビリ散歩を始めてから
通算64回目です。(たぶん・・・・

その前の日の11日も、63回目の散歩に行けました。
平日の公園は、いつも閑散としているのに、
11日も12日も天気がよかったからか、

意外に大勢の人たちでにぎわっていました。
久しぶりの公園は、すっかり秋の装いで、
風にのってキンモクセイが香り、
地面にはどんぐりや栗など
木の実がたくさん落ちていました。
森の横を歩いていたら、
バラバラと
雨がふるような音がしました。
なんだろうと音のする方向を見たら、
どんぐりが落ちて、地面に当たる音でした。
また落ちてこないかと、じっと上を眺めていたら、
二人連れのお年よりが、むこうから歩いてきたので、
「こんにちは」とあいさつして、
「木の実がすごく落ちてきますね。」と言ったら、
「むこうの森はもっとすごいよ。」と教えてくれました。
「私ら、むこうの森を歩いてきたんだけど、
バラバラバラバラ、もっと雨のように落ちていたよ。
あんまりすごいんで、しばらく立ち止まって見上げていたよ。
今ちょうど(どんぐりなど木の実が落ちる)時期なんだね。」
と話してくれました。
どんぐりには、「なら」や「しい」などいろいろあることも
教えてくれました。
どの実が「しいの実」で、どの実が「ならの実」や「ぶなの実」か
私にはさっぱりわからず、見分けがつかなくて、
みな同じ「どんぐり」としか見えませんでした。
日中はひとりぼっちで誰とも話す機会がないので、
見知らぬ人との短い会話ですら、
とても新鮮に感じました。

その後
私は、わくわくしながら

このへんかな・・・
そう思って立ち止まって森を見渡していた時、
ちょうど風が吹きました。

すると・・・・
バラバラ、バラバラ、
本当に雨

どんぐりが降ってきました。

風で、
一斉に枝からどんぐりが落ちて、
地面に当たる音は
まるで激しい雨か、氷の粒のヒョウのようでした。
どんぐりが、
雨のように、森の木々から一斉に落ちる光景と音は、
私は生まれて初めて遭遇しました。


昨年の秋のリハビリ散歩の時には、出会えませんでした。
昨年は自力で外出しはじめたばかりで、
公園に来るだけで必死だったし、(今も命がけ


昨年の今ごろは、
サングラスもしていたり、杖ついて歩いていたりで、
歩くのに必死だったころで気づかなかったのかもしれませんし、
タイミングがずれていたのかもしれません。
自然界の出来事は、
みな一瞬の

わずかでも、タイミングがずれれば、
出会えない光景なのでしょう。
今年の私は運が良かったようです。

翌日12日にも同じ場所を歩いてきましたが、
もう、
どんぐりが一斉に落ちる光景にも、雨のような音にも出会えませんでした。

前日のあの光景がうそのように
まるで何事もなかったように静まりかえっていました。
ただ、あたり一面に木の実が敷き詰められていました。
やはり、あの「どんぐりの雨」は貴重な一瞬だったようです。
自然はいつも、
やさしさと発見と、感動と驚きで私の脳にも刺激を与えてリハビリしてくれます。
疲れた心も、荒れた心も,
自然はいつも、無言でありのままに包んで、
受容して、癒してくれます。

脳脊髄液減少症を取り巻く、残酷な現実や
利己的な心ない人間たちの存在や、
国や無理解医師たちの冷たい対応

一見戦争のない、平和に見える社会に潜む、
人命軽視の思想や、
人々の対立

私は悲しみに満たされ、
人の心が信じられなくなり

自分とこの国の未来を憂いてしまいます。
見た目は元気そうで、理解どころか同情も得られず、
自分だけが感じる「認められない病」のつらい症状の数々の耐え難さ

自分のこれからに、
絶望してしまいそうになる事もあります。
「死んですべての精神的、肉体的、社会的な苦しみから逃れたい。・・・」
そう思うことも、正直あります。
でも、生きていれば、ささやかでも
自然や、
正義の心を持つ方がたや、人の優しさ

だから、生きてさえいれば、
必ず真実は明かされ、
多くの急救助の手がさしのべられる日が来るかもしれない、
いつか確実な治療法と、体が健やかで楽な日々がくるかもしれない、という
わずかな希望もわいてきます。
秋

人を癒す、いろいろな仕掛けがたくさんありそうです。
生きていれば、まだまだ
いろいろな発見がありそうです。
これからも楽しみです。

昨年公園で出会った、桂の木の
「森の綿菓子やさん」も、
11日はまだ開店前で香もあまりしていなかったのに、
12日は開店準備がはじまった様子で
ほんのり甘い香りがしはじめていました。
桂の木の葉も、一日でこんなに違うものなのですね。
「森の綿菓子やさん」
もうすぐ開店のようです。

自然は日々変化しています。
人間もいろいろな意味で少しずついい方向へ
変化していきたいものです。
私も、「脳脊髄液減少症」の苦しい症状をまだ抱えながらも、
自然や動物に励まされながら、
くじけそうになりながらも、
日々少しずつ変化しながら生きていきます。
追伸:写真は公園でひろった、木の実と落ち葉です。
ひろった「むかご」(やまいもの実)も混じっています。
どんぐりというのは、「ブナ科の木の実」の名称だと
ネットで調べて知りました。
↓
参考:
どんぐり入門
どんぐりって食べられるんですか?

でも、これ以上体調が悪くなると困るので、私はやめておきます。
どんぐり図鑑